第65話 領主とマリー
黄金色の瞳を暗く光らせ、サヴェリオ・サヴォイアは顔を歪ませる。
「――――黒狼討伐任務の報告は以上になります」
「そうか……まずは、良くぞこれほど難しい討伐を成功させてくれた。本来ならば一個大隊でも対応できるかわからん数だ。サヴォイアへも被害が及ぶところだったが、よくぞ食い止めてくれた。本当によくやってくれたな、マリー。サヴォイアの領主として心より感謝する」
クロと別れてからサヴォイアまでの道中、結局考えはまとまらず、最適な答えを用意することは最後までできなかった。
それどころか、私はただひたすらに、アジトの木漏れ日や、エリザベスの肌触り、クロと一緒に水浴びしたこと、焼肉を頬張るぴんくなど、関係の無いことばかりが頭に浮かんでしまい、気持ちを切り替えることさえできないままに、領主様と謁見することになった。
まだ疲れが抜けきっていないのだろうか。
ああ……、コーヒーが飲みたいわ。
「そのボナスという商人に直接会って礼がしたい……が、本人は望まぬ、ということなのだな?」
「はい。目立つのを好まず、静かに暮らしたいようでして……申し訳ございません」
「お前が謝る必要はあるまい」
「友人ですので」
「マリーの友人か……。だが、まぁサヴォイアにとって有益な人材なのだろう?」
「間違いなく」
「であればまぁ……、今は構わん。それに、これからしばらくは色々と忙しくなるだろうからな」
落ち着いた口調で感謝を述べる。
だが、その言葉とは裏腹に、ソファーに向かい合うかたちで腰かけてからずっと、領主様の貧乏ゆすりが止まらない。
本人は気づいているか定かでは無いが、カサカサと布のこすれあう音が私の耳を不快にくすぐり、不安にさせる。
この部屋の布張りのソファーは妙に柔らかい。
何となく体を預ける気にもなれず、姿勢がいまいち定まらない。
「ほぼ間違いなく、儂の弟の仕業だな。あいつは本当に馬鹿だからな」
「それは……」
「とはいえ、弟に制裁を加えるわけにはいかん。あいつは…………兄弟の中でもとりわけ可愛がられていた。殺せば父が化けて出そうだ。もちろん兄上にも迷惑をかけられん。なにより、儂は別に弟が嫌いなわけでも、殺したいわけでも無い」
領主様の兄とはそれすなわち王を意味する。
この国では直系家族以外の王族は、辺境の領主を任される。
国境を守る要として、そして同時に権力闘争を避けるため、王都から遠く離されるのだ。
サヴォイアの領主様と同じように弟君も東の辺境の地で領主をしている。
そしてそちらはすこぶる評判が悪い。
「だが、まぁ愚弟の取り巻きどもには、いいかげん責任を取らせねばならん」
「領主様……」
部屋のそこかしこの魔力がいたずらに乱れ、脈動するのを感じ、冷や汗が出る。
本人は、貧乏ゆすりの延長程度のつもりだろう。
もしかすると、無意識にしているだけなのかもしれない。
だが、ひとつ間違えるとこの部屋ごと吹っ飛びそうなほどの魔力を、いたずらにこね回すのは、さすがに遠慮いただきたい。
だが、中々声をかける気にはなれない。
暗い瞳で中空を睨みつけ、何か数をかぞえているのだ。
制裁を加える相手でも思い浮かべているのだろうか。
「お、お父様! あ、あのその、魔力をいたずらに乱すのは、えーっと、お、おやめくださいませ!」
「うん? あぁ」
お茶を運んできたサヴォイア家の長女、ラウラ・サヴォイアが部屋のありさまを確認するなり、父である領主様をとがめる。
「こ、こんな状態では、マリーも、ええっと、気が気じゃないと、思いますわ!」
「……すまなかったな」
一瞬で部屋の魔力が整えられ、領主様は気まずそうな顔になる。
「恐れ入ります。ラウラ様もお久しぶりでございます」
「ひ、久しぶりですね、マリー。えーっと、あの、黒狼退治、すいぶん大変だったのでしょ?」
「ええ、今回ばかりは死を覚悟しましたね」
「まぁ!」
ラウラ様は既に30歳を超えている。
だが、日にあたることが少ないせいか、象牙色の肌は年下の私より透明感があり美しい。
「け、怪我は……していないようですね。良かった……」
夢見るような蜂蜜色の瞳を心配そうに揺らしている。
最近視力を補うために眼鏡という、とても珍しいものを使い始めたようだ。
ガラスと彫金を施されたフレームが彼女の繊細な雰囲気を際立たせていて、とてもかわいい。
目は良い方だけど……私も欲しいわね。
少し癖がある柔らかそうな黄金色の髪は、今日は丁寧に結い上げられており、おくれ毛のあそぶ白いうなじが妙になまめかしい。
この親子はそれぞれの部位はとてもよく似ているが、醸し出す雰囲気はまるで違う。
領主様は苛烈で好戦的、高圧的な雰囲気を持つのに対し、ラウラ様は柔らかく、そしてどこか不安そうな印象だ。
彼女は喋るのが苦手なようで、いつも自信がなさそうに、たどたどしく話すせいかもしれない。
さらには吃音にも悩まされているようだ。
だが、話をすること自体は好きなようで、よくお茶に誘われる。
話し方のせいで誤解されがちだが、頭の回転が速く、とても理知的な方だ。
年齢が近いせいか、私も彼女と話をしていてとても楽しい。
そんな彼女は一度結婚している。
だが、どうも嫁ぎ先で上手くいかなかったようだ。
数年前、突然サヴォイアへ出戻ってきた。
ちなみに彼女にはとてもよく可愛がっていた2人の妹がいる。
2人とも器量に加え要領もよかったらしい。
とっくに結婚し、今は子供もいるようだ。
「あ、あなたは、私の大切なお友達なのよ? うんとね……む、無理はしないでね?」
「ええ、わかっております」
ラウラ様もサヴェリオ様の才能を引き継いでおり、中々に強力な魔法使いだ。
にもかかわらず、私はこの人のことは苦手と感じない。
「ヴァインツ村の復興の手も足りんな……物資も足りぬし、隣領の商人も呼び寄せねばならぬ」
領主様は娘に注意され、魔力をこね回すのは止めてくれたが、貧乏ゆすりはむしろ激しくなった気がする。
「避難してきた村人たちは無事で?」
「ああ、何人かは負傷したらしいが、死者は一人も出ておらぬ。これには儂も驚いたぞ」
「それは、何よりでございます」
ケインを別にすれば、本当に村人には死者は出なかったのか……。
少し肩の荷が下り、報われた気もする。
これでボナス達にも心安らかに説明できる。
村人の避難については、本当に彼のおかげと言っていいだろう。
よくあの時とっさに判断し、動けたものだ。
事前の下準備が良かったらしいが、私にはよくわからない。
少なくともハジムラドの見立ては正しかったようだ。
「…………しばらくは出費がかさむな」
「村の復興に加え、黒狼の死骸も処分したほうがいいですね」
「資金か…………久々に王都へ行き、愚者どもに制裁を加えつつ、資金調達するか」
「それは、大変よろしいかと」
貧乏ゆすりが止まり、顔に初めて笑みが浮かぶ。
この笑顔はよくない。
領主様の悪い癖が顔をのぞかせる。
「ですが領主様、くれぐれもお気を付けください」
「……私が殺されるとでも? なぁマリー。一度くらいこう考えたことがあるだろう?」
領主様は、相変わらずの薄気味悪い笑顔を浮かべつつ、黄金色の瞳で私の目を覗き込む。
「いざとなればマリー、お前の剣技であれば、いくら儂が魔法使いであっても、首を落とすこともできるのではと」
瞬きもせずに、そう聞いてくる。
この人のこういうところが、本当に苦手だ。
もう50歳は超えているはずだが、攻撃性が一度表に出ると、相手かまわず闘争心が暴走する。
それに妙に勘が良いのも困りものだ。
領主様は、私がボナスと領主様を会わせないよう、必死に話を誘導していることなど、当然気が付いている。
その上で、寛容に振舞ってはいるが、内心色々と面白くなかったのだろう。
領主の与り知らぬところでサヴォイアが危機に瀕し、そして知らぬ間に収束している。
あろうことか子飼いの傭兵までも、この事件を解決した中心人物に、接触するなと言ってくる。
自分の領地の命運に関わることで、蚊帳の外に出されて喜ぶ領主はいない。
よく考えると、私はやはり、説明の方法を間違えたのかもしれない。
――――だが、私はいつも運だけは良い。
私の隣には領主様の愛娘ラウラ様が隣に座っている。
「滅相もございません」
「ああ……、まぁそう答えざるを得んわな」
「お、おやめください! お、お父様は何を考えているの! またそんな馬鹿なことを言いだして……お、お母様に叱ってもらいますからね!」
ラウラ様が再び領主様に怒る。
領主様に対しては、奥様に次いで最強のカードだ。
一緒にいてくれて本当に助かった。
「――――ああ、わかっている。すまんな……儂の悪い癖だ」
「お、お父様はいい年だというのに!」
「ラウラ様、私こそ無茶な言い分を領主様に通そうといたしましたので、どうかそのあたりで」
領主様はまた貧乏ゆすりを始めている。
だが、先ほどの薄ら笑いは引っ込め、どこかつまらなさそうな顔をしている。
「明日王都に向かう。マリーはついてきてくれ」
「承知いたしました」
「制裁と資金集めを急がねばならん。苦労をかけるな、マリー」
「いえ、問題ありません」
ああ、最悪。
報告を終わらせ、報酬を貰ったらさっさとアジトへ行き、久々に少しゆっくりとする予定だったのに。
「村の復旧はハジムラドに既に頼んでいる。今回の経緯を把握しているアジールを同行させたい」
「承知いたしました。この後合流予定ですので、必ず伝えておきます」
この仕事が終わったら、今度こそしっかりと休む。
何があっても、……絶対に。
ボナスに頼んで暫くアジトに引きこもらせてもらおう。
どうせ金なんて使いきれないほどあるのだ。
ああ……、それにしてもアジトのあの水場は気持ちよかったわ。
何よりクロに体を洗ってもらうのが最高。
絶妙な力加減で背中を流し、髪を綺麗にしてくれる。
あの澄んだ湖面に浮かび、何も考えず空を眺めるだけで、体にこびりついた疲れが、まるで溶け出すような心地がした。
「儂がいない間はラウラが領主代理だ。諸々の決裁はラウラに頼むように」
「え? あ、え、代理…………、わ、わたくしですか?」
「ああ、任せる」
「マリーには明日までに用意してもらうものがいくつかある。まずは……」
領主様が好き勝手にものを言ってくる。
殴りたい。
だが、こんなのは適当に聞き流せばいい。
軍隊仕込みの私の脳は、特に意識せずとも勝手にそれをリストアップして、頭に叩き込んでいってくれる。
そんなことより休暇のことを考えよう。
アジトに何を持って行こうか。
そうだ、今度アジトへ行くときは愛用の枕と着替えも持ち込まなくては。
夜のアジトは少し冷えるけど、とても静かでよく眠れる。
ミルはエリザベスの毛を紡ぎ終えたかしら?
――――エリザベスの毛布。
やばいわね。
くるまって横になれば、この上なく気持ちよく眠れそうだわ。
起きられなくなりそうだけど。
「急なことなのでラクダの手配が難しいかもしれません。領主様の方で心当たりはございますか?」
「ああ、ラクダの手配は儂の方でしておく。今日の午後、一度回収に来てくれ」
「ありがとうございます」
そういえば、そのうち読もうとずっと放っておいた本があったな。
昼下がりにあの木の下で、エリザベスに寄りかからせてもらいながら読もう。
ぴんくにチョコレートをあげたらページをめくってくれるかしら。
「――――大体必要なものはこれくらいか」
「委細承知いたしました」
「それではよろしく頼む。ちなみに報酬は斡旋所で受け取ってくれ。不満に思うことは無い金額だと思うぞ。あと、ボナスと言う男用に木札を用意しておく。1年間税金は免除だ。街にも自由に出入りできる」
「ありがとうございます。それは彼も喜ぶでしょう」
報酬は結局アジールへ託すことになるのね。
私が直接届けたかったけど、こればかりは仕方ない。
「あ、あの~、ボナスさんってどなたかしら?」
…………そういえばラウラ様って、甘いものが大好きだったわね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます