第64話 ダメになったマリー

 さて、マリー・ボアロの名前で誓いを立てたからには、私はボナスとの約束を果たさなければならない。

 相手はサヴェリオ・デ・サヴォイア。

 この地域一帯を治める領主様だ。

 いくら私が元貴族であり、元軍人であったとしても、下手を打てばすぐに首が飛ぶ。

 そして領主様の専属傭兵でありながら、領主様に情報を隠すのは一般に重罪である。

 最悪私の首が飛ぶのはまぁいい。

 だがそうなった場合、ボナス達にも危険が及ぶ。

 それでは約束は果たせない……。

 アジトの存在を隠しておくのは、今のところ難しくは無いだろう。

 問題はボナス達について、どこまで話すかだな。

 ボナス達のことを完全に伏せたまま、今回の騒動を説明することは……不可能だ。


「ああ……、どうしましょう、エリザベス?」

「メエ~」


 それにしてもエリザベス。

 この世の中にこれほど素晴らしい乗り物があるだろうか。

 いや、この娘のことを乗り物なんて言うのは失礼だ。


「ごめんなさいね」

「メェ~?」


 まったく揺れは感じない。

 にもかかわらず風景は軽快に、そして心地よく流れていく。

 地獄の鍋の荒野をこれほど楽しい気持ちで眺めることになるとは、少し前の自分には想像すらできなかっただろう。

 それに、なによりこの手触りときたらもう…………。


「マリー、いい加減現実に戻ってきた方が良いんじゃないか?」

「……わかっているわ」

「まぁ、気持ちはわかるが……さっきから挙動不審すぎるぞ」

「アジールにそんなこと言われるとは、いよいよ私も終わりかもしれないわね」

「……マリーお前、最近変わったな」

「そう」


 私は変わったのだろうか。

 たしかに、どうもボナスと出会ってから妙だ。

 大体にして、あの男はいつも、私の欲しいものを手に目の前に現れ、心をかき乱す。

 まるで悪魔ね。

 ただまぁ、悪魔はあんなぼんやりとした顔をしてはいないだろう。

 それに私は、ぼんやりとした男は嫌いじゃない。

 むしろボナスのことは気に入っている。

 戦場では隙の無い切れ者は、多くの敵を倒すが、それと同じくらい味方も殺す。

 そういう人間は、戦場では英雄として称えられる。

 だが、私は嫌いだ。

 要するに、私は自分自身のことが嫌いなのだ。

 そういうわけで、私はぼんやりとした男が好きだ。

 ボナスを見ていると、ろくに敵を倒せそうにない。

 だがその一方で、味方はなんだかんだ生き残りそうな気がしてくる。

 まぁ実際今回は本当にそうなった。

 

 ちなみに私は可愛いものと、綺麗なものも好きだ。

 恐ろしいことに、ボナスはいつもぼんやりとした顔で、可愛いものと綺麗なものを伴って現れるのだ。

 しかもあのチョコレートと言う身も心も溶かすような、とんでもなく甘いお菓子を持って。

 …………やはりあの男は悪魔かもしれない。

 気を付けなくては。


「マリー本当に大丈夫か……? さっきからエリザベスに顔をこすりつけながらずっとブツブツ言っているが……」

「問題ないわ」

「……」


 このエリザベスだってそうだ。

 悪魔的な触り心地で私をおかしくさせる――――。


 

 だめだ。

 サヴォイアへ着くまでに、領主様へボナス達をどう説明するか考えなくては。

 幸いなことに、今のところ私は領主様のお気に入りだ。

 ただ私は領主様が苦手だ。

 理由は複数ある。

 だが一番の理由は、彼が強い魔法使いであり、私が全く魔法を使えないことにある。


 そもそも私も貴族の端くれなので、魔力を見ることは出来る。

 だが、だけど結局どれだけ試みても、魔法をつかうことはできなかった。

 魔法が使えない人間は、まともな貴族としては扱われない。

 結果12歳で、貴族の側室になるか、軍に行くかを迫られ、特に迷いもせずに軍人となったわけだ。

 もちろん今なら違う道を選ぶことも出来ただろうが、12の小娘にはどうしようもできなかった。

 今思い返しても腹立たしい。


「クロは何歳なのかしらね」

「ぐぎゃう?」


 エリザベスの頭の上に器用に立ち、周囲の景色を楽しそうに眺めるクロを見て、当時の自分を思う。

 12歳の私は、ちょうどクロ位の背格好だったのかもしれない。

 まぁ当時の私は貧弱で、クロと比べるとはるかに弱々しい存在だった。


 それから10年間は軍で生活し、多くの戦争を経験し、当然そのまま戦場で骨を埋めると思っていた。

 だが10年目の夏、あっさりと軍を抜け、辺境へ行くことになる。

 そういえば、私の尻に異常な執着を見せていた、あの上官は元気だろうか。

 私としては、だいぶ我慢した方なのだが、イライラしている時に体を撫でまわしてきたので、つい半殺しにして局部を切り取ってしまったのだ。

 あれほど出血していたのに良く生きていたものだ。

 当然自分は処刑されるものだと思っていたし、当時の自分はそれでいいと思っていた。

 だが実際は、殺されることも無く、ただ軍隊から追い出されただけで済んだ。

 結局実家が動いたのだろう。

 事件後すぐに父から、なるべく早く中央を離れ、辺境へ行けと言われた。

 今にして振り返ると、何てくだらない人生なのかしら…………。

 たまたま剣の才能があり、英雄として持ち上げられたが、結局最後まで戦争は嫌いだったし、実際向いていなかったのだろう。

 

 まぁそんな訳もあり、人手不足で困っていたサヴォイアの領主様に、もろ手を挙げて歓迎されることになったわけだ。

 おかげで私の扱いはとても良い。

 それに領主様は貴族としてはかなり慈悲深く、魔法使いとしてはまともなほうではある。

 だが魔法使いと、そうでないものの間には、肉食動物と草食動物のような、非対称な緊張関係がある。

 もちろん草食動物が肉食動物を殺すことだってあるし、魔法使いが私たちを実際に捕食するわけでもない。

 それに私の場合、魔力が見えるし剣も早い。

 先に魔法使いの首を落とすことは、それほど難しいことではない。

 だがそれでも、いざ魔法使いを目の前にすると、まるで天敵を前にしたような独特の恐怖感を感じるのだ。

 そんな相手に対して苦手意識を持たないことなど不可能だ。


「ぐぎゃう~!」

「あら、もうついたのね……」

「急いで移動している風でも無かったが、馬鹿っ早いな」


 考えがまとまり切る前に、三角岩までついてしまった。

 ここからサヴォイアまでの間で果たして考えはまとまるのかしら。


「クロ、エリザベス。ありがとうね」

「ぎゃうぎゃう」

「メェ~」

「じゃ、行くわ。ボナスによろしく」


 つい彼女たちに抱き着きたいという衝動に駆られる。

 だが、いい加減気分を切り替えねば。

 本当にボナスやこの子達にはダメにされてしまう。

 軍で働いていたころの私が今の私を見たら何というだろう。

 くだらないと鼻で笑うだろうか。

 気持ちを切り替え、彼女たちに背を向けて歩き出す。

 アジールは私が変わったといったが、確かに私は少し……ダメになったのかもしれない。


「領主様への良い説明でも思いついたのか?」

「いいえ。なぜ?」

「いや……笑ってたぞ?」

「……そう」

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