第130話 白猿

「モンスターだ! 備えろ! 腐肉漁り……にしてはでかすぎる、毛の色も見たことが無い……新手のモンスターだ!」

「やべぇ! あいつ、でっけえ石をこっちへ投げてくるぞ!」


 ザムザはあのモンスターから攻撃を受けたのだろう。

 ハジムラドはいつも背負っている小型の盾と小型のメイスを迅速に構え、あっという間に臨戦態勢へと移行する。

 ピリはハジムラドの声がするよりも早く、弾かれたように地面へと伏せ、監視塔の背面へと這っていく。

 オスカーは目が良いようで、俺には手を上げているようにしか見えなかったモンスターの様子も、はっきりとわかるようだ。

 しかし投石か……、俺もそのことに気がつければよかったのだが……。

 ザムザは俺にだらりと体を預けたまま完全に意識を失っている。

 体勢が悪いのでザムザの姿勢を変えようと体を抱え込もうとすると、手から伝わる熱くぬめった感触に驚く。

 側頭部からの出血が凄まじい。

 慌てて手ぬぐいで傷を抑えるが、その瞬間頭蓋骨らしきものが露出しているのが見える。

 あまりに酷い傷に、一気に不安が膨らむ。

 どれほどまずい状況なのか正確にはわからないが、とにかく一刻も早く血を止めなければならない。

 いくらザムザが鬼でも、この出血量を放置しては死んでしまうかもしれない。

 エリザベスの毛で織った真っ白い手ぬぐいが一瞬にして赤く染まり、それにも飽き足らず、焼けるように熱い血が次から次へと指の隙間から溢れてくる。

 雨に流されていく血を見ていると、まるでザムザの命そのものがこぼれ落ちるような気がしてくる。

 ザムザを失う恐怖で気が狂いそうになる。


「おい、ザムザ! しっかりしてくれ! 頼む……ああ、血が止まらん……くそっ、誰か……ああ、ザムザっ」

「ボナス! ザムザは鬼だ、そうそう死なん! 落ち着かねば助かる命も助からんぞ!」

「わかっている! オスカー、時間を……ああ……くそっ! とまれ……とまってくれよ!」


 とにかく傷口が上になるように体を抱え上げ、いつまでも止まない血に錯乱しそうになりつつも、手ぬぐいをより強く押し当て、頭をかき抱くように傷口を抑えつける。

 すぐそばで強烈な衝撃音が聞こえる。

 その時はじめてオスカーがこの場に留まり、俺達を守ってくれていることに気が付く。

 午後取り付ける予定だった監視塔の扉を盾にしているようだ。

 俺一人ではまともに持ち上げるのも難しいものだったが、オスカーは投石の衝撃を逃すよう、うまく具合に角度をつけつつ耐えている。


「ボナス、どうだこの扉! 俺が作っただけあって丈夫だろ! だが……さすがに重いな。ちょっと、これはきついぞ! 少しづつでも移動して、監視塔に隠れよう!」

「わかった! 少しだけ出血が収まってきたか、それとも……いや考えても仕方ない! ああっ、おもてぇ!」


 俺とオスカーがそんなやり取りをしている間にもハジムラドはモンスターとの距離を詰めつつ、ピリへと指示を飛ばしている。


「おい、ピリ! こいつはまずい! 俺とお前じゃ殺しきれるかわからん! 誰か呼んで……ボナス商会の連中が必要だ! 連れて来い!」

「んあああっ、くそがっ! わかった!」


 ピリは監視塔の裏で戦闘準備を整えていたようだ。

 ちょうどハジムラドとは別角度からモンスターへと接近しようとしたところで、撤退の指示を受ける。

 ピリは悪態をつきながらも、迷うことなく進路を変え、村の方へと走って去っていった。

 雨脚がいっそう強まる中、俺はザムザの頭を強く抱え込んだまま、モンスターの方を向いたままの姿勢で後ろ向きに歩いていく。


「オスカー、このままゆっくり下がる!」

「わかった! 守りは任せろ!」


 目の前にはオスカーが、俺と同じような姿勢で扉の盾を構えながら守ってくれている。

 いつもと変わらぬ様子が心強い。

 俺の倍ほどはありそうなザムザの重さに足を震わせつつ、ゆっくりと後退する。

 雨を吸った衣服が重くまとわりつく。

 急激にぬかるみ始めた地面に何度も足が滑りそうになる。

 気ばかり急くが、監視塔の裏側までのたった数メートルが今は異様に遠い。

 壁伝いに尺取り虫のように身をよじりながらゆっくりと進んでいると、時折オスカーの扉の盾ごしにモンスターとハジムラドが見える。

 慌てふためく俺とは対照的にハジムラドは冷静なようだ。

 すでに接敵しており、うまく攻撃をいなしながら落ち着いて対応している。

 モンスターは俺達への投擲を諦め、ハジムラドへの攻撃に集中しているようだ。


「ふぅ~危なかったな、ボナス! しかしあの化物なんだろうな? でかい腐肉漁りみたいな感じだったが、毛も顔も白くて、おまけに目ん玉なかったぞ? あぁー、気持ちわりぃ」

「そうなのか? 俺はあまりしっかりと見る余裕が無かったんだ。ザムザが……もう血は止まっているのかな? 雨で濡れてもうよくわからん……なぁ、オスカー大丈夫かなこいつ? さっき一瞬見たとき、頭の骨見えてたんだよな……」

「俺にはよくわからんが……」

「くっそ~、これ止血になってんのかな? ザムザ大丈夫か? 死ぬなよ? 息は……一応してるな……。鬼って破傷風とかなるのかな? いやそれよりあの距離からあんな勢いで投げた石が当たったんだし、頭おかしくなってたりしてたらどうしよう……いや、まずは生きていてくれれば……ああ、大丈夫かなぁ……こっから何かできることは……」


 監視塔の分厚い壁へもたれかかるように座り、身じろぎひとつしないザムザの頭を抱え込んだまま一息ついていると、次から次へと嫌な想像が頭をよぎる。

 考えれば考えるほど、血の気が引き、傷を抑える手が震えそうになる。

 キダナケモやモンスターがおり、魔法まであるような世界だ。

 いつ誰が死んでもおかしくないと覚悟はしていたものの、仲間達は皆強く、何かあるにしてもまずは自分からだろうと、ある種気楽に考えていた。

 もちろん自分だって死にたくはないが、それでもそんな覚悟はとっくの昔に済ませているし、諦めもつく。

 だが、ザムザを失うなんてことはこれまで考えたこともなかったし、考えたくもない。

 だというのに、不吉な想像は次々と頭の中へ浮かんでくる。

 もし今ザムザの傷を抑えていなければ、俺は錯乱していたかもしれない。

 さらに悪いことに、先程から徐々にザムザの体温が失われてきている気がする。

 鬼達は基本的に体温が高い。

 だが今、俺の腕の中にいるザムザの肌は恐ろしく冷たい。

 普段は健康的な褐色の肌だが、今は妙に灰色っぽく、まるで生気を感じない。


「雨のせいだよな……。なぁおい、ザムザ……早く……」

「ふっ……ふふふふっ」


 不安な気持ちを、延々と喋ることでごまかしていると、胸のあたりでくぐもった笑い声のようなものが聞こえる。


「ザムザ!?」

「大丈夫だよ。ボナス」


 それまでぐったりとして人形のようだったザムザの体に意志を感じる。

 どうやらザムザの意識が戻ったようだ。


「いくらなんでも心配しすぎだぞ。俺は鬼だ、そうそう死なないよ。頭を打ったせいで意識は飛んでいたが、――――もう大丈夫だ」

「ザムザ! ああ……良かった……。いや、怖かったぁ……おまえ、これきっとまた白髪がまた増えてるわ。くっそ~……本当によかったぁ……」


 ザムザは少し照れくさそうな笑顔を浮かべ、ゆっくりと立ち上がる。

 その様子に心の底から安心する。

 とはいえ、まだ全快とはいかないようで、自らの手ぬぐいで傷を押さえなおしている。

 顔色も相変わらず悪い。

 それでも、動きや喋り方はしっかりとしている。


「ああ、まだ少しふらつくな……さすがに血を流しすぎたか。だが……もう少し休めば大丈夫だと思う」

「鬼ってのはまったく丈夫だなぁ! いやぁザムザ、お前にさっきのボナスの顔を見せてやりたいぞ! お前愛されてるなぁ~」

「ああ、良くわかってるよ。ボナスすまなかった」

「あ~うるさいぞ、オスカー」


 ザムザが意識を取り戻したことで、状況を把握する余裕が出てきた。

 オスカーは相変わらずうるさいが、こいつはこいつで身を挺して俺達を守ってくれた。

 よく考えれば特別な訓練を受けたわけでもないだろうに、あの状況ですぐさま体が動くのは相当肝が据わっている。


「しかしハジムラドは……あれ任せておいても大丈夫っぽいのかな?」

「余裕そうに見えるがな! しっかし、気持ちわりぃモンスターだなぁ……」

「大丈夫だとは思うが……、俺ももう少し回復したら加勢しよう」


 三人で監視塔の陰からこっそり顔を出し、ハジムラドとモンスターの戦闘を観察する。

 ハジムラドは先ほどからたった一人でモンスターを引き付けてくれている。

 モンスターの姿形は腐肉漁りとほぼ同じ、二足歩行のオラウータンのような見た目だ。

 サイズはかなり違い、シロよりひとまわり以上大きい。

 全体的に汚らしい黒い毛の腐肉漁りと違い、全身の毛が白く、それ以上に顔の皮膚も病的に白い。

 おまけに眼球が無く、いまいち何を考えているのかわからず薄気味悪い。

 腐肉漁りは基本投擲が主な攻撃で、近づくと逃げようとするが、ハジムラドの対峙しているモンスターは近づいても逃げる様子もなく、直接殴り掛かっても来るようだ。

 異様に長い腕から繰り出される攻撃は、技術的なものはまるでなく、ただひたすら自らの暴力性に従って、拳を叩きつけているだけに見える。

 ただもちろん、その動きがいくら未熟とはいえ、巨体から放たれるその一撃は凄まじい破壊力だ。

 まともに食らえば間違いなく致命傷となるだろう。

 たまに盾越しに攻撃を受け、数メートル吹き飛ばされることもあり、見ていて不安になる。

 だが、体勢は崩れておらずその後の動きにも迷いが無い。

 そうして着かず離れず一定距離を保ちつつ、隙を見てはメイスで攻撃を返している。


「おーい、ハジムラド! 大丈夫かー!?」

「問題ない! クロ達が来るまで出てくるな!」


 実際のところはわからないが、素人の俺が見ている分にはずいぶん余裕をもって相手をしているようにも見える。

 ただハジムラドの攻撃もあまり効いてはいないようだ。

 何度かその体にメイスを叩き込んではいるが、何の反応も示さない。

 ハジムラドが言うようにザムザの体力が回復するか、クロ達が来れば簡単に勝てそうだが……。

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