第79話 閑話 エリザベスと黒豹
わたしの体にむしゃぶりついている、小さな存在を眺める。
「うにゃぅ、にゃ~ぅ」
一心不乱におっぱいを吸っているこの赤ちゃんは、もちろんわたしが産んだ子じゃない。
う~ん、どうしてこんなことになったのかなぁ……。
わたしが今いるこの世界は、もと居た場所とはまるで違って、とても住みにくい。
雨があまり降らなくて、おいしい食べ物もあんまり生えていない。
なのに、この場所から遠く離れようとすると、なんだかイライラしてきて、おかしくなっちゃう。
ほんのわずかな食べ物を見つけるのも、ほんとうに一苦労だった…………このアジトへ来るまでは。
ボナス達に出会った時は、わたしももう終わりか~って思ったけれど、実は運が良かったみたい。
今でもぴんくさんはちょっと怖いけれど、やさしいクロやシロにも出会えたし、他にも色々な仲間が増えていく。
「ぎゃう~! ぐぎゃう~?」
「エリザベス。おっぱい大丈夫? 後であなたもいっぱい撫でてあげるからね」
やっぱりクロとシロは優しい。
2人はいつもわたしをとても綺麗にしてくれる。
自分で言うのも恥ずかしいのだけど、わたしは絶世の美女と言っていいと思う。
元居た世界じゃ、みんなわたしに夢中だった。
輝く様な美しく柔らかい、そして強靭な体毛。
毛の量もたっぷりフサフサ。
力強さと優美さを備えた角。
長く柔軟なピンク色の舌。
体格だって、同世代の女の子の中では一番丸くて大きい。
わたしがちょっと舌をぺろぺろ動かせば、男の子たちはみんなだらしなく涎をたらしたし、女の子たちは羨望のまなざしで見つめてくる。
そんなわたしがこんなに手入れされちゃったら~、それはもう大変なことになるよね。
今はもう、昔の仲間達はいないけど……アジトのみんなはわたしに夢中。
一度でもわたしの体に触れたら中々離れられなくなるし、わたしの体に身を埋めると、みんなあっという間に寝てしまう。
たまにみんな揃って街に行っちゃうけれども、それでも普段は誰かがわたしと一緒にいる。
でも、それでも……本当のことを言うと、わたしはとても寂しかった。
わたしが無理やりこの世界に連れてこられる前は、わたしと同じ姿をした、たくさんの仲間に囲まれて暮らしていた。
そして、いつかこの中の誰かと結ばれ、かわいい子供を産むつもりでいた。
そういう未来をぼんやり思い描いて、憧れていた。
けれど、今はもうその可能性は、ないんじゃないかなぁ……。
もちろん、元居た世界から生き物が連れてこられることもあるけれど、ほとんどが直ぐに死んでしまう。
南の森は危険な生き物が多い。
この世界へ来た瞬間に、食べられてしまうことも珍しくない。
それにうまく適応できず、頭がおかしくなってしまう子も多い。
そして何より、この世界に連れてこられるのは全て女の子ばかりなのだ。
中にはどちらかわからないのもいるけども、子供を作るのは難しそう。
そういうわけで、わたしが男の子と結ばれて、赤ちゃんを産み育てる未来は、すっかり無くなってしまった。
とても残念だけど、まぁ仕方ないよねぇ。
わたしにできることはないし、アジトの暮らしも意外と悪くない。
なんて考えながら、ボナス達とのんびり暮らしていたんだけど、ある日突然あの黒豹に出会った。
黒豹はとても恐ろしい力をもっていた。
南の森にいた連中と同じくらいこわい。
とはいえ、ぴんくさんに一度絶望を味わわされたわたしは、今度は逃げ出すことは無かった。
それに、せっかくできた新しい仲間達を置いていくことは、わたしにはもう出来そうにない。
さぁ今こそわたしの力を見せる時!…………と思ったけども、そうはならなかった。
結局最初に現れてから、3日目の夜、黒豹は静かに息を引き取ったから。
そして、黒豹はわたしたちに子供を残していった。
わたしはあの時の、あの女の顔を、死ぬまで忘れないだろう。
黒豹は大きなけがをたくさんしており、見た目以上に体はボロボロだった。
本当はとても痛く苦しいくせに、まったくそんなそぶりは見せず、余裕のある表情でわたしたちを見回して、満足げな顔で子を残して死んでいった。
何という敗北感だろう。
あの黒豹は、こちらの世界に呼び寄せられた段階で、すでにおなかに子供がいたのだろう。
もはや身ごもることができないわたしか、それとも寄る辺ないこの世界に、子を残し死んでいく彼女か。
はたして、どちらが不幸なのだろう。
少なくとも、彼女はそんな風に、悲劇的には運命を見ていなかったのは分かる。
あの女はいつもどこかいたずらっぽい顔をしていた。
結局最後の最後まで、どこか自分の運命を面白がっていたんじゃないかな。
悔しい……。
しかもあの女は、そんなわたしのことも、しっかりと勘定に入れたうえで、子を残していったのだ。
そして腹立たしいことに、その見立ては完全に正しかった。
「んな~ぅ、うにゃぅ、にゃ~ぅ」
「メェ~」
いままさに、おっぱいを吸われながら、何とも言えない奇妙な満足感を味わわされているところだ。
なんて可愛いのかしら……。
わたしはこれから、もう少ししっかりしなくてはいけない。
ボナスはダメだ。
色々偉そうなことを言いつつも、この子を見る時の顔が、とろけ切って、終わっている。
あれじゃ、甘やかしすぎてダメになるだろう。
クロとシロも、抱っこするとひたすらニヤニヤして中々離さない。
他のみんなも似たり寄ったりだ。
この子が背負わなくてはいけない孤独を、本当の意味で理解しているのはわたしだけだ。
わたしがしっかり育てなくては。
「うにゃぅ、んなぅ~」
「ああ~可愛いなぁ~。お前の名前はなにがいいかなぁ~」
「メェェェェ!」
まずは、ボナスがとんでもない名前を付けないか、しっかりと見張らなくっちゃ!
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