第111話 仮面の女

 今日は珍しくクロと二人でお買い物。

 最近は常連達の間でどれだけうまいコーヒーをいれられるか流行っており、クロは何故か先生や師匠と呼ばれ、崇められている。

 だがその一方で、クロは少々暇なようだ。

 今日も朝から小鳥にぴんくを乗せて新兵器を作ろうとしたり、ザムザの髪をひたすら三つ編みにしたりと手持ち無沙汰なようだった。

 そういうわけで、気分転換を兼ねてクロと買い物に出かけることにしたのだ。

 最初は縫い針や調理器具などの道具類、各種オイルなどの実用的なものを購入していた。

 だがなぜか、気が付くとドゴール闇市の怪しい民芸品店で、独特かつ強烈なデザインの木彫りの仮面を購入することになった。

 クロはその仮面がえらくお気に召したようで、購入するや否や装着し喜んでいる。


「ぐぎゃう~! ぎゃうぎゃう~!」

「いや~、怖いぐらい良く似合ってるなぁ~。でも、露店に戻ったら外しておこうな~、人喰ってそうだから」


 口元は解放されているのだが、それはそれでクロのギザギザの歯だけが見えて怖い。

 まぁ周囲に人がいなくなるので歩きやすくはある……。

 ――ボナス商会がまた新しい化け物を仲間にしている。

 そんな声が聞こえたような気もするが、きっと気のせいだろう……。


「クロ、四足歩行は怖すぎるからやめような…………」

「ぎゃ~う~! ぐぎゃう~ぎゃうぎゃうぎゃう!」

「ん? どうした? 何か珍しい虫でも見つけ――――あぁ、あいつらか」


 クロは何か気になるものを見つけたのか、妙にウキウキした様子で俺の手を引っ張る。

 何事かと思いその先を見ると、比較的大きな屋台があり、そこに傭兵のピリと金貸しのマーセラスが並んで座っていた。


「――――おい、物騒な顔の二人が並んで何食ってるんだ? というかお前ら知り合いだったのか?」

「んなっ!?」

「あぁん? 喧嘩売ってんのか? ってボナスかよ……、めんどくせぇ……。というか、お前らのほうが物騒だろ! 何だその化け物!?」

「ぐぎゃうー!! ぎゃうぎゃうぎゃうぎゃうぎゃうぎゃうぎゃうぎゃう!」

「うわっ」

「ヒェッ」


 クロは無駄に首を揺らしながら蜘蛛のような動きで二人へ近づいていく。

 もちろん仮面はつけたままだ。

 ピリは顔を引きつらせつつもクロであることに気が付いたようだが、マーセラスは椅子からずり落ちる。

 よく見ると店員も中々の強面だが、失神しそうになっている。


「クロ、それ以上やるとマーセラスと店員がショック死しそうだから……やめときな。うわ~、なんかすごい色だなそれ」

「ちっ、せっかく平和に昼飯食うとこだったのに……ちなみにマーセラスは俺の従弟だ」

「おぉぉ……顔はあんまり似ていないのに、ガラの悪さはそっくりだな」

「うるせぇ!」


 ピリの目の前にある器には、真っ赤なスープが入っており、その中に平たい麺のようなものが入っている。

 相当に辛そうだが、……妙にうまそうな気もする。


「なぁ、それちょっとだけ……、一口だけ食わせてくれよ」

「お前……これ食うのか……知らんぞ……?」

「まずいのか?」

「いや、うまい。かなりうまい……、飛ぶぞ?」


 そう言いながら、ピリが器ごと俺の方へ寄せてくる。

 ピリの妙にもったいぶった雰囲気に気圧されるが、余計に気になってくる。

 何となくフォークとスプーンで食べることに違和感を感じつつも、恐る恐るスープに口をつける。

 辛い。

 とにかくひたすらに辛い…………が、舌の感覚が馬鹿になった直後、なんだかとてもうまいような気がしてくる。


「なるほど、確かにこれはなかなか……うまいような……」

「ふんっ……、サヴォイアでもここでしか食えん味だ」

「いやぁ、変な絡み方して悪かったな。なかなかいい店を知れて良かった。クロここで昼飯食べてくか?」

「ぎゃう~? ぐぎゃうぎゃう」

「どっちでもよさそうだな……。んじゃあ、俺とクロにも一杯づつ同じやつおくれ~」

「ど、どうぞ……」


 店主が顔を引きつらせながらも、手慣れた様子で謎の麺料理を用意してくれる。

 それにしても久しぶりにこんな辛い物を食べるな。

 何となく懐かしい感じもする。

 唐辛子が好きなギゼラも今度連れてきてやろう――。


「にしても汗が止まらんな……。ピリ、お前顔が真っ赤で気持ち悪いぞ?」

「お前も同じだよ! その小鬼は平気そうだな……いい加減仮面取れよ……」

「口の周りが真っ赤で……、人を喰い殺したみたいだ……」

「ほら、クロ、口を拭こうな~」

「んきゃう~」

「おい、ボナス……。お前の器でなんか泳いでるぞ……」

「んなわけ…………。ああっ、ぴんくぅ~……」


 どうやらぴんくも興味を惹かれたようで、ポケットからダイブしたようだ。

 ずいぶん楽しそうにこちらを見てくる。

 妙にスープと調和しやがって……。

 後でしっかり洗ってやらなければ。


「――――おいおい~、ここだけ随分治安が悪いな~」

「うるせぇ!」

「ぶっ殺すぞてめぇ!」

「なんだてめぇ!?」

「ぐぎゃうぎゃう!」


 ちょうど謎の辛い料理を食べ終えたところに、妙にさわやかな笑顔のアジールがやってくる。

 思わず四人でハモってしまうが、改めてお互いの顔を見てうんざりした気持ちになる。


「で、アジール。お前も食いに来たのか?」

「いや、今日は夜に女と会う予定があるからな! こいつは食えんよ」

「…………どういうことだ?」

「あ~、こいつは確かにうまいんだが……、ほぼ間違いなく腹を下すからなぁ……しかも相当ひどく」

「うそ……だろ……? おい! まさか、ピリ……、おまえ謀ったな!?」

「さぁ、どうだったかな~。よく思い出せんな~」

「おい! 中年の体は色々デリケートなんだぞ! おまえらだってそうだろうがよ! わかってんだろうがよ!」

「俺はとっくに覚悟はできてんだよ! それなりの覚悟を持ってここに座ってんだよ!」

「くっそ……なんてことしやがるんだ……」

「ぐぎゃぁ……」

「いや、クロは多分大丈夫だと思うぞ」


 正直途中からその可能性にはうっすらとは気が付いていたが、どうしても止められなかった。

 味見だけで引き返せばよかった。

 ああ……、この手の後悔をいったい何度繰り返せば俺は成長するのだろうか。


「それじゃあな~お前ら。あんまり世の中の治安を乱すなよ~」

「くたばれ!」

「さっさと帰れ!」

「クロ! あいつに呪いをかけてやれ!」

「ぐっぎゃっぎゃっぎゃっぎゃっぎゃうっ」


 アジールの奴、ついこの間までボロボロだったくせに、すっかり調子を取り戻したようだ。

 遠征では全力でこき使ってやろう。

 しかしミスったな…………。

 何か今からでもできることは無いだろうか。

 ニーチェに腹をさすってもらいたい。

 そういや前にギゼラから闇市の物を迂闊に食べるなって注意されたんだった。

 とりあえず役所に行こう。

 この近辺の無料で使える便所は大体ろくでもない。

 地獄の鍋に暮らす俺から見ても地獄と言って差し支えない場所だ。

 その中でも役所が一番マシだったはず。

 今のうちに避難しておくべきかもしれん。

 あぁ、何て馬鹿なことをしてしまったんだ俺は……うまかったけど。


「それじゃあな……」

「ああ、また遠征でな……」

「ぐぎゃ~ぅ~」


 ピリが戦場にでも行くような覚悟を決めた顔で立ち上がり、店を立ち去る。

 マーセラスは慌てて残りのスープを飲み干し、ピリについていく。

 意外とあいつは余裕あるな……。




 それから少し後。

 ピリと役所の便所で再会した。

 危うくかつての戦いの続きが展開されそうになったが、たまたま役所に来ていたラウラに半泣きで止められた。

 結局領主館のトイレを借りることができ、平和と尊厳を取り戻すことができた。

 危うく地獄のような戦いが繰り広げられ、人間として大切なものを失うところだった。

 ありがとうラウラ……。

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