第120話 ラウラの気持ち②
思えば私の人生で、貴族として産まれて良かったことは、これまで何も無かったような気がします。
とくに人が集まる場所では、居心地の悪い思いをしてきました。
貴族が集まるような場所では、まともに会話できない変な奴として浮き、平民に混ざれば魔法使いとして恐れられます。
もちろん友達なんてできるはずもなく、それなりにいじめられたこともありました。
それでも家族仲は良い方ですし、十代の頃は才女ともてはやされたこともありました。
そう考えると、貴族として終わったと言えるような状況になったのはやはり、結婚に失敗したのが致命的だったのでしょうねぇ……。
「私は二十歳でそれなりに有力な貴族家から結婚を申し込まれました。相手は三つ年下でしたが、評判の良い貴族家で、経済的にも豊かであり、私の家族にとっても大変有意義なものとなるはずでした。ですが……、貴族同士の付き合いが全く不得意だった私は、夫やその両親の期待にまったく応えられず、わずか一年で実家へと送り返されることになりました」
「俺から見ると、ラウラはそれほど人付き合いも苦手には見えないんだけどなぁ~。少なくとも俺は話していて楽しいし」
「ボ、ボナス様……、ありがとうございます。貴族のコミュニケーションは特殊ですからね……。私も一応駆け引きじみたやり取りを理解はできるのですが、意味を感じられなくって……。そう言うタイプの人を相手にすると流暢に喋れなくなってしまうのです。それに、そうでなくても考えたことをそのまま喋ってしまう私のようなタイプは貴族としてはダメなようです」
「ああ~……」
「最初は寛容だった夫の家族も、お茶会やパーティーでの私の振る舞いに落胆していき、いつの間にか声がかかることもなくなっていきました。最終的にはあの屋敷では、使用人さえも私には声をかけなくなりました。それでも……子供ができればまた違ったのかもしれませんが、ど、どうやら私は女としてあまり魅力も無いようで、夫も積極的では無く…………」
「いやいや、ラウラはラウラで結構グッとくるものがあるよ! 魅力的だって! 俺なら喜んで手を出しただろうけどなぁ~。まぁまだ相手の男は子供だったんだろうさ」
「ボナス?」
「え? いやっ、シロ。これは仮定の話だから!」
ボナス様は私を気遣って、あのように言ってくださっているのでしょう。
つい嬉しくなってしまいますが、……少しはずかしいですね。
顔が赤らんでいなければいいのですが……。
ですが、あまり真に受けてはいけません。
もう少し若ければまだしも、私もそれなりの年齢ですし、何より私自身、あまり自分のことを魅力的だとは思えません。
少なくとも普段ボナス様の周りにいるシロ様やギゼラ様、それにクロさんを見ていると……自信は持つのはなかなか難しいです。
「そうして、期待に応えられないストレスと引きこもりがちな生活のせいか、徐々に食欲もなくなり、当然そうなると体の調子も悪くなっていきました」
「長い間そんな状態が続くのは、確かにしんどいねぇ……」
「ですが、求められていたことは貴族としては当たり前のことですから……、夫の家族もずいぶん困惑したと思います。そして私が嫁いでちょうど一年が経とうとするころ、ついに健康状態を理由に実家へと送り返されることになりました」
「その時点で離婚に?」
「当初様子を見つつ療養のためということでしたが、実家へと戻り、さらに一年が過ぎようとした頃、いつのまにか私達の結婚は無かったことになり、夫だと思っていた人は別の女性と結婚していました」
「おぉ……それはまた何とも……」
話を聞いていくうちに、ボナスさんの眉毛がどんどん八の字になっていきます。
本来こんな話をする必要も無いのですが……、なんとなくボナス様にはわたしのことをきっちりと知ってもらいたいような気がしたのです。
それにしても、ここまでしっかりと身の上話をするのは初めてかもしれません。
当時の気持ちなどを思い出して、少し苦しい気もしますが、それと同時に心が少し軽くなるような気もします。
「ですがそれを聞いた時、私はずいぶんほっとしたものです。やはり向いていなかったのでしょうね……。それに結局のところ貴族としての責務を果たせなかった私が悪かったのです。今ならもう少しうまくやれたかもしれませんが、当時の私は本当にダメで……。夫となった方が再婚できたと聞いて、むしろ肩の荷が下りたような気持ちになりました」
「なるほどねぇ……。それからはずっとサヴォイアで?」
「ええ、そうですね。年齢的にはまだ再婚もできたのですが、ずいぶん色々な噂が広まっていたようで、それ以降縁談の話もなく……」
「個人的には向いていないならば無理に結婚する必要も無いと思うけど、貴族の価値観としてはそうならないんだろうなぁ。でも王国の婚姻制度は意外と柔軟そうではあるな……。あ、そういえば領主様に後継ぎは?」
「お父様は王弟なので、貴族としての格は高いですが、一代限りの辺境領主に過ぎません。王の兄弟は昔から役回りが決まっているのです。そしてその子供、つまり私のような人間は、基本的にどこか別の貴族に嫁ぐか養子となります。実際血筋的にはとても条件が良いので……、わ、私のような場合を除き、縁談は組みやすいようです。ですがもし、両親が亡くなった段階で、その子供が未婚の場合は、王都で領地を持たない官僚貴族となります。ですが……私はどうなるのでしょうねぇ……」
考えると憂鬱になってきます。
王都で官僚貴族なんてやりたくありません。
官僚といったところで、実際に仕事を割り振られることはなく、ただ年金をもらいつつ、細々と生きていくだけになるでしょう。
それでもわたしの社交能力が人並みに高ければ、都市での暮らしを楽しんだり、社交界で人脈を作り、妹や両親の手助けも出来たかもしれませんが……。
「両親が元気な間は、今のようにサヴォイアで暮らせるのですが、それ以降はどうなるのか、私にも正直よくわかりませんし、あまり考えたくありません…………ああ、コハクちゃんはどこでしょう?」
「ラ、ラウラ、大丈夫だよきっと。ほ、ほら~、コハクはここだぞ~!」
「んみゃ~ぅ?」
コハクちゃんはボナス様から茹でたお肉を貰っていたようですが、自ら私の膝へと歩いてきてくれます。
そうして私の膝に前足をのせ、まんまるな瞳で問いかけるように、私の顔を覗き込みます。
産まれて間もないと聞いていますが、とてもそうは思えないような知性とやさしさを感じます。
それにしても……あぁ、何て可愛いのかしら。
もしこの子が一緒にいてくれさえすれば、王都に限らずどんな場所だって、それは幸せに暮らしていけるでしょう。
だけれども、彼女をこんな素敵な環境から引き離すようなことを願ってはいけませんね……。
「さぁ! パウンドケーキだよ! バナナとフルーツミックス、蜂蜜とチョコレートだよー!」
「切り分けるからテーブルを開けてくれ」
ミル様とザムザ様がそう言って、片手に大きなケーキを一つづつ、全部で四つも運んできてくれました。
信じられないほど甘く蠱惑的な香りに、思わずといった感じで、周りからは歓声が漏れます。
もちろん私も……恥ずかしくなるくらいの声が出てしまいます。
ちなみに作っている様子もしっかりと見ていました。
あれほどおいしそうな果物やチョコレートに蜂蜜、そしてたくさんの砂糖を使っているのですから、美味しくないわけがありません。
目の前のお皿に取り分けてもらうまでの時間がとんでもなく長く感じられます。
そうして四種類のパウンドケーキが綺麗にお皿の上に並んだ後は、もう私は自分を止められませんでした。
ただひたすらに貪るようにケーキを口へ運び続け、コーヒーが運ばれてくるまでのわずかな時間で、それなりの量あったはずのケーキを半分が消えていました。
「――――はぅっ……ああっ……これは、これはもう……」
「バナナはケーキもうまいな!」
横でオスカー様も何か叫んでいるようですが、気持ちはよくわかります。
私もこのケーキのおいしさをうまく言葉にできず、思わず叫びだしそうになります。
あれほどたくさんのお料理を食べたにもかかわらず、手が止まりません。
もちろん甘いものは大好きですが、これはそんな単純な話では無いのです!
少し硬くなった表面のザクザクとした食感と、中のしっとり柔らかなスポンジの絶妙なバランス。
そして果物やチョコレート、蜂蜜などの素晴らしい風味。
そういったものが、砂糖のしっかりとした甘さに、深みをもたらしているのです。
やはり、地獄の鍋の底で育った植物は何か違うのでしょうか。
脳までとろけそうなケーキの美味しさに、全身が痺れるように歓喜しているのを感じます。
しかも恐ろしいことに、クロさんが淹れてくれたコーヒーを一口飲むと、強い風味と苦みが口に残る余計な甘さを洗い流し、深い余韻とともに再度口内をリセットしてくれます。
そしてまた気が付くと、いつのまにかケーキへ手が伸びてしまうのです。
しかも、お替りもまだまだたくさんありそう……。
もういっそこのままお腹が破裂してもいいような気さえしてきます。
「なぁミル、今回のケーキはとりわけ美味しいなぁ」
「それはまぁ、日々改良していってるからねぇ。それにアジトだと食材を遠慮なくつかえるから」
「こんなの食べちゃったらもう……」
憂鬱だなんて言ってる場合じゃありませんね。
お父様が戻られて、領主代行のお仕事が終わったら、なんとしてもここに住みたいです。
貴族がどうとか慣例がどうとか、そんなことを言っている場合じゃありません。
現に目の前の景色を見れば、すでに常識なんてまったく意味をなしていないではありませんか。
強大で危険なキダナケモが皆を守るように寝そべり、そこへもたれかかるように美しく洗練された鬼女が二人、優雅に微笑みを浮かべています。
そして、一般的には粗暴なはずの鬼男が、なぜかエプロン姿で大人しくドワーフを手伝っています。
さらに、モンスターであるはずの小鬼が人間と仲良く肩を並べて、まるで恋人同士のようにお互いにケーキを食べさせあっています。
そんな様子を眺めている私の腕の中には、信じられないほど可愛いキダナケモの子供がいます。
この美しくも非常識な日常の景色はあまりにも魅力的すぎます。
今だけではなくこれからもずっと、この美しい景色の一部として生きていきたくなってしまいます。
もしかすると、私が頭を下げお願いすれば、ボナス様は案外あっさりと受け入れてくれるかもしれませんが……。
「オスカー、昼から監視塔の相談がしたいから、食いすぎて動けなくなるなよ」
「ああ~? わかったわかった!」
「あ、あの……わ、私にも手伝えそうなことがあれば、何でも言ってくださいね!」
「ありがとう。まぁでもラウラはヴァインツ村で、とても頑張ってくれているし、アジトではゆっくり休んでいってよ」
ボナス商会の皆さまは、あまりにも素晴らしい方が多すぎます。
私には、自分がそこへ加わるに足る人間だという自信がいまいち持てません。
オスカーさんのように、何か特別な技術を持っているわけではありません。
もちろん人より魔法を使うのは上手ですが、それが果たしてボナス商会のお役に立てるのかどうかもわかりません。
むしろ貴族である私を重荷に感じたり、危険だと感じる可能性だってあります。
それでもやっぱり私は――――、この人たちに受け入れてもらいたい。
私は産まれてこのかた、何かをこれほど切望したことはありません。
ですから、やっぱり勇気を出してお願いしてみましょう。
「お、お、――――おかわり! お願いします……」
「ラウラ結構食べるね~」
「はい、どうぞ!」
でもやっぱりそれには…………、もうちょっとだけ時間が必要なようです。
ヴァインツ村の復興では、こんな私でも少しは役に立っているという実感が持てました。
この事業をやり遂げれば、きっと私は……自信と覚悟をもってボナス様へお願いできる気がします。
あぁ……、ボナス様は本当に私のことを魅力的だと思ってくれているのでしょうか。
少しでもそう思ってくれているのでしたら私は――――だめですね。
なんだか頭がぐるぐるしてきました。
今はこのケーキを食べて、明日からしっかり頑張りましょう!
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