第51話 村の状況
それから暫く、村長の話を聞く――。
やはり状況は想定していたものより、はるかに悪いものだった。
始まりは今から2週間前。
タミル山に近い村のはずれで、放牧していた子ヤギが黒狼に襲われる事件があった。
これまでも黒狼は定期的にタミル山脈から降りてくることはあったらしい。
なので今回も、いつものように村の男たちで協力し合い、何とか山へと追い払うことに成功した。
村人たちは当初、これで安全な暮らしが戻ってくると考えた。
しかし、その予想はすぐに裏切られることとなる。
まずは黒狼を追い払った日の夜、村の周囲で遠吠えが延々聞こえた。
さらに次の日、ある村人が、放牧を再開するか検討するために山へ向かうと、遠くからこちらを見ている黒狼と出くわし慌てて村へ戻った。
そして日を追うごとに、村の周囲で黒狼を見かける頻度が増加し、さらに黒狼たちの振る舞いも大胆になっていった。
それでも、その時はまだ村人たちも楽観的に考えていた。
今回はたまたま悪いことが重なっただけで、時間が経てば事態も治まっていくだろうと。
だが子ヤギが襲われてからちょうど1週間経った頃、ついに村の子供が犠牲になった。
村のはずれで子供達だけで遊んでいたところ、山から狼の群れが降りてきて、一番足の遅かった子供が噛み殺されたのだ。
すぐさま怒り狂った両親が中心となり、多くの村人を集め、大規模な山狩りが計画された。
痛ましい犠牲者が出てしまったが、さすがにこれで一気に片が付くだろう。
当初村人たちは皆そう考えていた。
だが、結局山狩りは直ぐに中止となる。
計画を立てた夜、大胆にも村に入り込んだ黒狼の群れが、家畜を殺して回るという想定外の事件が起こったのだ。
村人たちは一気に混乱し、恐慌状態へ陥った。
これまでどんなに黒狼が恐ろしいといえども、村の中にまで来ることなど一度も無かったからだ。
いよいよ事態を重く見た村の顔役たちは、村中の木材を集め、バリケードを築き見張りを立てた。
村人の日常生活は一変した。
古い家は解体され木材となり、山の麓で育てていた野菜や果物の収穫はすべて休止せざるを得ない状況となった。
家畜たちもほとんどが潰され臨時の食糧となった。
さらに村の中で力が強いもの、傭兵経験のあるものが集められ、持てる限りの武器を手に、本格的な黒狼の討伐の体制を築いた。
それから毎日、ヴァインツでは夜になると、不吉な遠吠えが響き渡るようになる。
黒狼の遠吠えは、遠くから聞こえる時もあれば、直ぐ近くで聞こえることもあったようだ。
村人たちはあまりの恐怖に、まともに寝られなくなり、村全体が重苦しい不安に支配されるようになっていった。
昼には村の討伐隊で村の周りを歩き回り、何匹か黒狼を倒すことにも成功してはいる。
だが、夜に見張り台から見える狼たちの数は日を追うごとに増えていき、数日もすると目視できるだけでも100匹を超える頭数が確認されるようになった。
これは、到底村で対処できる問題の範疇ではないと考え、領主に泣きつくこととしたらしい。
そして今現在、日中でも東側の柵周りを複数の黒狼たちが常時徘徊しており、村の討伐隊も下手に手が出せない状況にあるようだ。
さらに夜になると300を超えるほどの黒狼が見られるとのことだ。
もはや柵の外に出で、食物を収穫することも全く出来ず、村人全員で限られた食料を分け合い、何とか食いつないでいるらしい。
まぁそれは暗い顔にもなるよな……。
「とりあえず、今夜中に柵周りの掃除を一度終わらせる」
マリーが村人の不安を払しょくするように、そう村長に宣言する。
説明も終わり、改めて自分たちの厳しい状況を確認したことで、死にそうな顔をしてうつむいていた村長が、すがりつくように顔を上げる。
「おお! それは助かります。……徐々に食料も減ってきており不安だったのです」
「ただ……たとえ今晩黒狼を一掃したとしても、暫くは様子を見るべきでしょう」
「では、柵からはまだしばらく出ない方がよろしいのでしょうか?」
「ええ。自然に黒狼がこんな数群れることはあり得ない。何か人為的な操作がされていることは間違いないでしょうから……」
「それはタミル帝国の……」
「それはわからない。憶測でものは言えません」
「し、失礼しました……。それでは食事をお持ちします」
村長のマルスはとぼとぼと奥に引っ込み、代わりに娘と思われる女性が簡単な食料を運んできた。
思いがけず魚の干物が出てきた。
個人的にはとても嬉しいのだが、みんなの反応はそこまでよくない。
クロだけは骨ごと美味しそうにバリバリ食っている。
「ボナス、お前魚食べるの上手いな。沿岸部の出なのか?」
「そういうわけでもないんだけど、魚は結構食べなれてる方なんだ」
みんな食べにくいようで、ぐちゃぐちゃと身をほじくり返している。
食べなれていないと面倒くさいよな。
俺も子供のころそうだった気もする。
意外なことにシロだけは丁寧に骨と身を綺麗に分けている。
それにしても黒狼かぁ。
今晩見ることになるのだろうか。
後で見張り台に登らせてもらおう。
「夜中に出るのは私とアジールだけでもいいのだけれど……、一応クロも来てくれるかしら?」
「クロ?」
「ぐぎゃあ?」
「クロだけは私でも実力が掴めないのよ」
「ん~ちょっと一人で行かせるの心配だなぁ。300匹くらいいるんでしょ? う~ん」
「クロなら大丈夫だよ」
シロが当然のことのように言う。
まぁクロの実力も黒狼についても知っているシロが言うなら大丈夫なんだろう。
ギゼラは全く心配した様子もなく、眠そうに目をこすっている。
「わかった。じゃあクロ、怪我しないようにね」
「ぐぎゃう!」
「俺も行く」
「じゃあこの4人で行きましょうか。これで全て片付けばいいのだけれど、多分そうはならないでしょうね」
「300匹だとしても、どのみち全ては倒しきれないだろう。黒狼もある程度劣勢になったら逃げていくだろうし」
アジールも大して気負った風でもないところを見ると、そこまで危険は無さそうだ。
面子集めしている時の方が、遥かに追い詰められた顔をしていた。
まあエリザベスとの戦いを見ている限り、クロがやられるところは想像できない。
ただ実際に300匹の狼と戦うのがどういうことなのか、イメージが全くわかないので不安に感じる。
「とりあえず柵の周りを簡単に確認して、早めに寝て、体を休めましょう」
村は直径200メートルもないので、あっという間に確認も終わる。
柵をよく見るとやはり急ごしらえなせいか、構造的に弱そうな場所が結構あるな。
所詮掘っ立て柱に板や端材を麻紐で括り付けているだけなので仕方がないか。
隙間だらけで何とも頼りない。
風にあおられガタつく様子を見ると不安になってくる。
シロなら一撃で粉砕できそうだ。
とはいえ今のところこれが現状できることの限界なのだろう。
宿に戻り、ボロボロの小屋の板の上に転がって雑魚寝する。
日はまだ出ているが、久しぶりに長距離歩いたせいかすぐに眠気がやって来る。
何かあればクロが起こしてくれるだろう。
夜ふと目が覚める。
体にじっとりと汗をかいている。
この村はサヴォイアとは違い、湿度が高く、やや蒸し暑い。
寝苦しく感じる。
もうあたりはすっかり暗い。
だが、まだ起きる時間ではない。
遠くから、話に聞いていた遠吠えの声がうっすらと聞こえる。
何とも不気味な声だ……。
皆を起こさないよう、静かに体を起こし、手ぬぐいで汗を拭く。
そうしていると、ふと暗い室内で何かがうごめき、音もたてずに近寄ってくるのを感じる。
一瞬驚き緊張するが、直ぐにそれがクロだと気が付き力が抜ける。
クロは水を持ってきてくれたようだ。
ありがたい。
だが皆が寝てる中、喋るわけにもいかず、目で感謝を伝える。
いつも賑やかなクロも今は何の音も出さずに、静かにほほ笑む。
何となく先ほどまでの不安な気持ちが溶けていくような気がする。
寄り添うように座っていたクロが、おもむろに俺の頭を掴み、そのままゆっくりと膝に乗せる。
クロに膝枕してもらうのは初めてかもしれない。
小さな体だ。
あまりにも何でも上手くこなすせいで、ついそのことを忘れてしまう。
暗闇に目が慣れてきて、俺の顔を覗き込むクロの顔もこの距離だとよく見える。
クロがまだ怖い顔をした小鬼だった頃からそうだったが、こいつとはただじっと見つめあっているだけで、なぜかお互いの気持ちが伝わっていくような、不思議な気持ちになる。
そうやってしばらくクロの美しい瞳を見つめているうちに、気持ちが落ち着き、いつのまにか再び眠りについていた。
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