第78話 黒豹②

 結局朝まで黒豹は現れなかった。

 シロは一睡もせずに見張っていたようだ。

 それほど疲れてはいないようだが、あいかわらず表情は晴れない。

 ギゼラとザムザも若干居心地が悪そうだ。

 元々強者であることに慣れている鬼族にとって、今のような状況はストレスが大きいのかもしれない。


「寝てしまった……」


 ……ザムザは単に気まずいだけかもしれない。

 エリザベスにもたれかかったのがお前の敗因だぞ。


「朝ごはんできたよ」

「ぎゃうぐぎゃーう!」


 一方でクロやミルはいつも通りだ。

 相変わらずミルは開き直り方が半端ない。

 クロはまぁ……クロだから仕方がない。

 クロがストレスを感じるころには、俺達全員発狂しているだろう。



「とりあえず……荷造りするか」

「そうだねぇ。ちょっと昨日の黒豹にかき乱されちまったけど、こんな時こそ予定通り進めないとね」

「ぎゃうぐぎゃう~」


 朝食後、特にいい考えが浮かぶわけも無く、2日後の準備を提案する。

 若干空気は重いが、このままぼんやりしているわけにもいかない。

 村人用の食糧を用意するだけでなく、露店の準備もしなくてはならないのだ。


「ボナス、私も一緒に行くね」

「ああ、……シロ大丈夫か?」

「うん。ちょっと怖いけど」

「もう何処かへ去ったかもしれないし、暫くは様子を見よう」

「わかった」




 

 しかしその後、俺の楽観的な予想は見事に外れることになる。

 黒豹はそれから2日間、アジトのいたるところで目撃されることになったのだ。



 最初にアジト内で黒豹を発見したのはザムザだった。

 ミルに頼まれ、水を汲みに行った先で遭遇したらしい。

 ザムザは水をくむために、いつも通り横着に、水瓶ごと湖に沈め、力任せに引っ張り上げようとしたらしい。

 そのとき、そのすぐ横に大きな黒い影が、滑るように現れたらしい。

 ちょうど日を遮るように現れたせいで、ザムザは突如黒い影に覆い包まれるような形になり、一瞬何が起きたか分からなかったようだ。

 その黒い影が水面に触れて水を飲みはじめたことで、初めてそれが黒豹だと気が付いたらしい。

 あまりのことにザムザは瓶を抱きかかえたまま、身動きも取れず、ただ座り込んでしまったようだ。

 黒豹は特にザムザを見ることもせず、水を飲み終えると静かに立ち去って行ったらしい。

 ザムザは結局、黒豹が立ち去り、再び体が陽の光に照らされるまで、身動きひとつとれなかったらしい。


「恥ずかしい……」

「無事に情報を持って帰ってきたんだ。何も恥ずかしがることはないさ」


 ここ数日落ち込み気味のザムザをミルがなぐさめる。

 だが、ミルの言うとおりだ。

 ザムザは貴重な情報を持って帰ってきた。


「左目だけじゃなく、左足と尻尾も無かったぞ。何か別の生き物にやられたのだろうな。それでも……俺ではまったく相手にならんだろうがな」

「手負いか」

「傷跡は古かったから、だいぶ前の物だと思う。特に弱っているとも思わなかった」

「実際の大きさはどれくらだった?」

「う~ん。エリザベスよりひとまわり小さいな。キダナケモの中ではかなり小さい方だろう。それでもでかいが……」



 それからも、クロやギゼラ、ミルが果物やカカオ、コーヒーの実を収穫している際に、何度か目の前を横切っていったりしたらしい。

 やはりザムザが確認した通りの姿をしていたようだ。

 クロはよくわからないが、ギゼラとミルは、もうあまり気にしないことにしたらしい。

 食事時に、気楽な感じで報告してくる。


 俺自身も、一度だけ見かけた。

 シロと水場で洗濯をしていた時、いつのまにか彼女の手が止まっていることに気がついた。

 何かと思い、遠く見つめる彼女の視線を追いかけてみたが、ただバナナの木が風に揺れているだけだった。

 木の根元の影が不自然に動かないので、何か変だなと思い、目をすがめてみていると、突如それが黒豹であることに気が付き、あやうく悲鳴をあげそうになった。

 俺の動揺をよそに、黒豹は悠然と木陰に寝そべりながら、こちらをじっと見ていた。

 俺が黒豹に気が付いた後も、全く気にした様子も無く動かない。


「ん~む~あ~も~……」

「ふてぶてしい奴だな」


 シロはこの黒豹が現れてから、相当イライラしているようだ。

 確かに俺もいら立ちは感じている。

 どうにもこの生き物の性質を理解できない。

 敵か味方か、あるいはそう簡単に割り切れない存在なのか。

 さらに悪いことに、こいつは俺たちを簡単に殺しうる存在でもある。

 そして、今のところ特に害をもたらす気配は無い……。

 こんな生き物を、一体自分の中でも、どう位置付けていいのか答えが出せず、気持ち悪いのだ。

 もちろん、このアジトにはこの黒豹以外も、キダナケモ含め、色々な生き物がやっては来る。

 だが、こうも我が物顔でうろつかれると、何となく腹立たしい気もする。

 このままサヴォイアへ向かうと、なんだかアジトを乗っ取られたような気がしてとても嫌だ。


「ボナス。早めに戻ろ」

「そうだな。しかし……すっきりしないなぁ~」





 2日目の午後、俺とシロ、ミルの3人で気分転換も兼ねて芋を掘りに来た。

 ミルが、タミル山脈で採れる生で食える珍しい芋を、アジトの中でも見つけたらしい。

 ある程度は予想してはいたが、自然薯っぽい山芋だった。

 俺としてはすりおろして、醤油をかけ、米や麺類にかけて食べたくなる。

 ミルはマリネを作りたいようだが、残念ながらアジトには酢が無い。

 ヴァインツ村ではワインやビネガーも少量だが生産していたようだ。

 現地での聞き取り調査や、食事、アジールからの話からも、地中海式農業に近いことをしている気がする。

 なるべく早く村を復興させて、色々取引がしたいところだ。

 それに、サヴォイアは難しくても、村までならエリザベスも行けそうな気がする。


「こんなにたくさん採れるもんなんだなぁ」

「本当は見つけるの、結構難しいはずなんだけどねぇ」

「メェェェェ~!」

「えらいね、エリザベス」


 実は俺達3人以外にも、エリザベスについてきてもらっている。

 そしてこのエリザベス、思いがけず山芋を見つけるのがうまかったのだ。

 どうやら葉の部分が彼女の好みに合うようで、いつも食べ歩いていたようだ。

 俺達が芋を掘って喜んでいるのを見て、収穫できる場所に迷うことなく案内してくれた。


「試しに、少し食べてみるか」

「そうだね。水場も近いし、休憩兼ねて食べてみよう」

「たのしみ」


 近くの水場で手と芋を洗い、ナイフで薄くカットしてみる。


「なんかヌルヌルしてる……」

「ああ、美味しいけど、醤油……調味料欲しい」

「タミル山で採れるのと結構違うね。こっちの方が美味しいよ」


 シロは最初不審げな顔で見ていたが、いざ食べ始めると、しゃくしゃくと子気味いい音を立てながら、延々と食べている。

 少し表情が綻んだところを見ると、気にいったようだ。

 芋を食べた後、エリザベスにもたれかかり、シロとミルと並んで少し休憩する。

 メナスから買った、編み上げのサンダルがそろそろ壊れそうだ。


「サヴォイアでいいの買いたいなぁ」

「金ならあるんだろうし、買えばいいじゃないか」

「ああ、そのつもりだよ。今回はクロやシロ、ギゼラにも色々服を買ってやりたい……ミルの分も買おうぜ」

「まぁ、私の場合は服よりも、布を買ってもらう方が良いね。自分で作るよ」

「確かに。クロと一緒に作れば早いだろうしね」


 ミルと買い物の話をしていると、ふと肩が重くなる。

 横を見ると、シロが変な体勢で、俺に寄りかかり眠っていた。


「シロがこんなところで居眠りするの、初めて見たな~」

「黒豹が出てから、まともに眠れてないようだよ」


 俺達が話をしていても、まるで起きる気配が無い。

 若干姿勢が辛そうなので、俺が膝枕する形に体勢を誘導する。


「んふふ~」


 なんだかあまり見たことの無い顔で、ニヤニヤしながら頭をこすりつけてくる。

 可愛い気もするのだが、なんだかでかい猛獣にじゃれつかれた気分だ。


「……シロ、起きてるでしょ?」

「あ~あ、ミルもうちょっと待ってから言って~」

「起きてたのかよ……じゃあ、そろそろ行くか」


 どうやらシロは一瞬まどろんだだけで、とっくに起きていたようだ。

 とはいえ、シロも最近荒み気味だったのが、少しだけマシな表情になった気もする。

 3人で立ち上がり、再びエリザベスと移動を開始する。


「もう少しだけ収穫したら、戻って昼ごはんにしよう。きっと火を入れてもうまいよ」

「おっ、あそこにもあるな! よしよし……」


 そう思い、特徴的な山芋の葉っぱをたどって芋の位置を探していると、突如目の前の茂みから、黒豹の顔がぬっと出てくる。


「どぅわあっあああっ!」

「ボナス!」

「――――――シシシシシッ」


 シロが駆け寄り、俺に覆いかぶさるように、抱え込まれる。

 黒豹は、特に何をするわけでも無く、そのまますたすたと音も無く歩いて何処かへ行ってしまった。


 シロは俺を抱え込んだまま、大きく息を吐きだす。

 俺は突然現れた黒豹に心をかき乱されつつも、先ほど聞こえた、黒豹の声、あるいは音のことで頭がいっぱいになっていた。


「あいつ…………笑っていたのか?」

「あの黒豹は、いったい何がしたいんだろうねぇ」


 ミルは黒豹が消えた方を見ながらそう言う。

 エリザベスもやはり怖かったのだろう、舌をぺろんぺろんしながらシロにすり寄ってくる。


「も~っ!」

「うげっ」

「シロ……とりあえずボナス放さないと、潰れちゃうよ」

「あっ……ごめん」


 黒豹に食われる前に、シロに背骨を折られて終わるところだった。

 それにしても……、やはりあの黒豹は笑っていた気がする。

 驚いてひっくり返りそうになっている俺を見て、一瞬だけ顔がぴくぴくしていた気もする。

 いやむしろ、俺を驚かそうとしたのかもしれない。

 でも何のために……?

 結局のところどうやっても想像の域を超えないわけで、黒豹をどのようにとらえるべきかについては、より一層混乱していくばかりだ。

 しかし、もう2日目の昼になる。

 予定では明日の朝出発するのだ。

 少なくとも今日の夕食時には、何らかの答えは出さなくてはいけないだろう。


「とりあえず、いったん帰って昼ご飯作るよ」

「まぁ、それもそうだな…………」


 ミルは、シロが飛び出したときに放り出した芋を拾い集めつつ、疲れたようにそう言った。

 芋堀はいい気晴らしになったが、最後の最後で頭の中をかき回されて終わることとなった。





「そろそろ、はっきりさせようか」


 夕食後。

 まだうまく考えがまとまらないままに、何らかの結論を出すために話し合いを始める。


「もちろん黒豹についてだが……」

「俺はボナスが決めたなら従うが、戦うとなっても……俺では戦力にはならんぞ」

「ああ、分かっている。俺も基本的には戦いたくはない」


 この2日間、結局あの黒豹が敵か味方かよくわからなかった。

 さらには、そのどちらでもないとして、今後害悪になる可能性があるのかすらも、よくわからなかった。

 そして今日出会い頭に、あの黒豹は俺を見て笑っていた。

 あの後、何度も思い返してみたが、やはりあれは笑っていたのだと思う。

 おれはあの時、腹立たしさと同時に、なにか愛嬌のようなものを感じてしまった。


「それに、こいつと少し似た感じもするんだよな……」


 今日収穫した山芋を食いすぎて、クロの頭であおむけに寝ているぴんくをつつく。

 目をつむったまま迷惑そうに小さな手で指を払いのけられる。


「だがそれだけに、油断もできないだろう。今とれる選択は……3つかな。ひとつは完全に放置して、全く気にせず予定通りサヴォイアへ行く。2番目がサヴォイアへ行くことを延期して、黒豹の取り扱いを明確にできるまで観察を続ける。3番目が排除。あいつがかなりの力を持つのは間違いない。だが、罠なり作戦なりをしっかり立てれば、ぴんくがいる限りは倒せなくも無いと思う」

「あたしは放置でもいいと思ってる。まぁ安全に倒せる戦略があれば、もちろん協力はするけどね」


 ミルはこういう時の判断は早い。

 クロとザムザは俺に任せるつもりなのだろう。

 デザートのオレンジをむしゃむしゃ元気に食べている。

 シロとギゼラは、まだ決められ無いようだ。

 眉を寄せ悩ましい表情で考えている。

 ちなみに、俺自身も答えが見つけられないでいる。


「もし、……何とかして黒豹を倒すとなったらどういう方法があるだろうか?」

「それは――――ん?」

「え…………?」


 俺がまさにその倒し方について考えようと、姿形を思い描いていると、まるでイメージがそのまま実態を持ったかのように、黒豹がこちらに静かに歩いてくる。

 あまりにその様子が自然だったので、誰一人として考えが追い付かず、まるで体がついてこない。

 ただその姿を目で追うことしかできない。


 そうして黒豹が、俺達の数歩手前まで来ると、体を少し震わせ、静かにしゃがみこんだ。

 呆然とする皆の顔を見ながら、顎を手の上に乗せ、満足げな顔で大きく息を吐きだす。

 そして、そのままひとつだけ残った琥珀色の瞳を閉じて、完全に動かなくなった。


「……死んだのか?」

「ぐぎゃう?」


 クロはびっくりした顔をしている。

 シロは凄い勢いで黒豹に近寄り、その鼻先に触れる。


「完全に呼吸はない。死んでると、思う……」

「一体こいつは何を……」


 皆立ち尽くしている。

 俺も完全に頭が真っ白になる。

 今目の前で起きたことの意味が上手く整理できない――――。




 その時、急にエリザベスが黒豹の亡骸へとすたすた近づいていき、鼻先で腹のあたりをまさぐりだす。


「えぇ? 食べるのか?」

「メェ!」


 ザムザが思わず聞くと、エリザベスが不機嫌そうな声を上げる。

 するとクロもエリザベスの鼻先のあたりに走り寄っていったかと思うと、黒豹の亡骸の腹の下をモゾモゾとまさぐりだし、何か湿った毛布のようなものを引っ張り出してきた。


「ぐぎゃうー! ぎゃうぎゃうぎゃうぎゃう!」

「みゃぁ~!」


「え?」

「あら」

「あかちゃんだ」

「ああ、そうか…………お前は、お母さんだったのか」


 クロが片手で縫いぐるみのような黒豹の子を抱きしめ、手ぬぐいで体を拭いてやっている。

 やっと頭の中の整理がついた。

 それと同時に、何とも言えない気持ちになる。

 

 黒豹は、確かに俺達のことを観察していたのだろう。

 自分の命が終わるぎりぎりまで。

 俺達が果たして子供を託せる奴らなのかどうか。

 どうすれば託すことができるのかを考えながら。


「ぐぎゃあぐぎゃあ!」

「ああ、わかっているよ、クロ。かわいいな~。でもさすがに赤ちゃんの割に大きいな……」

「みゃ~みゃ~みゃぁ~!」


 クロは黒豹の子を俺の目の前に掲げて、目をキラキラさせながらぎゃあぎゃあと騒がしい。

 俺は黒豹の赤ちゃんをクロから慎重に預かり、しっかりと抱いてみる。

 動きは頼りなく、目もまだきちんと見えていないようだが、既に大きめの成猫くらいのサイズだ。

 この柔らかいふかふかとした塊を胸に抱いていると、様々な複雑な気持ちが沸き上がってくる。

 黒豹が死ぬ前に何の歩み寄りも出来なかったという、後悔のような気持ち。

 その上で、まんまと黒豹の思惑通りになってしまったという敗北感。

 そして、自分の子供を託すに足ると判断されたという、どこか誇らしい気持ちが混ざり合い押し寄せてくる。


「さぁ、どうぞ」

「うわぁ」


 既に俺の横で一緒に黒豹のあかちゃんを見ていたシロへ、手渡す。

 ここ数日、険しい表情を浮かべていた彼女だが、今は微笑んで少し涙を浮かべている。

 事態を誰よりも深刻に捉えていた彼女としては、俺よりもいっそう複雑な気持ちだろう。


「あったかいね」

「可愛いなぁ……これがああなるのか……」


 母親の方は埋めてやらないとな……。

 改めて見ると、堂々とした体躯に、美しい毛並みだ。

 手を触れてみると、まだ少し暖かく、エリザベスとはまた違った心地よさがある。

 できることならば、生きている間にもっと触れ合ってみたかったな。

 きっとこいつは、面白い性格をしていたと思う。

 

 

「どうしようボナス」

「うん?」

「わたし、おっぱいでるかな?」

「シロ……それは……エリザベスにお願いしよっか」

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