第84話 釣り

 午後、久しぶりにクロとアジトを散歩する。

 相変わらず強烈な日差しだが、アジトは木陰も多く、日中であっても比較的過ごしやすい。

 特に湖の周辺はリゾート感があって、散歩しているだけでも心地よい。

 もちろんキダナケモの気配があれば、そんなものは一瞬で吹っ飛んで、全力疾走することになるのだが……。

 とりあえず今日のところは大丈夫そうだ。

 明日からまた騒々しいサヴォイアへ行くことになる。

 今日はゆっくりと過ごしたい。


「よし、この辺でいいかな」

「ぎゃう~ぐぎゃう~」

「ありがとう。んじゃ餌付けるか……」


 湖畔にある大きめの岩に腰掛け、釣り針に餌を付ける。

 そう、ふと思い立って釣りに挑戦してみることにしたのだ。

 とはいえ、大した道具があるわけでも無い。

 キダナケモの骨を削った釣り針と木製の浮きに石の重り、エリザベスの毛を紡いだ糸を、程よい木の枝を拾ってきて、結び付けただけの簡単な仕掛けだ。

 一応餌は燻製肉を持ってきたが、クロは自分で調達した虫を使うようだ。

 大きいムカデのような虫を、上手く針へ通していく。

 紫色の汁を垂れ流しながら激しく動いており、中々刺激的な見た目だ……。


「この辺はかなり深そうだけど、魚いると良いなぁ」

「ぎゃうぐぎゃう~!」

「うあああっ、それはこっちに近づけなくていいって! 早く湖へ!」


 クロが綺麗に貫通した、やばそうな虫を自慢げに見せてくる。

 毒とか大丈夫だよな……。

 今日のクロはいつにもまして、楽しそうだ。

 もともと魚を捕まえるのが好きなようで、前にミルが釣りの話をした際、目をキラキラさせて話を聞いていた。

 ミルの話によると、どうもヴァインツ村では黒狼達が来るまで、村人たちは日常的に釣りを行っていたようだ。

 そういえば黒狼討伐の際、村での食事にも魚が出てきていたな。

 村の近海は、タミル帝国との緩衝領域として、船を出すことは禁止されていたようだが、沿岸部での個人的な釣りは問題なかったようだ。

 ミルも休みの日によく釣っていたようだ。

 そういうわけで、アジトに来たばかりのころ、湖を見つけたミルは喜び、気晴らしに釣りをしようとしていたのだ。

 だが、せっかく道具は用意したものの、黒豹の騒動等があり、すっかり放置して今に至るというわけだ。

 結局ミルは今もサヴォイアへ行く用意にかかりっきりで、釣りどころでは無い。

 ミルには申し訳ないが、暇な俺達が借りることにしたのだ。


「まぁ、実際魚がいるのかもよくわからないけど、とりあえずのんびりするか~」

「ぎゃぅ~」


 クロはミルに言われた通り、あまり騒がずおとなしく浮きを見つめている。

 俺とクロの乗っかっているこの岩は、今の時間帯はちょうど木陰ができて、風が吹くと涼しいくらいだ。

 普段はあまり近寄らない場所で、水の透明度が高い割に底が見えず、水面を覗き込むと吸い込まれそうになる。

 魚影も見えないので、実際に釣れるのか疑わしいところだが、今日はゆっくりできればそれでいい。

 ぼんやりと釣竿を持って座り、湖畔の景色を眺めていると、なんだか眠くなってくる。

 今日の昼飯はとりわけうまくて、食いすぎてしまったせいかもしれない。

 アジトで採れたニラのような野菜と、ジェダから分けてもらった調味料を使い、やや甘辛く炒めたレバニラ炒めのような料理だった。

 俺は米が欲しくなったが、ミルはパンがないことを残念がっていた。

 そういやミルはパン屋だったな……。


「ぐぎゃうー!」

「うっわ! もう釣り上げたのかよ」

「ぎゃうぐぎゃう~!」


 クロが小ぶりの鱒のような魚を釣り上げる。

 正直なところまともな魚が釣れるとは思っていなかったので、何も道具を持ってきていない。

 とりあえず手を切らないように、激しく暴れる魚をナイフで慎重に締める。


「ぎゃっぎゃ~う! ぐぎゃ~ぅ!」

「クロ、よかったなぁ~」


 クロは両手で魚を掲げ跳ね回っている。

 生で噛り付きそうな勢いだったので、後で焼いて食おうと提案しておく。

 とはいえクーラーボックスがあるわけでも無いので、とりあえず岩の上に転がしておく。


「んじゃ~引き続き釣るか。虫が無ければ……」

「きゃぅ~!」


 燻製肉を渡そうとしたが、あっという間に虫を捕まえに走って行ってしまった。

 まぁすぐ戻ってくるだろう……。

 俺の釣り竿の方は、全く反応が無い。

 とはいえ今日はぼんやり考え事ができれば、それでいい。

 

 午後の日差しをキラキラと照り返す湖面を見ていると、色々な考えが浮かんでは消える。

 とはいえしばらくすると、やはり明日からのことに思考が吸い寄せられていく。

 明日の朝はみんな一緒に出掛けることとなるわけだが、サヴォイアからは別行動となる。

 大きく3パターンの生活に分かれるわけだ。

 ギゼラとミルがサヴォイアで、エリザベスやザムザ、コハクはアジトで生活。

 俺とクロ、シロは毎日通勤だ。

 エリザベスとザムザが送り迎えしてくれるようだが、帰りが心配だな……。

 とりあえず太陽が地面へ掛かりはじめる頃に、待ち合わせすることとしている。

 だが場合によっては、どちらかが結構な時間待つことになるのかもしれない。


「ぎゃうぎゃう~!」

「うわぁ……カブトムシの幼虫みたいだな……」


 クロが新たな虫を捕まえてきて、得意げに見せてくる。

 針に虫を付けているが、何となく自分でも食べたそうな顔をしている。


「自分で自分を釣らないようにな」

「う~……ぎゃーう!」


 何とか誘惑に打ち勝てたようで、このまま釣りを続けるようだ……。

 それにしてもサヴォイアと言えば……また盗賊に狙われたりするのだろうか。

 ふと、昔襲われたことを思い出す。

 嫌な思い出だ……。

 いい加減、俺が鬼達を連れていることや、マリーやアジールとつるんでいることも認知されただろうし、そう手は出されないと思いたい。

 シロやザムザは見た目からしてやばいし、ギゼラに至っては、闇市周辺のサヴォイアで最も治安の悪そうな場所で、かなり恐れられている様子だった。

 今後ボナス商会として、そういう連中も所属している集団と認知されていけば、ターゲットにされることも無くなるだろう。

 それに、最近ではクロの佇まいも、素人目にもなかなか凄い気がする。

 小柄ながら、しなやかで均整のとれた体を器用に使い、自分自身の身体を完璧にコントロールしている。

 特に力が強いわけでも無いのに、異常なまでの運動神経と観察力、空間把握能力により、その場を支配しているかのような迫力すら感じる。

 たまに重力を無視したような動きをする上に、唐突に踊りだしたり笑いだしたりする。

 仲良くしている分には楽しく頼もしい奴だが、敵に回ると考えると、相当恐ろしいはずだ。

 系統は違うが、マリーにも負けないくらいのヤバさだと思う。


「ぐっぎゃ~! ぎゃうぎゃうぎゃう!」

「うわっ、また釣れたのか」


 クロは雄たけびを上げながら、先程よりもうひと回り大きい魚を釣り上げたかと思うと、ナイフを一閃させ空中で締める。

 一度見ただけで、俺よりはるかにうまく締めている……。


「ぎゃう、ぐぎゃうぎゃう~ぎゃう~」

「ここ、意外と釣れるのかなぁ。俺の浮きはなーんにも反応しないけど……まぁクロが楽しそうで何よりだ」

「ぎゃうぎゃう」


 クロは鼻歌を歌いながら、針を外して先ほど釣った魚の横に並べる。

 満面の笑みを浮かべ、うなずいている。

 敵に回すとたいそうやばそうなクロではあるが、俺にとっては、ただひたすら無邪気で明るく、そして可愛いやつだ。

 こいつがいなければ、俺にとってサヴォイアは、もっと暗くて嫌なものになったかもしれない。

 コハクももう少し様子を見て、サヴォイアへも連れて行ってあげたいなぁ。

 大人になれば遠くへは行けないだろうから、なるべく今のうちに色々な場所へ連れていこう。

 ある意味残酷で身勝手なことなのかもしれないが、それでも広い世界を見せてやりたい。




 俺が湖面を眺めつつ、ぼんやり考え事をしている間にも、クロはさらに3匹釣り上げる。

 そろそろいい時間だし、釣り上げた魚も傷んでしまいそうだ。


「結局俺は坊主かぁ……。まぁクロが5匹も釣ってくれたし、十分だな」

「ぎゃう~ぎゃうぐぎゃう!」

「ぬっ……あっ…………あああああっ! あ~あ……」


 あきらめて帰ろうとしたとき、はじめて俺の浮きが沈む。

 焦って竿を握りしめたが、大して手ごたえを感じる間もなく、一瞬にして釣針ごと餌を持って行かれてしまった。


「エリザベスの毛を噛み切るとは……」

「ぐぎゃう……」

「まぁ、こういうこともあるさ。帰ろうか…………ん?」


 クロと二人、少ししょんぼりしてしまったが、仕方がない。

 最後に一瞬あたりがあっただけでも良しとして帰ろうとすると、先ほど餌をとられた場所から、ツーっと水面下で何かが近寄ってくるのが見える。

 ちょうど飛び出した岩の手前で見失ったと思ったら、岩の突端に黄色い小さな手がニュッと伸びてきて、俺の釣り針を置くと、ちゃぽんという小さな音と共に一瞬で消えた。


「…………なに今の?」

「ぎゃ~ぅ?」


 クロと二人首をかしげるが、湖はいつも通り。

 すこし風が出てきて、湖面にさざ波が立つばかり。


 ……まあそれほど悪いものでは無いんじゃないだろうか。

 燻製肉は持って行かれたが、針を返してくれたのだ。

 アジトには、まだよくわかっていない小さな生き物たちが色々と徘徊しているのは知っているが……。

 あまり気にしないでおこう。

 いずれ遭遇することもあるだろうが、その時は良き隣人でありたいものだ。

 そういえばボナス商会のぴんくのロゴも考えないとなぁ。

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