第85話 報告
翌朝、予定より大分早い時間にサヴォイアへ到着した。
エリザベスが思った以上にサヴォイアまで近づくことができたのだ。
これにはみんな驚いたが、なぜかエリザベスが一番驚いていたようで、首をひねってはメェメェと鳴いていた。
理由はともかく、ボナス商会にとってはメリットしかない。
大幅に通勤時間が短縮できそうだ。
「ああ、ミル! ボナス達も!」
「お互い良く生き延びたもんだな、マイルズ!」
「ミル! ずっと待ってたよ!」
「ああ、すまなかったね。みんな無事だって聞いてはいたけど……ああ、本当に良かった」
ヴァインツ村の皆は、聞いていた通り、サヴォイアの東門前に集まって生活しているようだ。
女たちがあっという間にミルへと集まっていき、その姿が見えなくなる。
大工のマイルズをはじめ、男達はクロやシロ、ギゼラに遠慮がちに挨拶をしつつも、俺に笑顔を向けて集まってくる。
ミルはともかく、俺がこれほど歓迎されるとは思っていなかった。
「ボナス、ありがとう。お前のおかげで俺達は無事生き残れたよ」
「ボナスさん、ほんとうにありがとうございます。あの時、私は村長として何も役に立てませんでした……。皆が死なずに逃げられたのは、全てマリーさんやボナスさんたちのおかげです」
「ああ、村を守ることはできなかったが……」
「いや、あれは仕方ないさ……。改めて思い返すと、生き延びられたことが奇跡だ」
予想外に暖かく迎えられたが、思いがけず複雑な心境になってしまう。
あの時やれることはやり切ったし、今同じような状況になったとしても、あの時以上の結果を得られるとは思わない。
だがそれでも、今はもう、達成感のようなものはあまり感じない。
むしろ、避難キャンプから出てきた村人たちの、ずいぶんとくたびれた姿を目の当たりにすると、なぜか強い罪悪感に襲われる。
やはりケインのことを話さなければ……。
ここに来るまで、ミルに任せようと考えていたが、いざ皆の顔を見てしまうと、自分の口からしっかりと説明しなければ許されないという気持ちになる。
俺はもしかすると、無意識にサヴォイアへ来ること、ヴァインツ村の皆に会うのを避けていたのかもしれない。
その気になれば、日帰りで村人に会うことも出来たはずだ。
「遅くなってしまったが、みんなに話さなければいけないことがあるんだ」
「ああ。……ケインのことはマリーさんから聞いたよ」
「そうか……だが、改めて俺の口から、あいつの最期について話をさせてほしい」
「わかった、ちょっと奥で話そうか」
無秩序に立ち並ぶ天幕の中心には、広場のような場所が設けられており、椅子代わりと思われる丸太などが、雑然と置かれている。
そのうちのひとつに俺が座ると、その横にミルが座り、続いてボナス商会の皆も座る。
ミルは既に目に涙を浮かべている。
彼女こそ、俺以上に複雑な感情が吹き荒れているだろう。
それを囲むように村の皆が集まってくる。
「それじゃあ、村を出て、皆と別れてからの話をしていこうと思う――――」
特に示し合わせたわけでは無いが、俺とミルは交互にあの時起こったことを語った。
もちろん事前に決めていた通り、ぴんくとエリザベスについては割愛したが、その他覚えている限りのすべてを語ったと思う。
お互いの記憶を捕捉しあうように、感情を抑えてただ起こった事実だけを、なるべく詳細に語っていった。
「――――そうして最後に、私の手でケインを……」
ミルは感情を押し殺した静かな声で、そう話を終わらせた。
何かケインについて、自分の感想のようなものを口にしようかと迷ったが、結局やめておくことにした。
それが例えケインを称えるようなものであっても、今ここで俺が自分の気持ちを語ってしまうと、それらすべてが欺瞞になるような気がしてしまう。
もし、今それを言う資格があるとすれば、自らケインに手を下したミルだけだろう。
とはいえ、彼女もこれ以上口を開こうとしない。
人の死を看取り、それを伝えるということがこれほど堪えることだとは思わなかった。
村の人々も、沈痛な表情だ。
もしかすると、彼らもこんな話を聞きたくは無いのかもしれない。
復興が無事うまくいき、ある種の英雄談として語られるようになるまではもう少し時間が必要なのだろう。
全員が何か義務感のようなものに突き動かされて、この場が成立しているような気すらする。
だが、少なくとも俺にとってこれは、これは必要な儀式だったことが、今になってよく分かった。
現在進行形で、心に重しでも乗せられているような気がする。
だが、多分この話を自分からしていなければ、いつか激しく後悔しただろう。
「墓を……たててやらなければ」
村長が意外としっかりとした声でそう言った。
「そうだな。俺達に出来ることはそれくらいだもんな」
「まぁ村に戻れるかが問題だが……」
「大丈夫さ。領主様も約束くださっている」
「ああ、今は耐え時だな」
ただ打ち沈んでいた村人たちの雰囲気が変わっていく。
村長は先ほど何もできなかったと言っていたが、意外ときちんと役割をこなしているのかもしれない。
ミルは目に涙を浮かべ、眉間に皺をよせつつも、大きく深呼吸をしている。
何とか気持ちを切り替えようとしているのだろう。
それにしてもミルが、村を出たいと思う気持ちも改めて分かった気がする。
もちろん、以前ミルが俺達にしてくれた説明は全て本当だろう。
だがそれに加えて、村の中で今までと同じような存在であり続けることは難しいと思っていたのかもしれない。
説明の最後に、ミルが自分でケインを介錯したことを話したとき、小さな悲鳴があがった。
あの悲鳴に込められた思いの何割かは、ミルに向けられた恐怖があった気もする。
ミルはほんとうに酷い貧乏くじを引かされたのだ。
「飯にしようじゃないか! ボナス達とたくさん食材を持ってきたんだ!」
ミルは気持ちを切り替えるように立ち上がると、大きな声で皆に呼びかける。
調理時間を加味してみても、昼食にはやや早い時間ではあったが、重い空気を換えるにはちょうどいい。
皆も気分を変えたかったのだろう、我先にとミルの手伝いを始めたり、場を整えたりと忙しく動き回り始める――――。
「いやぁ~、こんなにうまいものを腹いっぱい食べたのは、ほんと久しぶりだよ」
「そういやマイルズ、お前結構痩せたか?」
マイルズが腹を撫でさすりながらそういうが、全体的に記憶にある姿からはだいぶ痩せている気がする。
ふと他の村人を見まわしてみると、記憶にある数人の男はやや細くなっているような気がする。
一応当面の生活資金は援助されているはずだが、分配が上手くいっていないのか、それと資金自体が少ないのだろうか。
「最近ちゃんと食えていないのか? ある程度資金的に援助されていたと聞いたんだが」
「うん? ああ、実はちょっとな……」
やはり何かまずいことが起きているのだろうか……。
マイルズがやや深刻そうな表情で語り始める。
「あれはサヴォイアへ逃げてきた3日後のことだったか……とても恐ろしいことが起きたんだ」
「恐ろしいこと?」
「ああ、ありがたいことに、俺達は領主様から当面の生活資金をいただけた。そういうわけで、村長から予想以上の金をもらい、サヴォイアへの買い出し担当をやっていた奴に連れられて、食材を買いに市場へ行くことにしたんだ」
領主の支援は十分だったようだな。
だとすると金銭的なもの以外の理由があったのだろうか……。
まぁ買い物慣れしていないだろうし、何かトラブルにでも巻き込まれたのか。
「とはいえマイルズはサヴォイアへ来たことはあったのか?」
「俺はサヴォイアへは何度か大工道具の買い出しに来たことはあるな。それほど詳しいわけでは無かったが……。まぁそういうわけで、買い出しの担当として男6人が選ばれて、市場に行ったんだ」
「どの市場に行ったんだろう」
「ああ、後で知ったんだが、ドゴール市場っていうのが正式な名前らしいぜ」
思わず頭を抱える。
よりによって闇市か……。
俺が言うのもなんだが、財布を膨らませた田舎者達が、護衛もつけずにあんな場所へ行くなんて、これ以上ないくらいのカモだな。
何となくこの後の展開に予想がつく。
まぁ誰も殺されはしなかったようだし、まだ良かったと考えよう。
「なんだか治安はあんまりよくは無さそうだったが、他の市場より安く品物が手にはいるっていうのと、男6人でまとまっての移動してたもんだから、そんな危ない目にはあわなかったんだ」
「あれ? 無事買い物はできたのか……?」
「ああ、吹っ掛けられそうにはなったがな。いつも買い出しを任せている奴もいたから、それなりの値段で買えたみたいだな。ただ問題はその後でな……」
「食材は調達できたのか……それじゃなぜ?」
「俺達が大量の食材を抱えて戻ろうとしたとき…………女がいたんだ。それもなかなかいい体つきの女がな……そして俺達の財布には、まだ金があった」
ある程度予想はしていたが、マイルズは妙に気取ったような顔で、とんでもなくくだらないことを言いだす。
深刻でも、恐ろしくも全くなかった。
あまりのしょうも無さに、ケインの代わりに殴っておこうかとも思ったが、よく考えるとあいつが生きていたら率先して一緒に行っていただろう。
なので、とりあえずは一通りの話を最後まで聞くことにする。
「――――そういうわけで、俺達は都会の魅力と恐ろしさを知ることになったのさ」
何も予想外のことは無かった。
まぁ要するに、娼婦に残りの金を使い込んだという話だった。
どうしようもない馬鹿だとも思うが、いかにもありそうな話でもある。
大した教育も受けていない、田舎生まれの田舎育ちなのだ。
しかもヴァインツ村は性におおらかだった気もする。
自重しろという方が無茶なのかもしれない。
むしろ村長や領主様がその辺を配慮すべきだったのかもしれないが……、実際難しいだろうな。
村民のストレスも相当たまっているだろう。
「馬鹿が!」
「いてぇっ。だから俺は一日一食にしてるじゃないか……もう許してくれよ……」
「ボナスさんも、こんな奴の話を聞いていると、馬鹿と性病がうつりますよ」
「ボナス、こっち」
「あっ、シロ……」
マイルズは通り掛かった村の女に頭を叩かれ、俺もシロに抱えられて引き離されていく。
なるほど、やせ細っている男たちは戦犯なのか。
自業自得ではあるが、そろそろ飯くらい普通に食わせてやるように口添えしてやるか……。
黒狼戦を振り返るまでも無く、マイルズのようなタイプの人間こそ、これからの村には必要不可欠だろう。
それに女たちは、多少汚れてきてはいる感じはするが、特に痩せているようには見えない。
食材を買う前でなくて本当に良かったな。
まぁマイルズ達もそれくらいの良識はあったのだろう……多分。
「いずれにしろ、村人たちをサヴォイアに長く留めておくのは良くなさそうだなぁ」
「ああ、私もそう思うね。マイルズ達だけじゃなく、みんな何らかの形で良くない影響を受けている気がするよ。身近に欲望を刺激する環境にあるのに、仕事が出来ないのも良くないね」
いつの間にか横に来ていたミルも、色々と村人と話した結果、俺と同じような感想を持ったようだ。
アジールやハジムラドに会ったらその辺についても言っておくか。
それにしても……、やはり闇市の辺りには娼館があるんだな。
「ボナス?」
「シ、シロ? どうした? さてさて! いい時間だし、俺達もサヴォイアの街に入るかー!」
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