第95話 平和的話合い

「いやぁ、疲れたわ~」

「無事でよかった。ハジムラドも戻ってきたのか?」

「ああ。そのハジムラドからボナスを連れてくるように頼まれたんだ。まぁでも……、コーヒー一杯飲んでからでも遅くは無いだろ」

「しかし、何というか……ボロボロだなぁ。……お前結構臭いぞ」

「そうか? まぁ長いこと風呂入ってないからなぁ。黒狼の時と比べれば楽なもんだったが、結構ずるずると続いてなぁ。まぁその辺の事情も後で話すわ……ハジムラドが」

「ぐぎゃう~」

「クロありがとう。ん? クロなんかえらく服が可愛く……って、よくみるとお前たちみんな洒落てるな~」

「いいだろ?」

「ああ、ボナスがまともに見えるわ。俺はとりあえず早く風呂に入って寝たいよ――――あ~うまい」


 アジールはぼんやりとした顔で露店の状況を眺めている。

 あらためてアジールの様子を見ると、髭は剃っているようだが、服はだいぶと汚れており、髪もべとついている。

 比較的余裕のある人間が多いミシャールの市場では、少し浮いている。

 アジールはゆっくりとコーヒーを飲み切ると大きく息を吐きだす。


「ごちそうさん。――――ボナス、今から来ることはできそうか?」

「ちょうど手持ち無沙汰だったし、構わんよ」

「それじゃあ~面倒だが行くか」

「わかった。じゃあみんな、ちょっと行ってくるよ」

「ねぇ、私達も一緒に話聞いた方が良いんじゃない?」


 ギゼラが声をかけてくる。

 確かにその方が良いかもしれない。

 今日のうちにどの程度の内容まで話すかわからない。

 アジールの状況を見るかぎり、あまり長時間集中して話すのも難しそうだ。

 現状確認する程度だろう。

 だとしても、一緒に話を聞いておいてもらった方が間違いはないか……。


「それもそうか……どう思うアジール?」

「ああ、手間が省けていいと思うが……、露店は大丈夫か?」

「私が見とくから、行っといでよ」

「いつもすまんね、メラニー。毎度助かるよ」


 実はこれまでにもメラニーにはたまに店番を頼んでいる。

 しかも俺と遜色ない程度にはコーヒーもいれられる。

 俺の知らない間にクロから教えてもらったらしい。

 

「じゃあボナスは先に行っておいて。私たちは最低限片づけてから、追いつくようにするから。アジール場所はどこ?」

「斡旋所の裏通りの酒場だ」

「ああ……あそこね。わかった」

「んじゃ先に行っておくよ、ギゼラ。メラニーよろしく~」




 


 

「――――お前! ふざけんなよ! こんだけ待たせた上に、協力できるかわからんとはどういうことだ!」


 あぁ……、こんなことならみんなを待って一緒に来るべきだったな……。

 不条理な怒りを無遠慮にぶちまけてくる男の声を聴きながら、一人で来たことを後悔する。

 

 アジールに導かれるまま座ったのは、酒場の一番奥のテーブル、そのさらに一番奥の席だった。

 この席からは店全体がよく見渡せる。

 酒場は俺が思っていたより奥行きが深く、天井も高い。

 全部で百席はあるだろうか。

 八割がた埋まっており、今回の遠征に参加していた連中もこの中にいるのだろう。

 何となく日焼けの程度や、顔に浮かぶ疲労感、衣服の汚れ具合がアジールと似た連中が多い。

 そうした連中のほとんどから、どこかいらだちをにじませた雰囲気を感じる。

 特に俺の方を見てくるわけでは無いが、何となく様子をうかがっているような気配は感じる。

 何とも言えない空気の悪さだ。

 目の前のテーブルを囲むのは、全部で四人。

 何故か俺が一番奥に座っている。

 ハジムラドが気を利かせたのかもしれないが、閉じ込められているような気もしてしまう。

 ちょうどその正面にハジムラドが座っており、いつも通り不機嫌そうな顔で髭を整えている。

 アジールは俺の左側にだらしなく座り、眠そうにしている。

 右側に座っている男は、四十代くらいだろうか。

 身長は俺よりやや低いくらいだが、骨が太く体に厚みがある。

 伸びるままに放置されたであろう、赤い髭と髪がなんとも言えない野蛮さを感じさせる。

 傭兵というより盗賊に近い風貌だが、これは遠征によるものだけではないだろう。

 だがなんにしろ、少なくともこの場にいるということは、それなりの立場を任されているはずだ。

 その男が先ほどから俺に対してやたらと腹を立ててくる。


「うるさいぞ、ピリ! ……話が出来んだろうが。すまんな、ボナス。遠征が長引いたせいで皆気が立っているんだ」

「みたいだな……。だがさすがに呼ばれてきたのにこれは困るぞ」

「なんだと、おまえ!」

「だから、うるさいと言っているだろう。こいつはピリー傭兵団のピリだ」

「チッ……」

「ボナス商会のボナスだ」


 ハジムラドが疲れた顔でピリという男を注意する。

 アジールはこういった状況にも慣れているのか、大きなあくびをしている。

 俺はといえば、正直かなりビビっている。

 盗賊か海賊のような風貌のごつい男が、すぐ横から俺を睨みつけてくるのだ。

 いつ殴り掛かってくるか気が気じゃない。

 こんな奴の隣に座らせないでほしい。

 とはいえ……まぁ、俺もやり方を失敗したのかもしれない。

 アジールもハジムラドも良く知った顔だったので、少々軽口を叩きすぎた。

 長旅から帰ってきて、ようやく休めると思ったところで引き留め待たされ、現れた奴が妙に小綺麗な格好をした、浮かれたおっさんだ。

 おまけに、話を聞いてみないと協力できるかわからんとのたまうのだ。

 腹が立つのもわからなくはない。


「まぁまずは今回の遠征について話を聞いてくれ」

「ああもちろん。だが、すまないがもう少しだけ待ってもらえるか。すぐに仲間も来るはずなんだ」

「はぁ!? お前いい加減にしろよ!! これ以上俺達を待たせる気か!?」


 このピリと言う男はそう喚くと同時に、俺の襟首をつかみ立ち上がる。

 つい先ほど手に入れたばかりのジャケットを小汚い手で掴まれる。

 さすがにこれには腹が立ってくる。

 だが……、俺まで切れ散らかすとそれこそ収拾がつかなくなる。

 こう言う時ほど冷静に対応すべきだ。


「まぁ待て、手を――――」


 なんとかピリを落ち着かせようとしたところで、酒場の入り口に人影が見えた。

 クロとシロ、ギゼラにザムザだ。

 クロが無表情で両手にナイフを持つのが見える。

 ザムザがものすごい形相で剣鉈に手をかける。

 シロはクロの肩に手を置き、ギゼラはザムザの腰帯を掴み、引き留める。

 二人は俺に問いかけるように視線よこす。

 これはまずい。

 酒場がスプラッター映画みたいな有様になる様子が一瞬頭に浮かぶ。

 もしそんなことになれば、今後どんな目で見られるかわかったもんじゃない。

 下手をするとサヴォイアにいられなくなる。

 こんな衆人環視の中で、あいつらに本気で暴れさせるわけにはいかない。

 二人に向けて首を横に振る。

 ついさっきまでの、露店の顧客達と和やかに過ごしていた日常を、こんなしょうもないことで台無ししてはいけない。


「ああ!? どうなんだお前? なんか言ってみろ!」

「――――うるせぇ! クソが! 調子乗ってんじゃねぇぞ!」


 この場をどうおさめるか考えなくてはならないが、上手く頭が回らない。

 何よりだんだん腹が立ってきた。

 こいつは結局俺のことを舐めているのだ。

 今落ち着いて、なんとかなだめたとしても、今後もそれは変わらないだろう。

 もちろん俺には強力な仲間がいる。

 だからといって、今後ずっとクロ達の背中に隠れながらものを言う自分を想像すると、うんざりする。

 せっかく舐められないようにと服装を整えた途端にこの有様だ。

 まだシミひとつなかった俺のジャケットを、薄汚れた手で無遠慮に鷲掴みにしてくる。

 もう何も考えずに殴りかかるのが一番いい気がしてきた。

 どうせすぐにアジールとハジムラドが止めに入るはずだ。

 殴り返されたとしても、シロが相手というわけでは無い。

 そう簡単に死にはしないだろう。

 とはいえ、いざ行動に移すとなるとためらわれるな…………。

 モンスターやキダナケモと対峙するのとはまた別の怖さがある。

 だが、やるならクロ達が来る前でなければいけない。

 自分の中のなけなしの野蛮さをかき集め、鼻柱に頭突きを叩き込む。


「いっでぇええ!! くそっ……お前ぇ……やりやがったな!!」

「お前が先に手を出してきたんだろうが!」


 いや本当は俺が先だけど……お前が悪い、と言うことにしておく。

 ピリと言う男は鼻から大量の血を流している。

 少し怖気づいて手加減してしまったが、当たり所は悪くなかったようだ。

 これで後はハジムラドとアジールが止めに入れば……。

 ハジムラドは俺をみたり振り向いたりと、首をせわしなく回している。

 背後からクロ達の凄まじい殺気を感じ、状況に少し混乱しているようだ。

 早くなんとかしてくれよ地竜殺しとやら。

 アジールは前後に頭を揺らし――――寝ている。

 こいつ…………まじかよ…………。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 すぐさま喧嘩を止めてくれる人間がいないのだ。

 ピリという男は、確かに体格は良いが、腹もしっかり出ている。

 ガードを固めて、スタミナ勝負に持ち込めば息切れしてくるはずだ。

 鼻血のせいか呼吸も乱れている。

 ふと、ピリと言う男の腰に差しているナイフに目が行く。

 ……もしこいつが武器を抜いたら全力で逃げるしかない。

 むしろ今すぐ全力で逃げたい。


「んあ!? もう終わりか!? 逃げられると思うなよ!」

「俺のおかげで命拾いしているくせに、偉そうなこと言ってんじゃねえ!」

「何を訳のわからんことを!」


 そう言うと、怒りに顔を歪めたピリは拳を振り抜いてくる。

 ガードしていた腕が弾き飛ばされる。

 思った以上のパンチ力に腕が痺れる。

 これはまともに喰らえば一発で持って行かれそうだ。

 距離を詰めるしかない。


「んああああ!! く、くせぇ……くそっ……なんでこんなことに」

「おらぁ! どうした!」


 体をぶつけるようにクリンチの体勢にもっていく。

 なにが悲しくてこんな汗くさいおっさんにしがみつかねばならんのか。

 こいつは気にした様子もなく、俺のわき腹をバシバシ殴ってくる。

 めちゃくちゃ痛い。

 そして強烈に臭い。

 臭いにびっくりしたのか、胸ポケットから顔を出したぴんくと目が合う。


「いや今は出てこなくていいから!」

「ああん!?」

 

 ぴんくは小さくくしゃみをするとそのままポケットに引っ込む。

 あぶねぇ……スプラッターどころか酒場ごとこの近辺が焦土と化すところだった。

 しかしこのままだと相手のスタミナが切れる前に俺の腹と鼻が持たない。

 何とか転ばせ寝技に持ち込もうともしてみるが、腰が強くてうまくいかない。

 腹は出ているが、筋肉量も多いようだ。

 ああ、もう……嫌になってくる。

 息を荒げた中年男が二人、密着しあって誰が得するんだよ。

 ジャケットにもこいつの鼻血がべったりついているだろう。

 洗濯で落ちるのだろうか。

 想像するだけで憂鬱だ。


「もう終わりか!? ああ!?」

「何寝ぼけてんだ! こっからだろうが!」

 

 とにかく、このままではまずいな……。

 ガードを固め少しだけ距離をとると、また先ほどと同じようにガード越しに殴りかかってくる。

 多少は威力も落ちているかと思ったが、相変わらず腰の入ったいいパンチで、ガードを簡単に突き抜け顔面にヒットする。


「いっでぇぇえ!」

「偉そうな口を叩いていた割に――――んうっ?」


 額で受けようと思ったが少し失敗した。

 多少はガードで威力を殺せるかと思ったが、頭が吹き飛んだかと思うような衝撃だった。

 上手く踏ん張れずにくらくらする。

 少し皮膚も切れたかもしれない。

 だが狙い通り、なんとか腕は捕まえた。

 ガードを通した手首を引き寄せながら抱え込み、そのままアームロックへ持ち込む。


「いでぇ! いででっ、なんだこれおい! いてぇ!」

「調子に乗りやがって! くたばれクソが!」


 ピリは顔を歪め地面へ倒れ込む。

 腕の毛が妙にフサフサしていて何とも言えない気持ちになる。

 だがもうここまでしっかりと極まると逃げ出すことはできないだろう。

 寝技の技術が発達していない世界で助かった……。


「いでぇよ! 卑怯な手を使いやがって! 放しやがれ! くっそいでええええ!」

「こっちも素手だろうが! お前の方が卑怯なんだよ! 毒ガスみたいな体臭しやがって! 風呂に入ってから出直してこい!」

「お、お前ら待て! ピリもボナスも落ち着け!」


 ハジムラドが俺とピリの間に飛び込んでくる。

 やっとか……。

 そういえば、クロ達はどうしているんだ……?

 冷静さを取り戻すと同時に、自分の状況が見えてくる。

 いつの間にか傭兵たちは俺達を取り囲み、大いに盛り上がっている。

 クロ達は、まだ酒場の入り口にいた。

 クロはシロが抱きかかえるように動きを止められており、ザムザはギゼラに抑えつけられている。


 慌てて立ち上がり、クロ達に大丈夫だと手を振る。

 何故か傭兵たちから歓声があがる。

 こいつら賭けでもしていたのだろうか。

 気が付くと、瞬間移動でもしたかのようにクロが目の前におり、他のみんなも後ろから駆けつけてくる。


「クロ、ザムザ、もう大丈夫だから!」

「ぐぎゃう! ぎゃうぎゃうぐぎゃぎゃう! ぐぎゃうぎゃうぎゃうー!」


 クロにしがみつかれて、体をペタペタと検分される。

 やはり最後に受けた一発で、少し目の上は切れたようだ。

 だがそれ以外、特に問題は無いはずだ。

 むしろジャケットが汚れたことの方が辛い。

 ピリももう立ち上がっている。

 相変わらず鼻から血を流しており、極めた腕も痛そうにしているが、壊れてはいないはずだ。

 シロとギゼラ、ザムザが俺の前に出て、ピリはじめ、周囲を睨みつける。

 さっきまで歓声に沸いていた酒場が急に静かになる。


「おいお前、ピリとか言ったな!? お前、ボナス商会にこれ以上舐めた真似するようなら、全員まとめて相手してやろうか? あぁ!?」

「いや……おまえ、それは……おまえ、鬼が……」


 ピリが急に逃げ腰になる。

 それまで肩を貸していた仲間と思われる連中も、ピリから一瞬で離れ飛びのいて、明後日の方向を向く。

 シロ達の背中に隠れてもの言うの、無敵すぎて最高だわ…………これは勘違いしてしまいそう。

 まぁ、このピリとかいう男も、なんだかんだ最後まで武器は抜かなかった。

 それに恐ろしく汚く臭い男だったが、それゆえにどれだけ過酷な遠征をこなしてきたかも、身をもってよくわかった。

 服を汚されて、かなり腹は立ったがもう十分だろう。

 舐められたくはないが、恐れられたいわけでもない。


「んあ? ボナス達なにしているんだ?」

「まだ寝ていたのかよ…………。アジールに何かを期待した俺が馬鹿だったわ」

「いやすまんな、疲れがたまってるみたいでなぁ」

「――――おい! お前! 今度ボナスに触れたら殺すからな!」


 ザムザがピリにキレ散らかしている。

 出会った当初は粗野な鬼だと思ったが、最近は冷静で思慮深い行動ばかりだったので驚く。

 こいつ怖すぎだろ。

 ピリもなかなかの体格ではあるが、ザムザとは比較にならない。

 生物として強さの次元が違う。

 ザムザに見下ろされ、ピリはその圧力に何とか耐えようとするかのように小さくなっている。


「ま、まぁ落ち着くんだザムザ。俺は無事だし、まず話を聞こう」

「…………わかった」

「おい、お前ももういいだろう。とりあえずハジムラドの話を落ち着いて聞かせろ」

「あ、あぁ…………」


 ピリが座っていた椅子を引き、そう声をかけると、おとなしく座る。

 これでもう簡単には舐めたことは言ってこないと思いたい……。

 シロとギゼラは俺の安全を確保しつつも、意外なほど冷静にこの状況を観察している。

 彼女たちは酒場に入ってからずっと、俺が何を言うのか、どう振舞いたいかを注意深く汲み取ろうとしてくれているのを感じる。

 たぶん彼女たちこそ、これまでにたくさんこういう状況に遭遇してきたのだろう。

 そしてそのたびに人々が自分達から距離を置くのを見てきたのかもしれない。

 確かに先ほどのザムザとピリの様子を見ていると、鬼は人と交わるには、あまりにも強すぎるのかもしれない。

 だからこそ、彼女たちは俺の振る舞いに何か期待しているのかもしれない。

 この俺のみっともなさが、彼女たちの救いになってくれればいいのだが……。

 ただ、振り返ると自分の振る舞いが恥ずかしくなってくる。

 年甲斐もなく、何を熱くなってしまったのだろうか。

 よく考えればもっと色々とやりようがあった気もする。

 キレる中年……嫌だわぁ。

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