第126話 閑話 ある虫の声
我々には二つの武器がある。
毒針と知能だ。
厳しいこの地で、生存競争を勝ち残ることができたのは、この強大な力のおかげだ。
もちろん、我々は一匹としてはただの虫に過ぎない。
ひたすらに花を渡り蜜を集め巣をつくり、女王と子孫を守り、敵を刺す――――。
それでも我々の一刺しは強力だ。
あのエリザベス以上の巨大な生物であっても、我らの前ではその威容も意味をなさない。
柔らかい粘膜へただ一刺しすれば、どれほど巨大な生物でも、呼吸を失い死んでいく。
さらに我々は群れを成すことで、存在のあり様が大きく変化する。
フェロモンと魔力的なネットワークを通じて、強力な情報処理能力を持つ、集合的な意識を立ち上げることができるのだ。
当然数が増えればより一層その処理能力は上がる。
十も集まれば新たな自我が発生し、百も集まれば近い未来を予測演算することさえ可能になる。
集合的意識が未来を予測できる――――それが意味することはとても大きい。
単に近々に迫る危機を回避し、先手を打てるというだけでなく、限定的だが未来の我々をも、さらなるリソースとして集合的意思に加えることができる。
つまり、現在と未来を跨ぐ、より大規模なネットワークを構築することで、情報処理能力を拡張できるのだ。
すこし工夫はいるが、未来から過去への情報のリレーも可能であるし、そうなるとはるか遠い未来へも辛うじて手が届く。
ただし、あまりに遠くの未来へ視野を伸ばそうとする行為は、予測というよりも未来への干渉という性質が強くなってしまうだろう。
そうなると、時間を超越した意識は肥大化していき、もはや我々の存在はただの現象と化すだろう。
もちろん、我々はそのようなことを望んでいるわけではない。
ただひたすらに美しい花を渡り、甘美な蜜を集め、堅牢で美しい巣をつくり、大切な女王と子孫を守り、そして勇猛果敢に敵を刺す――どれほど知能を拡張しようが、結局のところ我々にはそれ以上に価値のあることなどないのだ。
それゆえ、この地を生き延びるための小さな闘争にのみ、我らの毒針と知能は活かされる。
我々はただ短い生涯を不確かに繋ぎながら、ささやかに生きていくのだ。
それに……この地における闘争の相手も、そう簡単な相手ではないのだ。
我々と同様、いやそれ以上に恐ろしい力を持つものたちばかりだ。
小さなものだけでも、空を支配する鳥たちや湖に潜む水使いたち、岩肌に糸を張り隠れ住む者達や地に潜っている者達、他にも我々がまだ認識できていないような生物もきっと多くいるだろう。
最近はやや事情が異なるものの、かつては巨大な身体をもつものたちも、入れ代わり立ち代わり様々な種がこの地を訪れていた。
そういったものたちが、激しい生存競争を行いつつ、ギリギリの均衡の中、息をひそめて暮らしている。
この地は資源豊かな楽園であると同時に、緊張と沈黙の支配する戦場だったのだ。
ボナスという、あの奇妙な男が来るまでは……。
ある時ふらりとボナスは現れた。
そしてこの地をアジトと名付け、あらゆる種族の合間を縫うようにひっそりと暮らし始めた。
この地の王になろうという野心もなく、どこか特定の種に肩入れするわけでも無い。
ただポケットに潜ませた怪物と供に、ぼんやりとその日ぐらしをしているようだった。
あの小さな怪物は、強大で恐ろしい存在ではあるものの、いかにも無害そうなこの男に対し、我々アジトの生き物たちは、ひとまず沈黙と様子見という選択肢をとることにしたのだ……。
だが気がつけば、彼は多くの不思議な仲間を引き連れ、毛むくじゃらの巨獣を配下に加え、漆黒の賢獣から子を託されるまでの存在となっていた。
最近ではあの狭量な鳥どもを手なずけ、めったなことでは交わろうとしない気難しい水使いとまでも交流を持っているようだ。
そしていつのまにか我々も……。
このボナスというぼんやりとした男は、特に意図することもなく、いつのまにかこのアジトを実に不思議な形で調停しつつあるようだ。
はるか昔よりこの地で暮らす我々としては、この思いがけない変化に戸惑いもある。
だが、ボナスと彼らの仲間がもたらした新たな調和は、我々にとって悪いものではなかった。
実際、彼らがこの地へ来る前に比べ、我々の暮らしはずいぶん穏やかなものとなった。
ぴんくやエリザベス、シロのおかげで、むやみに暴れまわる頭の悪い巨大な生き物たちはずいぶん減った。
巣を破壊されることもなくなったし、天敵である鳥どもも、ボナス達との関係から自重するようになった。
高い機動力を誇る我々を、いとも簡単に空中で摘まみ取るクロは少々恐ろしく感じるが、今のところまだ誰も食べられてはいない……。
その分優しいシロにコロコロされるのは悪くないし、何よりサトウキビジュースが美味だ。
そういうわけで、我々は彼らと彼らのもたらす秩序を歓迎することにしたのだ。
そんな少し平和になったアジトに、新しくラウラという女がやってきた。
この新入りはなかなか殊勝な奴で、我々に頭を下げ、意思疎通しようとするのだ。
シロやボナス達とは直観的、感覚的な交流はあるものの、明確に意思疎通を図ってくる相手など初めてだ。
ラウラは人の割には意外に頭もよく、見どころがある。
面白そうなので、我々は彼女との意思疎通に応じ、ついでに色々とアドバイスしてやることにした。
もちろん最初は中々苦労した。
我々にとって彼らの声を聞き分け、認識することなど造作も無いのだが、ラウラのほうは残念ながらフェロモンを知覚できない。
仕方なく彼女でも理解できるよう、魔力と飛行パターンを駆使し、こちらの意思を伝達する。
ひどく迂遠なコミュニケーション方法のため、会話が成立するまでは少々時間がかかった。
だが最近では、ゆっくりと会話する程度の速度で、お互いの意思を伝え合えるようになってきた。
このアジトの外の世界を教えてもらう代わりに、我々は魔法や生物、物理について教育してやった。
彼女は意欲的で優秀な生徒だったが、元々稚拙な知識や認識を前提とした世界に生きていたため、中々すべてを吸収することは難しい様子だった。
それでも、彼女の魔法は少しづつ効率化し、食事はしっかり野菜から食べるようになった。
そうしてより一層彼女は我々を敬い、深い学びを求めるようになっていった。
まさか他種族とこのような関係を築くことになるとは思っても見なかった。
彼女が我々へ向ける強い敬愛の眼差しや、学んだことを失敗しながらも根気よく実践しようとする姿は、可愛げがあって悪い気はしない。
それに意外と外の世界の話も面白い。
何より彼女はサトウキビジュースを愛好する同志でもある。
彼女になら今後も何かと知恵を授けるのもやぶさかではない……。
ぬっ……。
クロがこちらへやってくる。
しかも、また鳥を頭に乗せている!
少し怖い、緊張する……。
あっ、待て、皆焦ってはいけないっ。
に、逃げるな!
ネ、ネットワークが乱れ、思考が統制し辛い……。
しかしあの鳥、クロを通じてより深くボナス達の暮らしへ溶け込んでいるな。
ボナス達とともに、ラウラが話してくれたような外の世界を見てまわっているのだろうか。
少し羨ましい……。
群として強力な我々だが、個として彼らと共にあるには適した体を持つとは言えない。
定期的にどこかへ出かけているようだが、我々もシロにくっついて外の世界を少し見てみたい気もする……。
う~む。
今はまだ無理だが、次代の女王に何か――――。
あっ、今度はシロが……ミルも……。
サトウキビジュースだ!
ああっしまった……、皆待つのだ……だめだ、思考を維持でき……な……。
……シロだ~。
わーい、シロー、ころころして~。
あははははははっ、シロすき~。
クロは怖い~。
逃げろ~食べられる~。
ミルのサトウキビジュースおいしい~。
あははははははっ。
「ぐぎゃう~?」
「うふふっ、今日もハチたちかわいいね」
「虫なのに……この子達、妙に美味しそうに飲むよねぇ……」
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