第60話 アジトへ
マリーをアジトへ招待か…………。
さすがの俺でも、この状況でいまさら来るなとは言えない。
「いいよ。ただし死んでも口を割らないと約束してくれ。例え領主に聞かれたとしてもだ」
「……マリー・ボアロの名に懸けて秘密は守るわ。加えてもしアジールが口を割りそうになったら私が切る」
「何でお前に切られにゃならんのだ! 俺だって秘密は守る!」
マリーは異常に鋭い。
最初に出会った時からそうだった。
あった瞬間からクロを警戒し、ぴんくの存在に気が付いた。
それほど勘が鋭いのだ。
いずれ付き合いが深くなると、アジトの存在についても勘づくだろうとは前々から思ってはいた。
であれば、むしろ今はタイミングとしては望ましいのかもしれない。
今回の傭兵仕事は実に酷いものだった。
だがこの仕事を通して、こいつらが命を預けるに足る人物であることも身に染みて確認できた。
実際誰か一人でも欠けていたら俺は死んでいただろう。
それは、もちろんミルも同様だ。
「ミルだけ置いていくわけにもいかんしな…………」
「彼女は実際よく働いてくれた。本当にこいつの焼いたパンを食ってみたくなったわ」
アジールがそう言うのもよくわかる。
よだれをたらし、いびきをかいて寝ているが、意外と寝顔は幼く、可愛らしい。
先ほどまで、姉御肌の頼れる傭兵として活躍していたとは思えない。
「ドワーフの血が混ざってるわね。それゆえの頑強さよ」
「そういうことだったのか。パン屋にしては強すぎると思ったわ」
ドワーフとかいるのかよ。
そういや、魔法がどうとかも言っていたし、思ったより色々とファンタジーだな。
まぁいまさらか。
そんなことより今はエリザベスにしがみついて寝たい。
「とりあえず、少し休憩しよう。もう限界だ~エリザベス~」
「メェェェエエ~」
「あーっはっはっはっは、私キダナケモ乗ってる~。ありえないんだけど~! あっはっはっはっは!」
ギゼラがエリザベスの上で、いつものように馬鹿笑いしている。
反対にマリーとアジール、それにザムザは、何故かエリザベスにビビり散らかしている。
「これ、キダナケモよね? 本当に大丈夫なの? え? うそ、なにこれ…………やだっ、ふわっふわじゃない、あぁ……」
意外なことに、マリーが一番ビビっていた。
だが、いざエリザベスに乗ると、その魅力的すぎる手触りに、あっという間に篭絡されたようだ。
今はとろけるような笑顔でしがみつき、顔をこすりつけている。
アジールとザムザは固まって遠くを見ている。
心を無にしようと試みているようだ。
ミルはやはり物怖じしないタイプなのか、エリザベスの背中を興味深げにさすりながら、おとなしく乗ってくる。
「この毛は良いね。これでひざ掛けなんか作ったら素敵だろうね」
「ミルは編み物すんの?」
「ああ、私はパンに限らず自分で色々作るのが好きなのさ。ドワーフの血だろうね」
「おお! こいつの毛とってあるから、分けたげるよ。その代わり俺達にも何か作って」
「いいね! 任せな! これは本当にいい毛だねぇ」
思いがけず、面白い奴だった。
エリザベスの毛で作った生地とか楽しみでしかない。
その後ミルは職人同士通じるものがあるのか、ギゼラと何か話し込んでいた。
相変わらずエリザベスの毛に顔をうずめ、うっとりしているマリーに話しかける。
「今回のは結局なんだったんだ?」
「領主様が政治に失敗したのよ。黒狼は間違いなくタミル帝国の牽制でしょう。ちょっとした嫌がらせをサヴォイアにするつもりだったようね」
「ちょっとした嫌がらせの割には激しすぎないか?」
「確かにね。けれど問題の本質は、領主様がそのことを知らなかったことよ。レナス王国の中央はそんな情報とっくに掴んでいたはず。場合によってはタミル帝国側から事前にリークされていてもおかしくはない。べつにお互い本気で戦争をしたいわけでもないでしょうから、少なくとも今は。でもそれがサヴォイアの領主様には伝わっておらず、場合によってはサヴォイアを失う所だった」
「国レベルの政治の話であれば、もはや俺の関知するところでは無さそうだな。というか出来るだけ関わりたくはないな。もちろん報酬は欲しいが…………」
「私がうまくやっておくわ。ただ…………あなたもある程度は顔を売っておくべきよ。あなたには力がある。であれば、しっかりとした後ろ盾を築いておかないと、利用されるか……殺されるわよ」
マリーの言わんとすることはよくわかる。
だが、いまさら政治的な思考や動きに関心が持てないのが本音だ。
「できれば面倒だから、マリーが後ろ盾になってくれ」
「別にいいけど、私には貴族に物申せるほどの権力は無いわよ」
「まぁそれ以上は機会があればだな」
そうこう言っている間に、アジトに到着する。
エリザベスは岩肌の僅かな凹凸に上手く蹄をかけ、衝撃をいなしつつ、垂直な崖を振動なく降りていく。
「ああ…………やっと帰ってこれた~」
「ぐぎゃーぅ!」
「おちつく。私はやっぱりここが好き」
「うっわ~。地獄の鍋に植物がこんなに……嘘みたい。水場もあるじゃん!」
エリザベスから降りると直ぐに、クロがギゼラとマリーの手を引いて水場へ向かっていく。
俺もシロと一緒にのんびり歩き出す。
彼女もこれまで大分緊張し、疲れていたのだろう。
アジトに着いてから、やっといつもの柔らかい笑顔が戻ってきた。
残されたザムザとアジール、そしてミルは、やや緊張しつつも、周囲を興味深げに見回している。
少し休んだとはいえ、俺含め、当然限界まで疲労し眠くはある。
だがそれでも、まずはあまりにも不快な泥と黒狼の血を、可能な限り早く洗い落としたい。
「アジール。見たら殺すわ」
クロはすっかり全裸になっており、マリーがそれをアジールの目から隠している。
「今は女の裸なんぞどうでもいいわ」
「アジールらしからぬことを…………」
流石のアジールも限界まで疲れているようで、表情が抜け落ちた顔でおとなしく体を洗いだす。
ミルやギゼラも当たり前のように全裸になって水浴びをしだす。
「ああ、気持ちいい…………」
「つめたーいっ! さいっこう!」
ミルとギゼラは胸が大きいとは思っていたが、ふたりとも想像以上に立派なものを………………。
だめだ、こんなに疲れているのに、俺はアジールよりダメな男なのかもしれない。
「おっぱい――――んがっ」
アジールが何か馬鹿なことを言いかけたところで、マリーに蹴り飛ばされていた。
――少し安心した。
ザムザの傷だらけ、噛み跡だらけだった体はほぼ治ったようだ。
あれだけあった全ての傷跡が、今はもうすべて消えている。
なんだか残念な気もするな。
ザムザはあれほど身を挺し、立派に戦い続けたにもかかわらず、あっという間にその痕跡はきれいさっぱり無くなるのだ。
傷とは言え、名誉の痕跡と言えなくもない。
それにしても、あらためて見直すと、ザムザは中々立派な筋肉している。
とはいえ、ザムザの体はまだ常識の範囲だ。
やはりシロ特有のやわらかい美しさと、圧倒的な力強さが同居する、芸術品のような肉体美には到底かなわない。
ザムザは完全に憧れのまなざしでシロを見ている。
疲労で頭がうまく働かず、俺も同じようにぼんやり見とれていると、シロがこちらを向く。
そして、とくに体を隠すでもなく、柔らかい表情でにっこり笑いかけてくる。
思わずドキッとする。
これ以上は俺もマリーに蹴り飛ばされそうだ。
粛々と泥と血液を落とすことに集中する。
すっかり身綺麗にすると、急に耐えがたい眠気に襲われる。
さすがに一度みんな寝ようということになった。
全員にあまりものの布など、寝具になりそうなものを渡し、岩壁の亀裂内で各自適当に仮眠をとることにする。
ああ~、懐かしの岩壁ベッド。
横になった瞬間意識がふっ飛んで行った。
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