第99話 領主館
翌朝。
昨日殴られたところに触れると多少痛みはあるものの、体に疲れが残っている様子もなく、意外なほど気持ちよく起きることができた。
昨日寝るのが早かったせいか、いつもよりだいぶ早起きだ。
「ぎゃぅ~!」
「クロ、おはよう~」
他の皆はまだ寝ているが、クロだけはこの時間帯でも活発に動き回っている。
いつもの朝の散歩にでもでかけていたのだろう。
頭にやたらとカラフルな鳥を乗せて、両手で大きな水瓶を運んでいる。
「きれいな鳥だなぁ」
「キレイナトリダナアー、ボーナースー」
「うわっ! 喋るのかよ……」
「ぐぎゃう……」
鳥は俺の言葉を反復すると、そのまま何処かへ飛び去って行った。
確かにオウムのような見た目だったので、そういう性質があってもおかしくは無いのだろうが、……驚いたな。
クロから水瓶を引き取り、半分は調理用の鍋に水を注ぎこみ、残りは朝の支度用に残しておく。
ぴんくにお願いし火をおこし、一旦クロとバトンタッチ。
そのまま食事場の岩へ腰掛け、歯磨きをしながらクロが料理をするのを遠目に眺める。
燻製肉や野菜をただ網焼きにしているだけだが、既に昨日の酒場の料理よりうまそうだ。
「おはよ、ボナス。……からだはだいじょうぶ?」
「シロ、おはよう。体調は悪くないよ。今日の話し合いのことを色々考えてた」
「そっか」
顔も洗い、料理に参加する。
肉を焼き始めたせいか、皆が起きてくる。
挨拶をしつつ、ゆったりと各々の朝の習慣をはじめる。
シロとザムザは俺が食材を焼くのを見ながら歯を磨いており、ギゼラは眠そうに目をこすりながら、身だしなみの道具一式を持って湖へと歩いていく。
最近、彼女がアジトで寝泊まりする時は、朝晩湖で水浴びをするようになった。
彼女は鍛冶する際、夜もサヴォイアで過ごす。
埃っぽいサヴォイアでの滞在時間が長い分、アジトで湖に入るとたまらなく気持ち良いらしい。
「コハク、火の回りは危ないから……こっちおいで」
「んなぅ!」
火の回りでぴんくにじゃれつこうとするコハクをシロがやさしく回収する。
シロの膝の上でころころと転がりながらじゃれつくコハクを見ながら今日の話合いについて考える。
領主代行とやらは、どんな人物なのだろうか。
ハジムラドの口調から察するに、貴族の可能性もある。
領主の代行をさせるほどだ、その縁者である可能性が高いだろう。
だが、あまり実務的な知識は持ち合わせてはいないようだ。
ハジムラドもその辺については期待していないよう口ぶりだった。
穏やかな性質だとは言っていたが、果たして実際のところどうなのか。
メナスにはあまり迷惑をかけたくは無いし、面倒なことにならなければ良いのだが……。
「ぐぎゃーぅー!」
「おっ、そろそろだな。ありがとうクロ」
「ただいま~魚捕まえた~」
「ギゼラもお帰り」
「おお~! 銛なんていつの間に作ってたんだ?」
「んふふふ。一昨日の夜ちょっとね~。軽めに作っておいたから、クロ達も使ってね」
「ぎゃ~う~!」
「まぁとりあえず食おうか」
「メェ~」
皆で食卓を囲むと、エリザベスも白い毛を朝日に輝かせながら、ゆっくりとその姿をあらわす。
コハクがシロの膝から転がるように駆けていく。
「おはようエリザベス。今日もよろしくな~」
「ンメェェ~」
乳をもらっているのもあり、コハクはエリザベスを母親だと思っていそうだ。
心なしか彼女も前よりも貫禄が出てきたように感じる。
村の拠点の建築が上手くいけば、その後の復興作業はアジトからの通いにしたいな。
エリザベスに乗せてもらってアジトから直行すれば一瞬で着くはずだ。
アジトに帰ると、やはり心身ともにだいぶリフレッシュする。
まぁそれも今日の話合い如何だな……。
今日も露店には常連客が訪れ、たいそう盛況だ。
昨日の噂話は、相変わらず訳の分からない形でアレンジされながらも広がっているようだ。
とはいえそのほとんどが、ボナス商会のボナスは頭がおかしく切れやすいから気をつけろ、といった内容に収束していってる気はする。
我ながらいろいろと残念な気もするが、いまのところ皆にいじられる程度で、実際そこまで悪い影響は出ていない。
「ボナスさん。おはようございます。今日はよろしくお願いしますね」
「おはよ~」
「おはよう! メナス、エッダ。こちらこそよろしく! まだ時間はあるからゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
「メナスさん! こっちこっち! 今日もきれいだねぇ~! ボナス、メナスさん達の代金はわしにツケておいてくれ!」
「はいはい」
さっそく常連の爺さん連中に声をかけられている。
意外と早い時間だが、メナス達はもう来てくれたようだ。
まぁ彼女たちも今はそれなりに暇なのだろう。
モンスターを警戒し、タミル山脈超えを様子見している状況なので、今はキャラバンも動かせていないようだしな。
まぁ、他の常連客達と商売について何か話し合っている様子もあるので、意外とうちの店に来るのも仕事の一部と言えなくもないのか……。
「あ、おはようございます! ボ、ボナス様、コーヒーお願いいたします」
「おはよう、ウララ! 今いれるからちょっと席で待っていてね」
「い、いえ。実は今日はいろいろとお仕事が立て込んでいて……ここで待たせていただきますね。あ、ミ、ミルク多めで!」
いつも通りの時間にウララがやってくる。
だが今日はどうも心ここにあらずと言った風だ。
何か仕事があるらしいので、そのことでも考えているのだろう。
待っている間も、やや不安そうな顔でどこか遠くの方に視線をさまよわせている。
「あっ……コハクちゃん。シ、シロさんおはよう」
シロがウララの腕にコハクを預ける。
意外とシロとウララは仲が良く、ウララの話をシロがニコニコ聞いている姿をよく見る。
さっきまで思案顔だったウララは顔に大きな肉球を押し当てられ、だらしない表情になっている。
コハクはまだまだ幼いのだが、体は大きいので、抱きしめるとずっしりと温かい。
その重みに何となく心が和らぐ。
くわえてビロードのような毛を撫でさすっているだけで、精神安定剤のような効果を発揮する。
「かく言う俺も今日は人と会う予定があるので、結構緊張してるんだよね~」
「まぁそうだったんですね。私も知らない人と会うのは苦手なので、お気持ち……とてもよくわかりますわ」
「はい、できたよ~」
「あっ、ありがとうございます」
コハクを預かろうと手を伸ばすが、ウララは全く離す気配もないようで、むしろ片手でしっかりとコハクを抱きしめなおし、コーヒーに手を伸ばす。
左手にコハク、右手にコーヒーを持ち、ずいぶん幸せそうな顔をしている。
コハクはそれなりに重いはずだが……意外と力強いな。
それからウララはわずかな間ではあったが、コーヒーとコハクを堪能し、満足そうな顔で帰っていった。
そうして露店の客とたわいのないやり取りをしているうちに、午前中はあっという間に過ぎていった。
アジトから持ってきた焼き芋を、昼食の代わりに摘まみながらハジムラドが来るのを待つ。
「ねぇボナス。それ私にも少し分けてよ~」
「エッダ、お前さっき昼飯食べてたろ。太るぞ」
「なにこれっ、うまーい!」
「ああっ、俺の芋がっ」
メナス達も一度昼食へと出かけていったが、既に露店の客席でくつろいでいる。
エッダは焼き芋に感動しているが、俺としては甘みが足りなくて少し物足りない気もしている。
以前ミルに作ってらったものはもっとうまかった気がする。
やはり窯で熱を加えた方が良いのかなぁ。
「ボナス、少し早かったか?」
「いや、イモ食って待ってただけだから大丈夫だ」
「そうか。輸送業者はどうだった?」
「ああ、紹介する。こちらメナス、俺の古い友人だ。彼女がいなければ、俺は今頃野垂れ死んでいただろう……。こっちはハジムラド……元領主様の専属傭兵で、今回の遠征の責任者」
「ハジムラドさん……お噂はかねがね伺っております。メナス商会のメナスです。小さなキャラバンなので、どこまでお手伝いできるかわかりませんが、よろしくお願いしますね」
「ハジムラド?」
「メナス……あ、ああ……ハジムラドだ。協力感謝する……」
メナスはいつものように、上品な笑顔をハジムラドへ向け挨拶する。
一方のハジムラドは何時もの不機嫌面が崩れており、完全に目が泳いでいる。
さすがに挙動不審すぎる……。
「もしかして顔見知りだった?」
「いや、はじめてだ。ただ…………可憐な女性だなと…………」
「あら……、ありがとうございますね」
エッダがチベットスナギツネのような顔をしている。
年頃の娘がしていい顔じゃないぞ。
まぁ俺も同じような顔になっているのかもしれないが…………。
それにしても、昨日に引き続き、ハジムラドの思いがけない面を見た気がする。
確かにわからなくはない。
もちろんメナスは年齢を重ねており、 直接聞いたことは無いが実際五十前後だろう。
見た目も年相応だ。
だが、その年齢ゆえの成熟した女性の魅力や知的な雰囲気をしっかりと兼ね備えている。
娘のエッダもメナスに似てなかなかの美人だが、常連客達からは圧倒的にメナスの方がモテている。
俺から見ても、年上の経験豊富な色気のある女性として蠱惑的に感じることがある。
ハジムラドは六十まではいかないだろうが、メナスよりは上だろう。
俺とはまた違うものが見えているのかもしれないな……。
「それでは領主館へ案内する」
「ああ、シロとクロを連れて行っていいか?」
「問題ない」
コハクをギゼラへ預け、ザムザから地図を受け取り、ハジムラドの後ろについて行く。
案内するとは言われたものの、場所については俺も良く知っている。
傭兵斡旋所のすぐ近くだ。
大広場に面する一等地で、役所と一体的な建物となっている。
大きく立派な門があり、昼夜問わず衛兵が二人、周囲を睨みつけるように見張っている。
だが、ハジムラドはその立派な門の前はあっさりと通り過ぎ、役所のほうへと迷いなく入っていく。
役所の中で、年配の職員と簡単なやり取りを経て、どんどん建物の奥へと進んでいく。
大きな中庭に面する長い廊下を渡ると、建物の雰囲気が変わるのを感じる。
飾り気のないものから、やや装飾的な意匠性のあるものへと変化する。
役所から領主館へと機能が移り変わったのだろう。
床にはタイルが使用されているし、壁もしっかりと漆喰で仕上げられている。
クロもやはり物珍しいのかキョロキョロしながら、小さくぐぎゃぐぎゃ言っている。
「ここにおられる。それほど気を使う必要は無いが、それでも一応貴族の方なので、失礼のないように」
「あまり敬語は得意じゃないんだが」
「ぐぎゃう~!」
「うん?」
「できる範囲で構わん……ボナスは普段通りで大丈夫だろう。クロとシロは……まぁ何とかなるだろう。そういったことを気にする方ではないしな」
そうして最終的に十二畳程度の応接室へと案内される。
天井が高く、中庭に面して開放的で、風も抜けるので心地よい。
壁は漆喰で装飾されているが、木製の梁がそのまま露出しており、直接幾何学模様を彫り込むことで装飾されている。
そして、なぜか目の前には朝方あったばかりのウララが頭を抱えて座っている。
「ウララ……? さ、さっきぶり?」
「はぅぅっ……」
ウララが座るソファーの後ろには、やや困ったような顔をした、そしてずいぶんと見慣れた護衛もいる。
女性の護衛で、はじめのころは遠目に見ているだけだったが、今ではたまに露店でコーヒーとチョコレートを買っていくし、クロにも軽く声をかけていくほどには馴染んだ。
それにしても…………何だこの状況…………。
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