第71話 イノシシ

 アジールが凄まじい形相で走っている。


「たすっ! たすけてくれえぇぇぇええ~!!」


 確かにアジールの声だ。

 あまりにも酷い顔だったので、最初だれかわからなかった。

 後ろから土煙を上げて追いかけているのは、灰褐色の巨大なイノシシだ。

 荒野にはあまり似つかわしくない風体だな……。

 エリザベスと同じくらいの大きさなので、キダナケモの中ではそこまで大きい方ではない。

 とはいえ、並みの車よりは大きく、凄まじい突進力でもってアジールを追いかけまわしている。

 巨大イノシシは、移動速度は速いが、やはり方向転換が苦手なようだ。

 アジールの顔は引きつって、顔は色々な液体でグシャグシャだが、それでもさすが熟練の傭兵。

 うまく逃げる向きを変えつつ、奇声をあげながらも、ギリギリのところで巧妙に躱している。

 だが、それももう終わりのようだ。

 クロが追い付いた。


「あ、あ、あああ、ク、クロ! たすっ! たすけてっ!」

「ぎゃう~ぐぎゃう!」


 クロは突っ込んでくるイノシシの鼻先にナイフを滑らせつつ、当たり前のように飛び乗る。

 イノシシは突如自分の背中で跳ね回り始めたクロに標的を変え、狂ったように跳ね回る。


「ぎゃっぎゃっぎゃっぎゃ!」

「す、すまん~! クロまかせたあぁぁぁぁぁ!」


 土煙を上げる巨大なロデオマシーンと化したイノシシをクロが軽やかに乗りこなす。

 アジールもうまく逃げられたようだ。

 そして、いつのまにか巨大イノシシの近くまで来ていたシロが、金棒を振りかぶり、巨大イノシシの鼻を猛烈な勢いで殴打し始める。

 シロが金棒を振るうたび、重い打撃音と共に巨大イノシシの恐ろしい悲鳴があたりに響き渡る。


「んっ!」

「ぎゃう~!」


 だが黒狼の時とは違い、力任せなだけでは無いようだ。

 よく相手を観察し、細かく立ち位置や姿勢に注意を払っているのがわかる。

 あれだけ暴れまわる巨大イノシシに近接しているにもかかわらず、全くもって攻撃を受ける気配が無い。

 しかもクロがチクチクと耳を攻撃することで、上手く注意を逸らし、その隙をついてシロが攻撃している。

 中々えぐい連携だ。

 エリザベス戦と比較し、明らかに2人の動きが良くなっている。

 毎日キダナケモを相手する中で、クロとシロの戦い方も随分洗練されてきているのかもしれない。

 これなら目を離していても大丈夫だろう。

 実際巨大イノシシの鼻は完全に潰れ、動きに怯えが見られるようになってきた。





「おーい! アジール! こっちだ~こっちこ~い!」

「ボ、ボナッ、ボナスっ!」


 一方アジールは、既に限界を迎えていたのだろう。

 情けない顔に千鳥足で、フラフラとこちらに駆けより、倒れ込むようにザムザに抱き留められる。


「はぁ、はぁ、はぁ、……で、出来れば、ギゼラかミルの胸が良かった」


 そう言われたザムザはアジールを雑に地面に落とす。

 ……意外と余力ありそうだなこいつ。


「痛てぇ……。い、いやぁ……すまんなぁ。道に迷った上、あのクソイノシシが延々追いかけてきて、死ぬかと思ったわ」

「マリーとは一緒じゃないのか?」

「ああ、俺一人だよ。ってか、クロたちに加勢しなくて大丈夫か!?」

「うん? もう終わっているよ」

「え? あれ……ああ、そうか……」


 俺達が馬鹿なやり取りをしている間に、クロたちの戦いはとっくに終わっていた。

 まだ巨大イノシシは生きているようだが、横たわり血を吐き出しながら不規則に痙攣している。

 最終的にはエリザベスが側面から突っ込んで、巨大イノシシを横転させた後、シロが肋骨の間に剣鉈を叩き込むことで、心臓に傷をつけることに成功したようだ。

 シロが血を浴びつつも、折れないように剣鉈を慎重に引き抜いていた。


「ああ~、あの剣鉈もそろそろダメかな……」

「ギゼラが作ったやつでも厳しいのか」

「まぁ普通は大丈夫なんだけどねぇ……。相手がキダナケモで、使っているのがシロだからねぇ……」

「こわい」


 黒狼との戦いではあれほど勇敢だったはずのザムザが、クロたちの戦いに完全にドン引いている。

 まぁ気持ちは分かるけどな。


「でもあの肉はきっとうまいと思うよ!」

「そうだね、解体しよう」


 ミルとギゼラがワクワクした表情で、ナイフ片手に駆け出していく。

 アジールはそんな様子を、すっかり気の抜けた様子で見ている。


「はぁ…………おまえらは何というか、相変わらずだなぁ~」

「アジール……、お前また少し老けたな。なんかあったのか?」

「ああ……、まだあれから満足に酒も飲んでないし、女も抱いてない」

「それはまぁ……かわいそうに。しかしお前なんか汚いなぁ。せめて髭くらいは剃ってもよかったんじゃないか?」

「しらん……つかれた」


 どうやら俺が思う以上にアジールは参っているようだ。

 正直こいつのことだから、サヴォイアに戻ったら、黒狼の報酬で遊び狂っていると思っていた。

 だがどうやら、そうはいかなかったようだ……。

 アジトですっかりリフレッシュしていた俺としては、何となく申し訳ない気がしてくる。

 イノシシを引っ張ってきた文句でも言ってやろうかと思っていたが、今のアジールを見ていると、さすがにそんな気分でもなくなってくる。


「まぁとりあえず一度アジトで飯食ってゆっくりしろよ」

「……そうする」

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