第115話 魔法とキダナケモ
目の前のラウラはいたって普通の女性だ。
遠征中のため少々くたびれてはいるものの、間違いなく貴族のご令嬢であり、普通に考えれば、あの強大なキダナケモとはとても結びつかない。
だが、当の本人が言うのだ、自分はキダナケモの末裔だと。
しかもやたらと軽い調子で……。
「多分ですけどね。ですが、わたしはほぼ間違いないと思っています。ですから、私達が魔法と認識しているものの根底には、キダナケモの力と共通した原理があると考えています。ただ…………、実際にキダナケモが何をしているのか、どのような操作を行っているのか、正直よくわかっていません。何らかの形で魔力の操作をしているのは間違いなさそうなんですけど…………。もしかすると、その辺の感覚はシロさん達の方が良くわかるかもしれませんね」
「――――え? シロ?」
「なあに?」
先程からシロは、海水で手の付けられなくなったクロの長く癖のある髪を何とかしようと、ギゼラと二人がかりでブラシを当て続けている。
俺が思わず発した声に反応して、手は止めずにこちらを向いて首をかしげる。
そうして彼女が動くと、雪のような白髪が太陽の光を散らすように揺れる。
数日風呂に入れていないはずだが、シロやギゼラの髪はサラサラと清潔感がある。
確かに彼女は身体的には超人的であり、そして美しい。
だが、それが魔力とは……いまいち結び付けて考えられない。
「わかるの?」
「うん、すこしね」
「それは……」
「鬼族も多分キダナケモの末裔でしょうからね」
「お、おおぅ……」
シロは相変わらず手を止めることなく、今度はギゼラと魚の話をはじめている。
彼女達にとって、今の話には大して驚きも関心も無いようだ。
それにしても……、なんだかラウラが喋るたびに色々と衝撃的な事実が明らかになる。
何でもないことのように話すので、余計こちらは混乱させられる。
そして――――、それと同時に一つの期待感に胸が高鳴る。
「だがしかし…………、それならもしかすると…………お、俺にも…………?」
「いえ、ボナスさんには全くその気配はありません。多分魔法を使うのは無理でしょうねぇ」
「ああ、そう…………」
思いのほかショックだ。
ちょっとドキドキしていたのに。
一瞬で中二から中年に戻される。
俺も隠された力とかに目覚めてみたかった。
「……けれど貴族、魔法使いはどうしてキダナケモの末裔だと?」
「異界から来た人型のキダナケモが、現地の人間と子供を作ったのでしょうね。ボナスさんはキダナケモがこことは違う、別の世界から来たと考えられていることはご存じですか?」
「ああ…………、だいぶ昔メナスからそんな話を聞いた気がする。キダナケモはタミル帝国の言葉で、異界の化け物という意味だと」
「正確には古代タミル語ですが、その通りですね。ただ実際は、キダナケモについてはわからないことが多いですし、そもそも厳密な定義があるわけでもなく……。別の世界から来たというのも、古くからの言い伝えや研究者たちの予想に過ぎません」
キダナケモが別の世界から来たというのは、俺自身の経験からも妥当性がある話だ。
だがそうなると…………俺自身もキダナケモということになるだろうし、であれば魔法は…………。
う~ん、よくわからんな。
「ただ、キダナケモには共通する特徴があります。それは、地獄の鍋の中心から遠く離れることはできないということです。過去の調査では、特に体の大きい個体にその傾向が強いということも分かっています。ボナス様もよくご存じだとは思いますが、実質的にはほぼすべてのキダナケモは地獄の鍋の外へは出てきませんよね」
「ああ~それは確かにそうみたいだね。でも、それが魔法使いとキダナケモにどう関係するのか……、いまいちわからないのだけど」
「実は、キダナケモと似た性質が、魔法にもあるのです。先ほど、魔力の揺らぎは何処にでも存在すると言いましたが、より大きな視点で見ると、その表現は正確ではありません。国を跨ぐような、大きな地理的観点で見た場合、魔力の揺らぎは地獄の鍋から離れれば離れるるほど、小さくなっていくのです。そして、ここから遥か北にある雪と氷に閉ざされた辺境の国まで行くと、魔力の揺らぎは、ほぼ感知できなくなるそうです。また、遠くの国へと嫁いだ貴族たちは、軒並み体を壊しやすく、短命になることも知られています」
「あぁ……、なるほどねぇ……」
「さらに言えば、ほとんどの魔法使いは地獄の鍋周辺の国にしかいませんし、すべての貴族が魔法使いである国はレナス王国だけです。ちなみに、レナス王国の貴族は、外交で遠くの国へ行くと……不安になり、イライラして攻撃的になるらしいです」
「そういえば……好戦的で、周辺国から嫌われているらしいよね……」
「それだけが原因というわけでは無いでしょうが、それも理由の一つかもしれませんね…………。そういうわけで私達魔法使いは、キダナケモが現地の生き物と交配して生まれた子孫であると考えるのが一番素直かと…………。もちろん、証明のしようもありませんし、まったく的外れだと言う研究者もいますけどね。ですが実際のところこのことは、貴族たちの間では、公然の秘密として共有されています。――――コハクちゃんもそうなのでしょう?」
ラウラは愛おしそうにコハクを抱きしめる。
コハクは眠気と戦っているのか、目を半分だけ閉じて、やや白目がちになっている。
しかし――――、実際どうなのだろう。
アジトの湖で見た、強大で圧倒的な姿を思い出す。
あの黒豹は孤高だった。
何となくだが……、あいつが現地の生き物と交わり、コハクを産んだとは思えない。
とはいえ、いずれにしろキダナケモの子孫であることは間違いないのだが……。
彼女がことのほかコハクを気に入っているのは、自分とルーツを共にするという面もあるのだろうか。
まぁ様子を見るに、九割九分コハクの愛らしい姿にやられているからだろうな。
「要するに、魔力や魔法使い、そしてキダナケモの生存に必要不可欠な何かが、全て同じように地獄の鍋の中心から広がっている。だから、ルーツも同じだと考えるのが自然……というわけかな?」
「そういうことですね!」
「なるほど……そういや地獄の鍋と隣接するタミル帝国の貴族は魔法を使わないの?」
「はるか昔は使った貴族もいたようですが、今は使いませんね……。むしろ魔法は良くないこととして、禁止されているようです。そのかわり帝国では呪術というものを使うらしいですが……。すいません、私はあまり帝国には詳しくなくって……」
「呪術……なんだか無限に謎が増えていくな……。あっ、そう言えばぴんくは…………?」
「ぴんくちゃんもキダナケモなのですか? 今のところ魔力を使っている気配は全く感じられませんね。ですが……ぴんくちゃんの周りだけ、不自然に魔力の揺らぎが無いような気もするんですよねぇ……」
「あ、そうなんだ…………」
ぴんくがポケットからこちらを見てくる。
何か文句あるのかとでも言いたげな顔だ。
こいつのも魔法だとは思うのだが……。
まぁ実際、ラウラはぴんくの光線をまだ見てはいない。
その時になったらあらためて聞いてみればいいか。
「地獄の鍋の中心には、いったい何があるのでしょうね…………」
「ああ、確かに……気になるね……レナス王国に資料とか残って無いの?」
「何度か探索されたようですが、中心にはまったく近づけず、ほぼ全滅に近い形で終わっていますね」
「うわぁ…………まぁなぁ…………」
今まで遭遇したキダナケモ達を思い出す。
ぴんくがいなければ、俺も何度死んでいたか……。
特にアジトの南方はエリザベスがいる今でも厳しいだろう。
「文献に残っている探索で、一番規模が大きく、そして最も新しいものは、魔法使い含め三千人規模で挑んだ百二十年前の記録があります。タリフ男爵の日記という形で残されている有名なものです。率いていたのは別の高位貴族のようで、タリフさんは記録係だったようですね。王都の図書館で読んだのですが、地獄の鍋での生活が克明に記されていて…………、とても面白かったです!」
「三千……それはまた凄まじい規模だなぁ」
「最終的に複数のキダナケモとの戦闘中に、突如巨大な蛇に襲われ、あえなく壊滅したようです。戦闘中だったキダナケモごと、探索隊の半数以上が食べられちゃったみたいです。最終的に生き残ったのはタリフ男爵含む十数人だったようで…………。それ以降、公式に探索された記録はありません」
「蛇か…………」
目の八つある巨大な蛇を思い出す。
この世界に来た直後出会ったキダナケモだ。
あれ以来遭遇したことは無いが、相当ヤバい生き物だった。
簡単にエリザベスを丸呑みできそうなほどの巨体であり、最初見たときは大地が脈打っているのかと思ったほどだ。
タリフ男爵の日記にでてきた蛇と同じ個体なのかもしれない。
あの蛇なら、三千人を丸呑みにしたと言われても信じられる。
ラウラの話を聞くと恐ろしいし、実際今思い出しても恐怖を感じる。
もし次出会うようなことがあれば、倒せるだろうか…………。
「よろしく」
「はい?」
すっかりぬるくなった俺のコーヒーカップに顔を突っ込み、まずそうな顔をしていたぴんくへ無意識に声をかけていた。
ぴんくへ呼びかけたつもりだが、ラウラに誤解させてしまったようだ。
不思議そうに首をかしげている。
「あ、いや……ラウラ、コーヒーに氷もらえる?」
「え、ええ。どうぞ~」
何となく説明しづらかったので、ごまかすように氷をお願いしてしまった。
ラウラは気にした様子もなく笑顔で頷くと、少しだけコーヒーカップを見つめる。
すると間もなくコーヒーの中心部が小さな氷塊へと変わる。
地味だが間違いなく魔法だ。
今この瞬間ラウラはコーヒーカップ内の魔力の揺らぎをとらえ、謎の計算を反復することで魔力が高まり、高まった魔力が安定状態へと戻る反動で魔法が発動しコーヒーを部分的に凍らせたのだろう。
やはり俺には何ひとつ感知できない。
わかるのは唐突にコーヒーが凍ったということだけ。
全く不思議なことだ…………。
「あっ、ちょっと冷やしすぎました?」
「いや、ちょうどいいみたい。器用だねぇ」
ぴんくは再びコーヒーへ顔を突っ込んでいる。
今度は満足そうに目を細めている。
こいつは熱々のものが、でなければキンキンに冷えたものがお好みのようだ。
「おーい、ボナス。監視塔とやらを作ることになったのか?」
「おっ、オスカー、釣れたのか……ちっこいな。えーっと、そうだな。監視塔は作ることになったぞ」
オスカーがぴんくと同じくらいの小さな魚を一匹、やたらと大切そうに持って帰ってきた。
ザムザとミルはそれなりに釣れたようだ。
ふたりで手早く下処理をはじめている。
ちょうどクロ達も髪の手入れが終わったようだ。
すでに道具を片付け始めている。
そろそろ仕事に戻った方が良さそうだな。
「ラウラ、ありがとう。勉強になったし、とても面白かったよ。またアジトでゆっくり話そう」
「はい、もちろんです! ああ……、ついに私も地獄の鍋に……、楽しみです!」
「んで、オスカー。監視塔だが、まだ具体的な形は考えてないんだ。明日アジトに帰って図面描いてくるわ。またアドバイスくれよ」
「そうかぁ…………お前アジトとかいう所に帰るのか…………。ところでこの魚食えるかな?」
「まぁ……夜に揚げてみればいいんじゃないか? それより、そろそろ仕事に戻ろう」
「ああ、それもそうだな! 夜の風呂も楽しみだな!」
オスカーはそう言うと、ザムザとミルの方へといそいそと向かう。
魚の下処理を教えてもらうようだ。
やたら元気だな……。
サヴォイアにいる時より活き活きしている気がする。
「ぎゃうぐぎゃう!」
「ねぇねぇ、ボナス。どうかな?」
「クロにやってもらったんだ~。どう~?」
片付けが終わったのか、シロとギゼラが髪を見せてくる。
クロが彼女たちの髪にアレンジを加えたようだ。
いつもと少しだけ雰囲気が違う。
シロは髪の一部が編み込まれており、いつもは中性的で大人っぽい雰囲気の彼女だが、今はそれに加え、少女のような可愛らしさを感じる。
ギゼラは彼女の髪の癖を活かした無造作でゆったりとした編み込みがなされており、少し雰囲気が柔らかくなったように感じる。
二人とも美しく魅力的だが、やはり彼女たちもキダナケモの末裔なのだろうか…………。
ラウラから聞いた時、はじめはなにか衝撃的な話を聞いたような気がした。
だが、目の前の彼女たちの姿を見ていると、割とどうでもいいことのような気がしてくるな。
「シロはいつもの美しさに可愛さが足されて小悪魔的な魅力がある。ギゼラは大人っぽい魅力が強調されてなんというか……甘えたくなるね!」
「えへへっ」
「あっはっはっはっ、甘えていいよ~?」
「うわっ」
「きゃぅー!」
調子よく彼女たちを褒めていると、二人から挟み込まれるように捕縛される。
なぜかクロも一緒に挟み込まれて……嬉しそうだ。
ラウラはその様子を曇った眼鏡越しにぼんやりと眺めつつ、恐々とした感じで声をかけてくる。
「あ、あの……わ、私は……どうでしょう?」
「え? ああ、なんか髪がべっとりして――――」
「あああああっ! もういいです、わかりました! もういいですー! ふぅぅぅぅぅっ……」
「んなぁ~ぅ」
ラウラは最後に魂が抜けていくような声を出すと、コハクに顔を埋め、そのままゴロンと横になってしまった。
しまった……思わず何も考えずに答えてしまった。
もちろん彼女にも十分魅力はあるし、そうしてボロボロになりつつも、しっかりと仕事をこなす姿はむしろ好ましいのだが……。
ラウラが蒸し風呂からでたら、全力で褒めたたえなくては。
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