第141話 ラウラの休暇④

「ん~っ! ああ~、頑張って良かったぁ! やっぱりアジトのご飯は美味しいですね!」

「まったくだ。ああ~しんどかった……」

「とっても疲れたね」

「ぎゃ~ぅ」


 ラウラは幸せをかみしめるように、口いっぱいに料理を頬張っている。

 クロとシロ、そしてエリザベスにコハク、そしてラウラ、無事に揃って昼食にありつくことができた。

 皆今は気を休め、すっかりくつろぎながらも、どことなくその表情には疲労の跡を残している。

 あのクロでさえどことなくホッとした顔をしている気がする。

 実際、アジトへ戻ってきた時は、皆それは酷い状況だった。

 全身砂まみれで、歩くたびに毛髪や衣類から小さな砂埃が舞い上がる。

 口の中や鼻の中、目の奥にまで細かい砂の粒子を感じるような気がした。

 体は重く、疲労と不快さにすっかりやられ、ずいぶんしなびた様子に、留守番をしていた皆はひどく驚いていた。

 それでも、ひんやりと冷たい湖の水に体を遊ばせているうちに、なんとか皆元気を取り戻していったようだ。

 エリザベスはいつもは湖の浅いところで、体を水にさらす程度だが、今日は積極的に頭の先から尻尾の先まで、何度も水へ全身をくぐらせて、ザブザブと派手な水しぶきを立てながら泳いでいた。

 気持ちはよくわかる。

 無数の気持ち悪い虫に集られながら、じわじわと砂に飲まれていく――、想像を絶する恐怖と不快感を味わったことだろう。

 俺はほんの少し足が埋もれただけだったが、それでもなかなかの恐怖を感じた。

 ちなみに俺はというと、思った以上に戦闘時のダメージが残っていたようだ。

 打撲跡をニーチェたちにさすってもらうことで、ようやく身動きができるところまで回復した。

 ニーチェは俺が服を脱ぐと、全身の打撲痕と頬の怪我にびっくりしたのか、両手を口に当て目を見開いていた。

 あわてて仲間を集め、妙にこそばゆい指使いで、サワサワと傷を癒してくれた。

 今でも体を動かすとまだ痛みはするが、それもかなりマシにはなった。

 少し傷痕は残るだろうが、一週間もすれば全快するだろう。

 その後もなぜかニーチェは俺達についてきており、今はギゼラの膝の上でご飯を食べさせてもらっていたりする。

 ギゼラから料理、料理からギゼラへと、何度も視線を往復させつつ、食べたいものを指差す姿は、お行儀が良いのか図々しいのか、何とも言い難い風情がある。


「これ食ったら昼寝したいな……さすがに疲れたわ」

「実際ボナスは傷も結構酷かったし、そうした方が良いよ。それに比べてラウラは元気だねぇ~」

「ギゼラさん、それはもちろん頑張った分、美味しくご飯食べられますからね!」

「ニィニィ!」


 ちなみに今日の料理はなんとオスカーがメインを担当したらしい。

 肉や魚だけでなく、チーズや野菜等、多種多様な燻製料理がテーブルに並ぶ。


「さぁ、第二弾もできたぞ! うまいだろ? どうだ?」

「確かに、悔しいくらいうまいな……。ここ数日の間、コソコソと何かしているとは思っていたが、燻製の準備してたんだな」

「ああ、ラウラも遊びに来るっていうし、それに合わせて準備してたんだ」

「まぁ! ありがとうございます! どれもと~ってもおいしいですよ!」


 俺達が湖から上がると、調理場の近くに大きな鳥小屋のようなものが出来上がっており、小さな煙突からモクモクと少し心配になるような量の煙を吹きあげていた。

 オスカーは俺達がサンドワームと戦っている間、わずか半日で、燻製小屋を完成させてしまったのだ。

 三日かけて図面を描いた身としては、その手際に敗北感のようなものさえ感じる。

 ギゼラとザムザの協力があったとはいえ、たった半日だ。

 しかも、図面上の細かな不具合がオスカーの工夫によりうまく解消されており、完成度も高い。


「ボナス、なかなかいい設計だとおもうぞ。これからいろいろな燻製が手軽に楽しめるようになるな!」

「そりゃどうも……、お前じゃ無けりゃ嫌味かと思うわ。まぁしかし、この燻製の香りは実際素晴らしいな。アジトの木を使ったのか?」

「ああ! 正直どうなるかと思ったが、悪くないだろ? ここは樹種も多いし、いろいろと試したいことだらけだ!」


 オスカーは木工職人だけあって、普段からいろいろな種類の木材を集めている。

 すでにアジトにもオスカー専用の資材置き場のようになっている場所があるくらいだ。

 特に香りのするものが面白いらしく、その辺で色んな木片を拾っては、妙に難しい顔でクンクンと匂いを嗅いでいる。

 たまにクロやコハクがその様子を真似して、変な木を拾ってくる。

 そういうわけで、当然のことながら、燻製用の木材にもかなり関心が強い。


「こういう香りの燻製は食べたことが無かったけど、なかなか……悪くないねえ」

「そうだろ、ミル! お前さんもなかなか燻製にはこだわりがあるみたいだが、こいつはなかなかだろ! え? どうだ!?」

「あ~はいはい。まぁ、あたしもしばらくはやりたいことが山積みだから、燻製小屋は任せるよ!」

「おう! 使いたかったらいつでも言ってくれ! そうだ、ボナス。ほれ、お前さんのご希望のやつもできてるぞ!」

「おっ、いいね~! ん~、なるほどな……ジャンクな料理のはずなんだが……香りが付くと妙に高級感があるな。うまい……ありがとうオスカー、後ザムザも」


 謎芋チップスを燻したものをオスカーが持ってくる。

 ザムザに厚切りの芋を獣脂で揚げてもらい、オスカーが燻製に仕上げたものだ。

 ザクザクとしたやや硬めの歯ごたえに、ジューシーな脂のうまみ、スモーキーな香りが素晴らしい。

 正直今はがっつり食べるものより、こういった軽くつまめるようなものが欲しかったのだ。

 ニーチェのおかげでだいぶマシにはなったが、打撲跡が熱を持っているような感覚が少し気持ち悪く、どうにも食欲がわいてこない。

 それもあってザムザとオスカーにレシピを託して作ってもらったのだが――、思った以上の完成度だ。

 相変わらずガサツな見た目に反して、実に繊細な仕事をする。


「これ、とってもおいしい……」

「うわぁ、すごい歯ごたえ! んふふっ、これもほんと美味しいですね~」

「それにしてもラウラは、さっきまで鼻血垂らしてぶっ倒れていたとは思えない、見事な食べっぷりだな……」

「栄養補給です! 魔法を使うと頭が疲れますからね!」


 シロは湖から上がってからも、いまいち元気のない様子だったが、謎芋チップスを食べると、ようやくいつもの柔らかい笑顔を見せてくれた。

 ラウラも気に入ったようだ。

 満面の笑顔でザクザクと派手な音をたて、満足げにうなずいている。

 これがつい先ほどまで、黄金色の瞳を鋭く輝かせ、恐ろしいほどの執念と冷静さをもって、強大な敵を追い詰めていた人物とはとても思えない。

 いろいろな意味で本当に大した奴だと思う。


「ぎゃう~ぐぎゃうぎゃう! らうら!」

「そうだな。今回は本当にラウラのおかげで生き残れたようなもんだな」

「間違いないね。本当にラウラは凄かったよ」

「へ? あっ、ありがとうございます。わ、私、頑張りました! んふふふっ、私も――、みなさんのお役に立てましたか? やっとアジトの……」

「ラウラはまったくも~」

「ギゼラさん?」


 ラウラの声が尻すぼみになってきたところ、ギゼラがやれやれと言った様子で、膝に乗せたニーチェの指でラウラを指差す。

 ニーチェはお腹がいっぱいになったせいか、うつらうつら居眠りをはじめている。

 全身脱力して、ぐにゃぐにゃのゴム人形のようだ。

 着実に野生が失われているな……。


「ラウラだってアジトの一員なんだよ? どうせ、なんだかよくわからない引け目を感じたりしてたんでしょ? 全くそんな心配いらないのに~」

「あ、え、いえ、わ、わたしはえーっと……み、みなさん凄すぎるんですよ! 自信なんて持てるわけありませんって……」

「とっくにみんな仲間だと思ってるって。そう思えてないのはラウラだけー。だいたい私達の能力の違いなんて、キダナケモがうろつくこの場所では、ほぼ誤差、等しく無意味だと思うよ?」

「そうなん……でしょうか?」

「そりゃそうでしょー。今日だって、それを実感したんじゃない? それにボナスと一緒にずいぶん前から住居の改築を計画してるけど、後で図面見せてもらいなよ。とっくの昔にラウラの部屋だってちゃーんと描かれてるからね。あたりまえでしょー」

「そ、そうなんですか……ボナス様?」

「ああ、ちょっと高い位置にあるけどなかなか良い部屋で、湖がちょうど見えると思うぞ」

「わ、わたしも……アジトの一員なんですね……んふふふっ、ふふふふふっ」

「今更過ぎるだろ~」

「ぎゃうぐぎゃう!」

「わわわっ! ク、クロさん……ありがとうございます。えへへへっ」


 クロがラウラを抱きしめ、頭を撫でている。

 ラウラもまんざらでもなさそうにニヤニヤ撫でられている。

 クロはラウラを一輪車に乗せて爆走しているころから、すっかりラウラの保護者気分なのかもしれない。

 貴族令嬢が小鬼にヨシヨシされる絵面は相当珍しいだろうな。


「そうだ、ラウラ、わたしのことはシロと呼んでね」

「シロさん?」

「シロ」

「え、あ……シ、シロ……?」

「うん。いいね」

「ああ、確かにな。どちらかというと本来こっちがラウラ様とでも呼ぶべきなんだろうしなぁ~。なんなら今からでもそう呼ぼうか?」

「や、やめてください!」

「じゃあ、お互いもういいかげん呼び捨てでもいいだろ?」

「え、あ……わ、わかりました。それじゃあ……これからもよろしくお願いしますね――ボナス」

「うわっ、新鮮……ってもう鼻血だしてくれるなよ……」


 ラウラは耳まで真っ赤にして顔を両手で覆うと、ゴロゴロと地面を転がっている。

 確かに、いざ呼び捨てで呼ばれると、意外なほど気恥しい。

 ラウラは普段、誰と話す時でもかなり丁寧な喋り方をするし、敬称を略すようなこともない。

 そのせいだろうか、ただ名前を呼び捨てにされるだけで、一気に距離が縮まったように感じる。


「ぎゃう~、ぐぎゃう~……ら~う~ら~?」

「ああっ、……ク、クロ?」

「ぐぎゃう! ぎゃ~う!」


 クロがニヤニヤしながら自分を指差しラウラに迫っていき、名前を呼ばせては小躍りしている。

 そんな調子で、皆が皆、自分の名前を呼ぶように迫っていく。

 結果、しばらくの間ラウラは悶え地面を転げまわることになった。

 それにしても、こういう時ギゼラは人の繊細な部分を汲み取りケアするのがうまい。

 ミルがヴァインツ村から抜ける時だってそうだ。

 陰ながら思い悩む彼女の支えになってくれていた。

 俺には真似できない部分だ。

 彼女のような存在が身近にいてくれると本当に助かる。


「今回だって……、ギゼラが一緒に来ていたら、違ったんだろうなぁ」

「ん~? 今回って……なんで~?」

「俺だけだと、どうにも不用意でさ……、危うく今回だって全滅する可能性だってありえた」


 この面子なら何とでもなると、無意識にそう過信していたのかもしれない。

 確かに、ぴんくと一緒に荒野を徘徊していたころに比べれば、頼れる仲間も増えたし、装備も充実した。

 おかげで今の俺には、とても力強く、暖かいものに守られているような充実感がある。

 けれど――、そんな常識的な強さも、あくまで街の傭兵や盗賊、モンスターを相手にしている限りの話だ。

 キダナケモ相手ではあまり意味をなさない。

 むしろ、その強さへの信頼が、毒になることだってありうる。

 ここに来た頃はもっとずっと臆病に暮らしていたし、それは俺の強みだったはずだ。

 だがしかし――、だからといって、果たしてあの当時のような心持を取り戻せるだろうか?

 クロとシロのあいだに立ち、あるいはエリザベスの背に乗って、俺は果たして臆病でいることができるだろうか?

 それは――やっぱり難しいだろうなぁ……。

 自信は理屈で積み上げられるが、臆病であり続けることは生理的な限界がある。

 少なくとも自分の意志でコントロールできるようなものではない。

 だからたぶん――、俺はもっとずっと仲間を頼るべきなのだ。

 あの時、ギゼラが、あるいはオスカーがいれば、俺を止めるような一言があっただろう。

 そうすれば、もっと慎重に、いろいろな可能性について話し合ったかもしれない。

 すでに成功体験だってあったのだ。

 ヴァインツ村の復興時にはギゼラやオスカー、時にザムザやミルも混ざり、意見を出し合い事業を進めていった。

 そして実際、驚くほどうまくことを進めることができた。

 とりわけ、馬鹿な方向へ暴走しがちな俺やオスカーをたしなめる意味では、ギゼラの力はとても大きかった。


「ギゼラは……賢いからな。今回もお前が側にいて話し合えていたら、もっと楽に乗り切れたと思う」

「賢いって……いやぁ~、どう考えても、ラウラの方が頭いいでしょ~」

「そんなことはありませんよ、ギ、……ギゼラ! 魔法使いには魔法使いの、商人には商人の、大工には大工の、そして鍛冶屋には鍛冶屋の頭の良さというものがあるのです。全てを包括するような知性などというものは原理的に存在しえません。わたしは魔法使い、あるいは学者としてはそれなりのものだと自負しておりますが、貴族社会ではとても愚かで頭の悪い人間です。ある世界の頭の良さが、別の世界からはただの愚かさに見えるなんてことは良くあることでしょう?」

「ラウラが頭の良さそうなことを言っている」

「もうっ! ボナス!」

「なんだかそうやってラウラに呼び捨てにされると、ぐっとくるな……。でも俺もラウラの言う通りだと思うよ。そういうわけで、やっぱりああいう時、俺にはギゼラが必要なんだよ」

「わ、わかったよ~。なんかそんな言われ方すると恥ずかしいなぁ」

「ニェ……」


 ギゼラはそう言うと肩を寄せ、ぐんにゃりと眠り続けているニーチェを俺の顔にグイグイと押し付けてくる。

 口が魚の燻製臭い。


「ギ、ギゼラとボナスがイチャイチャしだした!?」

「あっはっはっはっ。じゃあラウラも混ざる~?」

「え、あ、じゃあちょっとだけ……っていやそうじゃなくって……えーっと、そうそう、活躍と言えばぴんくちゃん!」

「ああ、最近あんまり活躍することもなかったんだけど、今回はよく頑張ってくれたわ~。まだ寝てるけど、起きたらこの謎芋チップスと燻製チーズを進呈しよう」

「ぴんくちゃんは凄いとかそう言った次元の問題ですらないような気がしますね……。このアジトに来てから私も散々常識はずれなことを目にしてきましたが、それらすべてが可愛らしく思えるほどで……。う~ん……私自身、時期が来るまではぴんくさんについての考察は自分のなかに留めておきたいと思います。正直……考えるだけでも少し怖いです」


 ラウラはぴんくの閃光を思い出しているのだろうか、少し身震いするようなしぐさをして、静かにそう語った。

 彼女がこういった魔法絡みの事柄について言いよどむのは珍しい。


「そんなまずいの?」

「まずいですね。私達の魔法についての根本的な認識が覆されてしまいます……。あんな超高火力の魔法は、原理的には不可能なはずなのです……。私達が知っている原理的には……」

「おぉ……、やっぱり秘密にしておくべき?」

「ですね。もし魔法使いが目にすると大変な騒ぎになります。とにかく、今回のように命の危険が無い限りは、人前であの力を使うのは避けるべきですね。とはいえ街中では使いどころも無いでしょうけど……」

「まぁ今まで通りと言えば、今まで通りか」

「たしかにそうですね……。あ、そういえばコハクちゃんも凄かったですねぇ!」

「んにゃむ……」


 ちなみに、コハクは今エリザベスにぴったりとくっついて眠っている。

 湖で冷えた体を日向で温めているうちに眠ってしまったようだ。

 エリザベスも相当疲れたのだろう。

 彼女にしては珍しく、コハクと一緒に気が抜けた様子で眠りこけている。


「そういやコハクにも危ないところを助けてもらったんだよな。影を渡っているように見えたけど……、あれは何だったんだろ」

「確かにそう見えましたよね。ですが――あれはどちらかというと、影を渡るというより、光の中を物性を無視して移動しているのでしょうね。光と一体になって移動して、影を使って実体化するような感じでしょうか」

「もはや理解不能だな……。それじゃ夜中はあまり意味が無くて、むしろ日中に有効なのかな?」

「そうですね。私も実際にどのような魔法なのかはまったく理解が及びませんし、あくまで予想ですけど……。いずれにしても、とても強力な魔法なのは間違いないですね。ぴんくちゃんのことが無ければもっと驚いたでしょうが……、なんだかそのあたりの感覚が麻痺しちゃってますね」

「それじゃもしかして……、コハクはサヴォイアに一瞬で行けたりするのかな?」

「原理的には……。う~ん、でも実際はどうなんでしょうねぇ」

「凄いな力だな。だけどまぁ――その辺の能力についてはあまり当てにしない方が良いな。まだコハクは子供だ。こいつがどれだけ長生きするのかは分からんが、少なくとも俺達と一緒にいる間は、誰かに都合よくつかわれないように、存分に人生を楽しんで貰いたい」

「豹生では?」

「ああ……まぁ、そうか」

「んにゃうん……」

「ふふふふふっ。コハクちゃん、尻尾で返事してますね。かわいいなぁ~」

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異世界アジト~辺境に秘密基地作ってみた~ あいおいあおい @ds1980

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