第3話 ぴんく
翌日、朝日が眩しくて目が覚めた。
突如強烈な光が差し込んできたので、目が焼けるかと思った。
岩壁の亀裂が絶妙に朝日を取り込む構造をしているようだ。
起き抜けから体のいたるところが痛い。
筋肉痛に加え、固い岩の上で寝たせいだろう。
とはいえ思ったよりは、まともに寝られたな。
体は冷えているが、この程度なら体調を壊すほどではない。
偶然見つけたにしては、なかなか優秀な寝床だ。
岩壁ベッドと名付けよう。
寝る前の記憶を思い起こす。
そういえば自分の名前が思い出せないのだった。
昨日は疲労のあまり深く考えなかったが、流石におかしい。
これはやはり、俺自身にも何かしらの変化が起きていると考えるほうが自然だ。
急に恐ろしくなった。
その他に忘れていることはないかな……。
――――顔が思い出せない。
忘れたのは自分の名前だけでは無かった。
あらゆる人の名前と、そして顔が思い出せない。
子供の顔すら思い出せない。
「だめだ……完全に消えている」
これまで経験したことは普通に覚えている。
ただ人の名前と顔が存在しない。
他には…………ああ、自分の年齢や誕生日も分からない。
とはいえ俺は働きだしてから結婚したはずだし、子供は大学生だった。
そう考えると、今40歳以下と言うことは無いだろう。
しかし、顔や名前の存在しない記憶と言うのは何とも気持ち悪い……。
「これは……こんなの……まるで自分の記憶じゃないようだ……」
そういえば顔と名前といえば、スマホは何処だ。
スマホがあれば写真と名前、両方確認できる。
普段は上着のポケットに入れていたはずだ。
しかし何処にもない……。
服装はあの時のままだし、鞄も持っている、時計もつけたままだ。
鞄を改めて漁ってみると、鞄に入れておいたはずのタブレットや充電器の類もない。
一方、文房具や図面、お菓子はある。あの時横断歩道で確認したものだ。
これは……。
あのとき、自分が所有しているものだと、五感を通して実感したものだけが残ったのか……。
この状況を色々推理考察してみることはできる。
だが、結局全て偶然かもしれないし、現状そのことに意味があるとは思えない。
もうこれ以上考えていても辛いし、疲れるばかりだ。
「だめだ、食い物のことを考えよう。腹減ってるしな!」
現実的な問題へ無理やり意識を向ける。
湖で汲んだ水は半分以上水筒に残っている。
鞄に入っていたおやつを漁る。
いつでもおやつを持ち歩いていた俺えらい。
チョコレートが6つと飴が4つある。
……半かけらだけ食うか。
小分けの袋からチョコレートを出す。
一度溶けた後再び固まったであろう、グニャグニャの塊が出てきた。
半分にしにくいな。
無理やり割ったら粉々になったので半分程度の欠片を集めて食べ、残りを包みなおす。
「うん、うんまい」
とはいえ流石に腹は全然膨れんな。
1食半かけらで4日か。
どう考えてもカロリー不足。
結局何かここで食べ物を調達しなければ先はない。
「とは言え、やばい生き物が多すぎるんだよなぁ…………」
あいつら図体がでかいので、居場所はすぐにわかる。
だから逃げ隠れするだけなら意外といけると思う。
だが潜んでいるやつや、飛んでいるやつがいた場合、対応が遅れそうで怖い。
こういう時はなるべく無理せず、じっくりと観察し、習性を理解すべきだろう。
ただし、環境的には果物か木の実は見つけられそうだ。
もちろん、収穫できたとしても、それが体にどういう影響があるのかはわからない。
まあそんなの見つけてから悩めばいいか。
「よーし! 探しに行くか……」
体は痛いが、動けるうちに動かねば。
まずは水分補給と荷物整理からだな。
水筒のコップにちょろちょろ水を注いでいると、突如尿意に襲われる。
この場所はとりあえずとはいえ寝床だし、汚したくはない。
亀裂の外で用を足してくるか――――。
――――帰ってくると、小さなトカゲと目が合った。
俺の水を今まさに飲もうとしていたようだ。
「ぬぇぉ!?」
思わず変な声が出た。
綺麗なピンク色のトカゲで、口を半開きにして、こちらを見て固まっている。
頭の先から尻尾の先まで7センチくらいだろうか。
この亀裂の先住民かもしれない。
湖で見た大型の生物たちは、どこか狂気を感じたが、このトカゲからはそういうものを感じない。
しばらく様子を見ていると、なんだか困っているような顔に見えてきたので、思わず声がでた。
「よければ、水をどうぞ…………」
声をかけると、目をきょろきょろさせて、ゆっくりとコップに顔を戻す。
そして顔を水に近づけ、ちっちゃい舌をペロンペロンと出しながら水を飲んでいる。
「……かわいらしいじゃないか」
しばらく様子を観察していたが、コップの前から動かないので、放置して荷物整理をする。
とは言っても、持ち歩いても仕方のない書類や文房具を鞄から出すだけだ。
一応手帳と鉛筆は持ち歩くか…………。
そうこうしていると、いつの間にか水を飲み終えたトカゲがこちらの間近まできて観察している。
慣れるのえらくはやいな……。
荷物の間をウロチョロしたり鞄に入ったりしている。
「やはり……中々かわいらしいではないか……」
しばらく物珍し気なトカゲの様子を見ながらゴロゴロしていると、体の上を這いまわるようになってきた。
こいつ毒とか持ってないよな…………?
「よしー名前でも付けるか!」
ジャケットのポケットから顔を出したり引っ込めたりして遊んでいるトカゲに声をかけると、こちらを見た。
何がいいかなー。
名前決めるの苦手なんだよな。
これまでの経験上、俺が頭をひねって時間をかけて考えた名前ほど、評判は悪い気がする。
こういうのは安易であればあるほど、結局おさまりがいいに違いない。
「よし! お前の名前は…………ぴんくだ! よろしくぴんく~」
声をかけて反応を見ていると、気だるげに手を挙げた。
……こいつ分かって反応しているのかな。
流石に脳の大きさ的にありえないか。
いずれにしろ、こいつとは仲良くできそうな気がしてきた。
明日には毒殺されて、食われるかもしれんが。
まぁ、そうなったとしてもやむなしだ。
俺はいい加減、話しかける相手が欲しいのだよ。
この機会に手っ取り早く自分の名前も決めてしまうか。
仮でも自分の名前が無いと、なんだか気持ち悪い。
ジャケットのポケットからポケットへ移動して遊んでいるぴんくを見ながら考える。
今の自分を表すのにしっくりくる言葉はなんだろう。
2度目の人生かな……。
正直、これまでの人生は一旦終わったくらいに考えないとやりきれない。
別にこれまでも華々しい人生ではなかった。
それでも、地味に青春して、不器用なりに仕事して、不格好だが恋愛結婚して、未熟な父として子供も必死に育てたのだ。
そんな人生の連続線上に、今の状況があるとは考えられないし、そう考えると色々耐えられなくなる。
俺を妻や子供たちのもとに返してくれと叫びだしたくなってしまう。
それが意味の無いことだとわかっていても。
それならばいっそ、自分の人生は一度終わったものとして、今は新しい人生を生きたい。
そういう意味で、これからは2度目の人生……というかオマケの人生くらいに考えると前向きになれそうだ。
もういい年だし、こんな環境じゃどうせ長生きは出来ないだろう。
明日死んでもおかしくはないんだ。
だからやっぱりオマケの人生がふさわしいかな。
おまけ、ボーナス……ボナスにするか。
少し間の抜けた感じがするのも自分らしくていい気がする。
「ぴんくー! 俺の名前は…………ボナス! よろしく!」
おおっ、また手を挙げた。
こいつマジで賢いのかもしれない。
さて、いい加減食い物探すか。
「ぴんくさんや。俺は食べものを探しに行ってくるよ。出来ればまた遊びに来てくれよ」
そう声をかけると、ぴんくは頭を上下に動かしたあと、少しその辺を這いまわり、最終的に胸ポケットに収まって顔だけ出した。
ついてくるのかよ。
まぁいいか。連れてこう。
ということで、コソコソと移動を始める。
ここと湖の間をひとつの軸として、少しずつ探索範囲を広げるようにしよう。
「意外と狭いんだよな~」
4時間ほど徘徊すると、おおよそこのクレーターの全体像が何となくつかめてきた。
その結果わかったことがいくつかある。
ひとつは思った以上に収穫物が期待できそうだということ。
昨日クレーターを外から一周したので分かってはいたが、どうも湖は湧き水によるものらしい。
クレーターの外からは、水が注ぎ込んでいる様子は一切見られない。
さらにどうも、湖以外にも水が湧き出している場所がいくつかあり、小さな泉になっている。
ここは大型の生物もいないので、生活用水に利用しやすそうだ。
植物は岩壁の周りにはほとんど生えておらず、クレーターの中央に向かうほど多い。
つまり湖に近いほど植物が繁殖している。
そして植生はかなり豊かで、色々な種類の実がなっている。
水場に様々な生き物が集まり、糞や付着物として色々な種がこの場所に集まってきた結果なのかもしれない。
とりあえず手の届く範囲で一番簡単に収穫できそうな柑橘類の実を採取しておいた。
ちなみに採取には鉛筆削り用のナイフを使用した。
鉛筆愛用派で良かった。
年のせいか、濃い鉛筆が肩もこらず一番楽なのだ。
というわけで、折り畳みナイフを使えるのだ。
この環境だと、簡単なものであっても、ナイフはほんとうに助かる。
収穫した柑橘類を手に持って観察していると、ポケットからぴんくが顔を出し、クンクンしだす。
皮をむくと期待どおり柑橘類特有の爽やかな香りが広がる。
これは期待できそうだ。
香りだけで口の中に唾液があふれてくる。
と思ってたらぴんくが、ずぼっと頭を突っ込んだ。
そのまま抱き着いてぐじゅぐじゅ食っている。
「…………まぁこれは食べても大丈夫そうではあるな」
改めて別の実を鞄から出して食べてみる。
甘酸っぱくて普通に美味しい。
「うめぇうめぇ」
この味食べたことあるな。
ちょっと違うが、とりあえずオレンジと呼んでおこう。
いくつか採取し持って帰ることにする。
まだぴんくは頭突っ込んでもぞもぞしているな。
窒息するなよ。
探索したことで、生物についても少しだけわかってきた。
多分超大型のやばい奴は基本的にこのクレーター内に住んでいるわけではない。
ワニもどき以外。
超大型種の体格から考えると、このクレーターはどう考えても手狭だ。
クレーター外から水を求めてやってくるようだ。
さらに奴らは基本単独行動をしている。
水場で鉢合わせると、同種であっても狂ったように襲い掛かる。
ジャコウウシもどきが、鉢合わせた同種を殺しにかかっていた。
どうやって繁殖しているんだろう……。
あとは全体的に狂気を感じる。
異様なほど攻撃的だし、目が逝ってる。
普通の生物の振る舞いとしては異常なものを感じる。
ただしあまり小さい生き物の動きには関心が無いようだ。
湖で観察していた時も、たぶん俺の存在には気づいていたと思う。
けれど、離れて縮こまっている限り、襲い掛かってくることはなかった。
まぁ、たまたまかもしれないが……。
そしてぴんくのような小型の生き物は、実はたくさんいることがわかった。
ただし大型の生物を恐れてか、ひっそりと隠れて暮らしているようで、かなり見つけにくい。
たまに遠くのほうで小さい生き物が飛び跳ねていたり、岩壁を移動しているのを見かけたりする。
一方イノシシやシカ、タヌキのような中型の生き物は今のところ見ていない。
確かにこの狭いフィールドでは繁殖して群れをつくるには狭いだろう。
昆虫は大抵潜んでいるようで、中々見かけないが、実際は結構いるようだ。
たまに樹皮にへばりついてもぞもぞしている甲虫を見かけたりもした。
花が咲いている木に近づくと、結構ブンブン激しい音が鳴っており、恐怖感を覚える。
ハチのように刺すのかは分からないが刺激しないでおこう。
ただし夜に鳴くタイプの虫はいないようだ。
そして、鳥たちだけは比較的見慣れた姿をしており、水場で自由に暮らしている。
焼き鳥が食いたい。
さて、日も暮れてきた。
水を補給して岩壁ベッドに戻るか。
用心しつつ湖に行くと、昨日のカバの死体が転がってた。
近くで見るとえらく大きいな。
大型ダンプカーくらいの大きさだ。
後めちゃくちゃ獣臭い。
これ食えんのかな。
半身水につかった状態だ。
ワニもどきは来ないのかしら。
今は周りに大型の生き物はいなさそうだ。
離れた場所でさっさと水を汲む。
試しに皮膚をナイフで突き刺してみる。
「固いなぁ。これじゃナイフがダメになる」
まるで刃が通らない。
このナイフじゃ無理だな。
何処か弱いところがないか突っつきまわしていると、背中のはんぺんみたいな羽のところだけ柔らかいことに気が付く。
「おお~ここは刃が通る。切れそうだ。」
よし、はんぺん肉2個ゲット。
脂っぽく、べとべとする。
せめて手を拭けるような布が欲しいなぁ。
湖でちゃぷちゃぷ洗っていると、湖の中央からワニが顔を出した。
「うわわっわああああわわっ」
全力で逃げだす。
心臓止まるかと思った。
怖すぎる。
早く帰ろう。
一度岩壁ベッドに戻り、荷物を置く。
再度木の枝を拾いに行く。
火をおこして大丈夫だろうか…………怖いな。
夜の火は目立ちそうだし止めとくか。
よし、明日だ。
岩壁ベッドに腰掛けると急に疲れが押し寄せてきた。
もうあまり目を開けていられない。
収穫してきたオレンジを食べて寝た。
風呂に入りたいなぁ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます