第87話 久しぶりのサヴォイアで②

 以前訪れた際に、気になっていた仕立屋を訪問する。

 すこしぼんやりとした雰囲気の父親と、二人の姦しい娘達が切り盛りしている家族経営の店だ。

 当時はいろいろと余裕も無かったので、まるで手が出なかったが、今なら自由に買い物ができそうだ。


「ぎゃうぎゃーう!」

「そうだな。昔この店でクロに赤いリボン買ったよな~。あ~それそれ……そっか、まだ持っていたんだな」

「ぎゃうぐぎゃう!」

「あの時から変わらず似合っているよ。最高に可愛いぞ!」

「きゃぅーっ!」


 まだクロが他の小鬼たちと大して見た目の変わらない頃、この店でリボンを買ったのだが、今でも腰袋に結び付けて持ち歩いていたようだ。

 当時は流石にシュールな絵面だった気もするが、目の前のクロには何の違和感も無いどころか普通に可愛らしい。

 相変わらず妙な動きでくねくね喜んでいるが、今のクロはそんな姿でさえも目を奪われてしまう。


「まぁ、何て可愛らしい! お客様何かお探しですか?」

「ぎゃう~?」

「ぎゃ、ぎゃう~?」


 クロが楽しそうに生地を見ていたところ、次女の方が目を輝かせて話しかける。

 予想外の返答に混乱しているようだが、面白そうなので、あえて放っておく。

 店主を探して店の中を見渡していると、長女と目が合い話しかけられる。

 

「お客様、確か以前にも一度お買い物いただきましたよね?」

「おおっ、よく覚えているね~。あの時は端切れ一枚しか買えなかったけど、色々教えてもらって助かったよ。今日はちゃんと服を作ってもらいたくて来たんだ」

「まぁ! それはありがとうございます! どちらの方のお召し物でしょうか?」

「とりあえずは今ここにいる三人分。後日また増えるかも」

「承知いたしました! お父様! ねぇ、お父様ったら!」

「うん? なんだい~?」


 三人分の服を買うことを告げると、それまで穏やかそうだった娘の目つきが変わり、奥の方で静かに裁断作業をこなしていた、父親が引っ張り出される。


「お客様方それぞれに服を作りたいんですって。わたくし、こちらのお客様のお相手をいたしますから、お父様はこちらの方をお願いしますね!」

「あ、はい」


 どうやら長女は、俺を店主に押し付け、シロの相手をしてくれるようだ。

 とはいえそれほど大きい店でも無いので、お互いのやり取りは全て把握できる。


「どうぞこちらにお座りくださいね。……あらまぁ! なんて美しい方なのかしら! あの、わたくしロミナと申します」

「私はシロ。よろしくね」

「あぁぁっ……。わ、わかりました。すべてわたくしにお任せくださいませ!」


 どうやら長女の名前はロミナというらしい。

 シロの中性的で美しい笑顔に当てられて、頬を染め挙動もおかしくなっている。


「えーっと、私が店主のトマスです。お客様はどういったものをお求めでしょうか?」

「ああ、俺はボナス。まずは彼女たち、クロとシロに関してだけど、彼女たちの希望を最優先したうえで、今着ているような日常着を二着。後はとにかく彼女たちを美しく、可愛く見せるような服を一着用意してほしい。彼女たちは戦闘もこなすので、そのあたり十分配慮してやってほしい」

「まぁ、三着も!」

「ぐきゃ……お任せください!」


 やや大きめの声で説明すると、クロとシロに付いていた二人が返事をくれる。

 クロの相手をしてもらっている次女の様子が若干心配だが、意思の疎通は意外なほどスムーズに出来ているようだ。


「ボナスさんはどのような?」

「えーっと、これと同じものを作れるかな?」

「……少し詳しく見せていただいても?」


 だいぶくたびれてしまったが、大切にしまっておいたスーツとシャツをトマスに渡す。

 スーツを手に取った瞬間、トマスの半開きだった口は一文字に締まり、目つきが鋭くなる。

 厳しい目でスーツをテーブルに広げ、裏返したり元に戻したりしつつ、目をぎょろぎょろと動かす。

 さっきまでぼんやりとした雰囲気の親父さんだったが、急に殺し屋のように見えてくる。

 元の人相があまりに怖いから、わざとぼんやりとした顔をしていたのだろうか……。


「まず、この品質の生地を用意することは不可能です。王族の服だと言われても納得できてしまうようなものですな……。後は……恐ろしく複雑な構造をしていますが……一度糸を解いてパターンを起こせば再現することは可能かと思います」

「おお! それはよかったよ。生地はまぁ仕方ないだろうなぁ。アイロン……皺を熱で伸ばすようなものはあるのかな?」

「ございますよ。この服を作るには必要でしょうな」


 トマスは殺し屋のような表情のまま、落ち着いた対応しつつも、スーツからは目を離さず、延々といじり続けている。

 いつの間にか、クロとシロの接客中の娘達も、こちらを凄い目つきで見ているのを感じる。

 明るく華やかなイメージの娘達だったが、スーツを見る目つきは魔女じみて恐ろしく見える。

 仕事に真剣なだけなのだろうが、熱が入りすぎると顔が怖くなるのは家系的なものなのか……。


「解体してみなければ分からない部分も多いですが、見本があるのですから、技術的には時間があれば再現可能でしょう。……問題はやはり生地ですな。例え同じように作ったとしても……雰囲気は変わってしまうでしょう。この裏地に使用されている、滑りの良い素材も……一体何が使われているのやら」

「それは難しいだろうな。ただ、素材と言えばちょっと見てほしいものがあるんだ」


 鞄の底にしまっておいたエリザベスの毛を袋ごと取り出す。

 ちょうど緩衝材にもなるので、他の荷物で無理やり押さえつけて底の方に収納していたが、鞄から取り出すと袋がパンパンに膨らむ。

 その様子を視界に収めてか、やっと店主がスーツから目を離し、こちらに視線を向けた。


「ちょっと特殊な生き物の毛なんだけど、これを使ってみんなの服を作れない、か……な……?」

「まぁまぁまぁまぁ!」

「ねぇお姉ちゃん私これ欲しい……」

「こらこら、お前達。少し落ち着きなさい。あぁ……これはこれは……なんとまぁ……」


 最後まで喋り終える前に、トマスと娘たちが既にエリザベスの毛に群がっていた。

 ちなみにトマスはせわしなく手触りを確認したり、匂いを嗅いだりと一番落ち着きを無くしている。

 こいつら相当な服好きだな……。


「これで生地をお作りになるのですか?」

「ああ、そうしたいと思っているんだけど、どこに持って行けばいいのやら、どんなものが出来そうなのか、いまいちよくわからなくって……」

「是非お任せください。ご存じの通り、私共は生地の小売りもしておりますので、色々とそういった方面にも伝手がございます」


 予想はしていたが素材への評価は間違いなく良さそうだ。

 嬉しい反面、あまりに食いつきが良すぎて、少々不安になってくる。

 一応釘は刺しておくか……。


「事前に言い忘れたんだけど、この服や毛については他言無用でお願いしたい。それと一応言っておくと、その毛も商売ができるほどの量は確保できないよ」

「これだけのものですから、そうおっしゃられるのも理解できますな。承知いたしました。……ただ少しだけお願いがありまして……。出来上がった生地について、余った分でよろしいので、私共にも使用させていただけないでしょうか? もちろんその分はお支払いしますので……」

「そう、だね……。まぁ……わかったよ」


 まぁ、実際は他言無用と言ったところで、服なのだから必ず人の目にはつくのだ。

 色々とバレるのも時間の問題だろう。

 俺としては、別にトマス達が変な気さえ起こさなければ、少々のことは構わない。

 今はすっかり殺し屋一家のような表情になって、スーツやエリザベスの毛をこねくり回しているが、この家族のことは個人的に嫌いではない。

 店も綺麗だし、置いている生地の品質やセンスもいい。

 金が無い時に来た時も、親切にしてくれた。

 何より3人とも服が大好きなのがよく伝わってくる。

 そういうわけで、トマス達がしっかりとした仕事をしてくれる限りにおいては、ボナス商会をうまく利用してくれて構わないだろう。


「この毛はお預かりしても? 色々試してみたいですな。どれほどの強度や耐久性があるのか、他の繊維との相性、染色の具合なども調べたく思います」

「強度については相当なものだと思うよ。ただ、染色は難しいんじゃないかなぁ……。まぁ、任せるよ」

「ねぇお父様……、これは中々手ごわい素材だわ……」

「どうしたんだメアリ? ……なるほど、強度が高い分取り扱いにコツがいりそうですな。糸にするとさらに光沢が美しい……」

「お父様! メアリも! お客様をお待たせしてはだめよ。シロさんもごめんなさい。えっと、やっぱりこのアイスブルーがお似合いに――――」


 クロの相手をしていた次女はメアリと言う名前らしい。

 いつの間にか少しだけエリザベスの毛を紡いで、糸としての性質を確認していたようだ。

 なかなか抜け目のない性格のようにも思えるが、直ぐにクロのところに戻り、ぐきゃぐきゃ言っているところを見ると、いまいちよくわからなくなる……。

 ロミナのほうは、また華やかな笑顔を浮かべてシロの接客に戻っている。


「それじゃトマスさん。その毛を使った生地については、ある程度方向性が見えてからでいいので、今日の所はまずは別の素材を使ってスーツを作ってもらおうかな。それと、シャツの方はどうかな?」

「こちらも中々興味深いですな……ですがまぁ、スーツに比べれば比較的作りやすいです。ただし、こちらも生地の品質はだいぶ落ちることになりますが……」


 そう言いながらトマスは生地を愛でるようにリネンシャツに触れ、構造を調べている。

 細部の縫製などを確認しながら何か感心したような声をあげたり、首をひねったりとせわしない。


「それはまぁ仕方ないだろうね。なるべく肌触り良さそうなのでお願い。……そういえば、生地見本みたいなのある?」

「ええ、もちろん。どういった色味の物がご希望でしょうか?」

「そうだねぇ……一着目だし、スーツもシャツもなるべく元の物と近いものにしたいな」

「それでは、このスーツと言う服はグレーの生地を、シャツはサックスブルーでよろしいですね。あと、ポケットに入っていましたが、こちらはどうします?」

「ああ、ニットタイもあったのか。それも同じようなものを作ってもらえるかな?」

「承知いたしました。少々お待ちを――――」


 トマスはエリザベスの毛の入った袋を小脇に抱え、一度奥に引っ込む。

 どうやらシロの方も順調に進んでいるようだ。

 ロミナが背伸びをしながらシロに色々な布を当てては楽しそうな声をあげている。

 シロもきっちりポーズを決めている。

 満更でもなさそうだ。


「ぎゃうぐぎゃう~!」

「きゃう! ぐきゃうきゃう」


 クロと次女のメアリは、先ほどから心配になるやり取りを繰り広げているが、二人とも異常に楽しそうなので、まぁ良いだろう……。

 むしろ、既にいくつか生地をピックアップし終えているところを見ると、一番話が円滑に進んでいる可能性もある。


「お待たせしました。こちらになります」

「おおーっ、結構種類があるんだねぇ……それじゃあ――――」


 それから暫くの間、生地を決めたり、クロやシロの着る服のデザインについて打ち合わせをしたりしつつ、結構な時間仕立屋に滞在してしまった。

 トマスや娘たちは中々話し上手で、打ち合わせ自体とても楽しめた。

 クロやシロも満足そうな表情をしている。

 二人は素材が良いので、娘たちも始終興奮して、最高に似合うものを作ろうとしてくれたようだ。

 とはいえ、このまま話し込んでいては市場に行く時間が無くなりそうだったので、細部についてはトマス達に任せることとする。


「それじゃあ、ありがとう。完成はいつごろになりそうかな」

「そうですね……全部で二十日いただければと思います。基本的には早く作ることのできるものから順番に作っていきますので、出来たものから順次お渡しできますが……、ボナスさんのスーツは一番時間を頂くことになりそうですから最後になりますね」

「明日の午後にはシロさんの普段着を仕上げてしまいますわ!」

「お姉さま……寝なきゃだめよ? クロさんのも一着であれば完成させておきますからね!」

「ありがと」

「ぐぎゃうぎゃう!」

「まぁそれほど急ぎはしないけれども、とりあえずここは市場からも近いし、明日の帰り際にでもまた寄らせてもらおうかな」

「それではお待ちしておりますね」


 日常着とは言え、一晩で完成させられるのか。

 正直早くても一週間くらいはかかると思っていたが、意外なほど早い。

 客は俺達だけでは無いだろうし、当然ミシンも無いだろうに、どうやっているのだろうか。

 見たいような見たくないような……。

 

「あら、ミシャールで何かされているのですか?」

「ああ、ちょっとした飲み物を提供する露店をね。色々と予想外のことがあって、まだこれからの計画が立てられなくてねぇ……」

「もし開店されたら是非寄らせていただきますね。ね、お姉様も一緒に行きましょう?」

「シロさんもいらっしゃるのですよね? もちろん行きますわ!」

「ああ、それじゃあ楽しみにしているよ」


 最終的に、クロとシロの服が三着づつ、俺のスーツが一着とシャツが二着にネクタイ二本、加えてクロが欲しがった生地をそれなりの量購入することとなった。

 中々の凄い量を購入することになったので、相当財布も軽くなるかと思ったが、意外と安く済んだ。

 もしかすると最近大金を手にしたので、金銭感覚がマヒしている可能性もありそうだ。

 だが、この世界へと来る前にこれほどの服を仕立てようとすると、少なく見積もっても五倍位は掛かっただろう。

 これくらいの金額であれば、ギゼラやザムザ、ミルの分も気にせず用意できるし、クロやシロの物も、もっと数を用意してもいいくらいだろう。

 自分の服ももちろんだが、着飾った二人の姿が見られるのはほんとうに楽しみだ。


「さて、日が暮れる前に市場へ向かうかな」

「そうだね」

「ぎゃ~う~!」

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