第119話 ラウラの気持ち①
ボナス様たちがアジトと呼ぶこの場所は、とても不思議なところです。
サヴォイア領では考えられないような豊かな水や植物があるだけでなく、魔法使いの私ですら理解できないような、多くの魔法が当たり前のように、そこかしこで生じているのを感じます。
この場所に暮らす無数の生き物たちは、実に巧みに魔力を扱います。
無秩序な魔力の揺らぎから新たな秩序を織りなすような……そんな奇跡的なことを、日常の営みとしてあたりまえに行っているのです。
その様相は、この緑と水の楽園の風景と相まって、ほんとうに神秘的な美しさです。
それらと比べると、私達魔法使いが普段得意げに魔法と呼んでいるものが、どれほど粗野で稚拙なものか……なんだか恥ずかしくなってくるほどです。
推測の域はでませんが、ここで暮らす動物や虫、植物はほぼすべて異界から来たものか、あるいは私のように、現地の生き物と混じり合ったものの末裔なのでしょう。
魔法を使えるかぎりにおいて、それが使えない者との生存競争に負けることは考えられません。
ほぼすべての生き物は何らかの形で魔力を利用しており、生存競争に勝ち残った末に、この場所に根付いたのでしょう。
ですが逆に、ここに暮らす生き物たちは、この場所を離れれば生きていくのは難しいでしょうね……。
最適化した環境があまりにも特殊すぎます。
魅力的な果実や野菜、その他食材となりそうなものもたくさんありそうですが、残念ながら外へ持ち出したからと言って、この場所と同じように育てることは難しいでしょう。
そういえば……、あの色とりどりの果物も、後で食べられるのかしら。
ともかく、地獄の鍋の魔力的な性質はあまりに特殊過ぎて、私達の理解が及ぶところではありません。
過去の探索隊の記録からも、なんとかこの場所の特殊な魔力を活用したり、キダナケモ含め新たな資源を開拓しようと試みたこともあったようです。
ですが、その全てがことごとく失敗しただけではなく、あるものは呪いのようにこちらへと牙を剥くことになったようです。
その記憶は、私達貴族にトラウマとして深く刻み込まれています。
それゆえ私達魔法使いは地獄の鍋に対して、自分達のルーツにして禁忌という、複雑な思いを抱いているのです。
ですが実際、このような懐かしさのようなものを感じるとは、自分でも驚きました。
あくまでルーツとは言え、それは歴史的な経緯であり、物語上の郷愁のようなものにすぎないと思っていましたから。
ですが実際に感じたのは、もっと生々しい実感を伴ったものでした。
私は自分が考える以上に、キダナケモに近い生き物だったのかもしれません。
この場所の生き物たちが作り出す、独特の魔力の秩序に、どこか懐かしさのような感情を覚え、心地よく感じてしまいます。
「ぐぎゃう~? ぎゃうぎゃう~!」
「揚げたてだから、美味しいと思うよ!」
「あっ、ありがとうございます」
ですがまぁ――――とにかく今はこの目の前の唐揚げという食べ物に集中しましょう。
見た目はとても美味しそうで、香りも素晴らしいです。
それにこれまでボナス様たちに作っていただいたものは、すべて美味しいものばかりでした。
海で釣ったはじめて食べたお魚も、それは素晴らしいものでした。
しかし、問題は…………これがキダナケモのお肉であるということです。
大型のキダナケモを見たのは、エリザベスさんがはじめてでした。
私は多くの文献を通してキダナケモを理解していたつもりでした。
それほど心配していたわけではありませんが、それでも最悪の事態も覚悟していました。
記録に残っているすべての遠征の結末は、凄惨なものばかりでしたから。
ですが、それ程の覚悟をもってしても、実物はあまりにも強大でした。
生物として隔絶した存在感にわたしは…………。
いえ、忘れましょう。
エリザベスさんとも今は仲良くなれました……幸せです。
ともかく、目の前の唐揚げという料理です。
キダナケモに食べられることは想像しても、まさか食べることになるなんて。
本当に大丈夫なのかしら……でも、おいしそう……。
「うめぇな! ああ~やっぱこれうまいわ。いくらでも食えるぞ!」
「オスカー落ち着けよ。おまえさっきまで散々バナナ食い散らかしてただろうに……。あ、ラウラも遠慮せずに食べてくれよ。まぁ唐揚げが苦手だったら、他にもいろいろあるし。ミルが本気で作った料理はマジでうまいから」
「あ、ありがとうございます! で、では! ――――はぅっ!」
なにこれ……。
美味しすぎます……。
カリッカリのジュワジュワじゃないですか。
それにお肉が柔らか~い。
キダナケモのお肉ということで、ナイフ無しで噛み切ることができるか心配していましたが、まったくの杞憂でした。
お肉から染み出る香ばしく、味わい深い脂がお口の中を蹂躙していって……。
一噛みするたびに、お口の中に広がる濃厚なお肉の味に、なんだか背中がムズムズします。
「ボナスさん。これはダメですよ。こんなの作っちゃだめじゃないですか……なんてもの食べさせるんですか。どうしてくれるんですか……まったくもう……んあむっ」
「え、あ、う、うん……ああ、まぁ落ち着いて食べような~。まだまだいっぱいあるから。食べ方がエッダと同じレベルになってるぞ~」
「――――だって、こんなに美味しいのですもの! 仕方ないじゃないですか……」
それにしてもいくらなんでも美味しすぎる気がします。
一応私も貴族なので、世間で美味しいと言われているお肉も、それなりに食べてきたつもりです。
それでも、これまで食べたことのある一番おいしいお肉でさえ、今食べている唐揚げの足元にも及びません。
食感も味も、香りも後味も何もかもすべてが素晴らしいです。
体に染み渡るような美味しさで、もう食べるのがやめられません。
何か魔法にでもかかっているのでしょうか。
実際キダナケモですし、ありえますね……。
この美しい景色の中、こんなおいしいものを食べて……なんだか大体のことはどうでもよくなっちゃいます。
「ああ~、コハクちゃん可愛いし、エリザベスさんは綺麗だし、木陰は気持ちいいし、ご飯も美味しい……」
「ぅにゃう?」
「メェェ?」
「ラウラさん顔がとろけ切ってるね~。私の料理もなかなかでしょ? 唐揚げ以外も結構おいしくできたと思うから、どんどん食べてね」
「ミルさん凄いです! あっ、今日のパンはなんだかとっても香ばしい……、いつもと何か違います?」
「ああ、そうだよ。ヴァインツ村だとあまり砂糖は使わないようにしているけど、アジトでは自重する必要も無いしね。それに今日のはエリザベスのミルクやアジトのハーブなんかも使ってるんだ。あと、最後にフルーツケーキもあるから、食べ過ぎないようにね!」
「なっ、なんてことを……ボナス商会は恐ろしいです……。私のお腹を爆発させるつもりですね」
ひたすら唐揚げに夢中になっていましたが、よく見ると他にもおいしそうな食べ物に囲まれています。
どの料理をどれだけ食べて……、さらにデザートの分どうやってお腹を開けておけるか、綿密に計算しなくちゃ……。
そんなことを考えていると、ふとギゼラ様の様子が目にとまります。
パンに切れ込みを入れ、その隙間に唐揚げと野菜を挟み込み、最後にハーブのようなものを振りかけて……。
「美味しそう」
「あっはっはっは、いいよ~半分あげるね」
「あっ、ご、ごめんなさいね。あまりおいしそうでつい……。でも、正直なところ半分いただけるのはとても助かります!」
「うん? ああ、おなかいっぱいになりすぎちゃうもんね~」
「そうなんです! 美味しいものが沢山ありますし、デザートも楽しみで……」
「あっはっはっは、ミルちゃんがつくるやつは、と~っても美味しいからね。期待していいと思うよ~」
「たのしみです!」
ギゼラ様はナイフを素早く走らせると、綺麗に半分になったパンを渡してくれます。
すでにかなりの量を食べたはずですが、唐揚げの切断面から湧き出る肉汁がパンへ染み込んでいくのを見ていると、あらためて食欲が刺激されます。
「ギゼラ様、ありがとうございます! ボナス商会の皆様は本当にやさしく、一緒にいて心地良い人たちばかりですね~。それにしてもまさか、地獄の鍋でこんな幸せな時間を過ごせるなんて、ほんとうに不思議です…………。妹達が嫁いで以来、こんなに幸せな気持ちになったのは初めてかもしれません」
「そう言ってもらえると、俺も招待したかいがあるよ。でも、うちの露店でコーヒー飲んでいる時も、結構楽しそうに見えたけども」
「そうですね! 今はメナス様はじめ素敵な方々と知り合うことができました。ボナス様たちとお会いするまでは、とても考えられなかったことですね」
「そんなに憂鬱な暮らしをしていたの?」
「いえ、そう言うわけでは無いのですが……。ただ貴族として、私の人生はいろいろな意味で終わっていましたから……」
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