第89話 帰宅

「――――タミル山脈周辺の状況は、思ったより悪いのかもしれませんね」


 ハジムラドがまだ戻ってきていないことを伝えると、メナスが悩ましげな顔でそう答える。

 数日程度なら、何かの手違いで遅れることもあるだろうと、気楽に構えていたのだが、メナスはこの状況をもう少し深刻に捉えているようだ。

 まぁ彼女達にとっては死活問題でもるし、慎重にならざるを得ないのだろう。


「私達も状況がはっきりするまでは、サヴォイアに留まった方が良いのかもしれませんね。もし、よろしければなのですが……ボナスさん達がヴァインツ村へ向かわれる際、途中まで一緒に移動させていただけませんか?」

「もちろん構わないよ。古い付き合いなんだし、あんまり水臭いことを言わないでくれよ。むしろ必要なところまで護衛させてもらうよ」

「ありがとうございます。もしかするとお願いするかもしれません」


 メナスは上品に微笑みつつも、少し考え込んでいるようだ。

 腕を組み、右手の人差し指を軽く唇に触れさせる。

 メナスは考え事をするとき、よくこういう仕草をする。

 無意識だろうが、なかなか色気がある。


 一方メラニーは、自分の露店に並ぶアクセサリーを、とっかえひっかえシロに合わせながら、何やら早口でまくし立てている。

 早速シロのためのアクセサリーを考えてくれているのだろう。

 何故かそのやりとりにガザットも混ざって盛り上がっている。


「シロさんなら、何でも似合ってしまいそうだけど、髪型からいってピアスかイヤリング、イヤーカフは絶対欲しい!」

「私のお勧めはイヤーカフだね。もちろん両方つけるのもいいと思うよ! それとシルバーもいいとは思うが、美しい白髪とコントラストを付けるのに、色があるものの方がいいかもしれない」

「かわいいのがいいな」


 シロもアクセサリーをいろいろと身に着けさせられ、少し恥ずかしそうではあるが、意外に楽しそうだ。

 ちなみにメラニーは多種多様なアクセサリーを取り扱ってはいるが、実際メラニーが制作しているわけでは無いらしい。

 彼女はデザインと接客販売だけをして、複数の職人へ委託して作ってもらっているようだ。

 もちろん高級な宝石などは扱ってはいないだろうが、それほど安いっぽい感じもしない。

 この世界では、ハジムラドやガザットなど、それなりの年齢の男性で、指輪や腕輪等のアクセサリーをつけているのは珍しくない。

 うまく使えば自分の社会的な地位や、懐事情等を演出できるし、信用を得る助けにもなるだろう。

 俺もあまりに貧相な見た目だと、すぐに嘗められるということは十分に学んだ。

 いずれ何か作ってもらおうかな……。

 

 ひと通り挨拶を終えたのか、クロはいつのまにかエッダとあやとりのようなことをはじめている。

 二人で頭を寄せ合いながら、楽しそうにしている。


「そうそう、そこでこの糸を引っ張るんだよ。そうすると――――はい、小鬼の形になりま~す!」

「ぎゃう~! ぐぎゃうぎゃう!」


 意外とエッダも器用だな……。

 赤い糸で泣き顔の小鬼の形を作っている。

 それを見たクロが手を叩いて大喜びしている。

 少し微笑ましい気持ちでその様子を眺めていると、メナスが再び声をかけてきた。

 

「ボナスさん。わたくしたちの宿泊している場所はご存じですか?」

「ああ、前にジェダから教えてもらったよ。緑色の看板のところでしょ?」

「ええ、その宿屋ですね。基本的に私たちはその宿屋にいるか、もしくはミシャールで露店をしております。ですので、またハジムラドさんとお話出来たらご連絡ください。とはいえ……またすぐにボナスさん達の露店にお邪魔すると思いますけどね」

「いつもありがとう、メナス。またいつでも露店来てくれよ。おごるからさ」

「それは楽しみですね」


 そう言うとメナスは少しいたずらっぽい笑顔を見せる。

 日もだいぶ傾いてきた。

 そろそろ移動をしなければまずいだろう。


「クロ、シロそろそろ戻ろうか」

「ぐぎゃう~」

「うん」

「それじゃ、メラニーまた明日! 久しぶりに会えてうれしかったよ。メナスもまた連絡するよ」

「ああ、私もうれしかったよ! 早くギゼラさんやザムザにも会いたいな~」

「それじゃボナスさんまた。エッダ、ガザット帰りましょう」

「はーい。んじゃ、みんなまたね~」

「また落ち着いたら、みんなで飯でも食おう。それじゃあね~!」


 メラニーやメナスと別れ、やや急ぎ足で街の外へと向かう。

 久しぶりに街へ来たが、なかなか楽しめた。

 昔はただ通りを歩いているだけでも、不安を感じ緊張したものだが、今は顔見知りも増え、街にも多少は詳しくなった。

 それにクロとシロもなんだかんだ、しっかりと周囲を警戒してくれている。

 自然に振舞ってはいるが、常に俺を挟むような立ち位置にいるのだ。

 彼女たちの存在はほんとうに心強い。

 今では安心して堂々と道を歩ける。


 東門を通り、ヴァインツ村の避難所を横目に帰り道を急ぐ。

 あそこでは今頃ミルが夕食の支度をしているのだろうか。

 昨日まではずっと一緒にいたというのに、妙な気分だ。

 ギゼラもちゃんと夕食を食べるだろうか……。





「だいぶ待った?」

「いや、俺が少し早めにつきすぎただけだ」


 荒野にぽつんと佇むエリザベスとザムザは遠目からも良く目立った。

 何故か付き合いたてのカップルのようなやり取りをしながら、エリザベスの上に引っ張り上げてもらう。

 

「まぁ初日だし、時間も読みにくいよな。エリザベスもありがとう。コハクは?」

「ああ、今は寝ている」


 そう言うと、ザムザは抱っこ紐を少しずらし、スヤスヤと眠るコハクを見せてくる。

 首元を撫でると、目を閉じたままグルグルとのどをならす。

 元気そうだ。

 ザムザとエリザベスはしっかりと面倒を見てくれていたようだ。

 静かな荒野の真ん中で、暖かく柔らかいコハクの体を撫でていると、街に出て高ぶっていた気持ちが落ち着いてくるような気がする。

 なかなか濃密な一日だったな。


「早く帰ろうか。アジトへ」

「ぎゃうぎゃうー!」

「そうだね」

「わかった」





 すぐに湖へと向かう。

 アジトに戻ったら、まずは体を洗いたいと思っていたのだ。

 久しぶりのサヴォイアで、乾燥した埃っぽい空気に長時間晒されたせいか、なんだか体がムズムズする。

 それに、なるべくならまだ多少なりとも明るいうちに体を洗っておきたい。


「あ~気持ちいなぁ」

「ぎゃ~う~」

「んぅ~……きもちいい」


 皆も同じように感じていたようだ。

 クロは服を脱ぎ捨てると、しなやかな体で滑るように湖へと入っていく。

 しばらくは全身を水の中へ沈めていたが、今は鼻歌を歌いながら髪の手入れをしている。

 シロはゆっくりと静かに水の中へ入ると、目を細めながら気持ちよさそうに体を伸ばしている。


 そろそろ太陽も完全に沈みそうだ。

 昼と夜が混ざり合ったような空の下、体を水に預けていると、何とも言えない不思議な気持ちになる。

 昔新人サラリーマンだった頃、似たような空を眺めながら、電車に揺られて帰っていたことを思い出す。

 当時は街中にある職場と郊外の田舎町にあるボロアパートの間を、毎日色々なことを考え悩みながら長い時間をかけて往復していた。

 まさかこの世界でも、こんな風に街まで通勤することになるとは思わなかったな。


「ボナス。なにか考えごと?」

「ああ、ちょっと昔のことを思い出しちゃったよ。あとは景色を見るふりして、シロの裸に見とれていただけ」

「……んもぉ!」

「ぎゃう~?」

「うわうわっ、クロ! 今肩車はだめだって~!」


 火照った体に湖の水が心地よくて、つい辺りが真っ暗になるまで、三人で遊んでしまった。

 急いで体を拭き服を着たがやや寒い。

 早く火をおこそうと窯のあるあたりに向かうと、既にザムザが料理をはじめていた。

 ミルに教えてもらった料理をするようだ。

 とは言え、野菜と肉を一口大に切り、大きな鉄皿にぎゅうぎゅうに敷き詰め、塩とオイルをかけて窯で焼くだけだ。


「そういやザムザは昼何を食べたんだ?」

「うん? これと同じのだ。なかなかうまかったぞ?」

「まぁ、そうか……栄養バランスは完ぺきだな。そうだ! ちょっと街で手に入れてきた、このチーズも乗せてみようか」

「チーズ?」


 円柱形のヤギチーズが売られていたので、思わずひと塊買ってしまった。

 なんとこのチーズ、ヴァインツ村で作られたものらしく、なかなか有名なチーズらしい。

 少し試食させてもらったが、確かになかなかうまかった。

 今回はそのチーズをさいの目状に切り、肉や野菜の上に贅沢にたっぷりと乗せることにする。

 後はこっそり野菜の間に潜り込んでいるぴんくを引っ張り出し、窯へ入れて焼き上がりを待つだけだ――――。

 

 エリザベスはコハクに乳をあげており、シロはエリザベスを撫でながら、その様子をじっと見つめている。

 クロは今日買ってきた布で、早速みんなの下着等を作っているようだ。


「そういやザムザ。お前の服や装備も作りたいから、近々サヴォイアへ一緒に行こう」

「ああ、構わないぞ。コハクはどうする?」

「街に連れていけないかな?」

「今日見ていた限りでは、特に問題ないように感じたが」

「なるほどな……まぁでもエリザベスの乳以外を飲ませて大丈夫か悩ましいしなぁ」


 それから暫くして料理が出来上がる。

 シロと一緒に小皿へとりわける。

 クロも一度手を止めてこちらへとやってくる。

 かなり適当な料理だが、思ったよりもうまそうだ。

 少し焼き色のついた、熱々のチーズがたまらない。


「んまい! ボナスこれうまい!」

「そうかそうか」

「ぐぎゃう~ぎゃう」

「おいしいね」


 シンプルな味付けだが、これはこれでうまい。

 クロとシロもなかなか満足そうだ。

 ザムザが一番喜んで食べているな。

 意外と楽しそうに食事の準備をしていたので、そのうち料理にはまりだすかもしれない。


「……おっ、コハクはもう歩けるのか~」

「んなぅ~」


 ちょうどエリザベスの乳を飲み終わったコハクがヨタヨタしながらも俺の方へと歩いてくる。

 日中よく寝ていたのか、目もぱっちり開いて、とても元気そうだ。

 なぜか俺の体をよじ登ろうとしてくる。

 動きは赤ちゃんだが、体は割りと大きいので意外とずっしりくる。


「うにゃう!?」

「何してんだぴんく……、こいつはぴんくだ。食べたらだめだよ」


 突然ポケットからぴんくが飛び出てきて、コハクをびっくりさせている。

 一瞬驚いてはいたものの、すぐにぴんくに鼻を寄せて興味をしめしている。

 ぴんくはそれで満足したのか、するするとシロの所に行き、チーズを強請っている。


「コハク、お前は街に行けるかな~?」

「ぅ~?」


 話しかけるとコハクは首をかしげる。

 この子は普通のヤギの乳も飲めるのだろうか。

 それに何を使って飲ませればいいのだろう。

 考えてみたところで、巨大な黒豹の赤ちゃんの育て方なんてわかるわけもない……。

 一度ミルやメナスにも相談してみるのが良いかもしれない。

 彼女達ならいい知恵を貸してくれそうだ。


「ぐぎゃうぎゃう~」

「えらいね」

「メェェ~」


 クロとシロが、エリザベスをねぎらうように、ブラッシングしてやっている。

 確かにエリザベスをよく見ると、いつものようにクロとシロに甘えながらも、何となくお疲れな様子だ。

 彼女も一日中コハクにつきっきりで、大変なのだろう。

 一方のコハクは、そんなことはお構いなしと言わんばかりに、元気に俺の指にじゃれついてくる。


「まだ赤ちゃんだもんなぁ~」

「んにゃう!」


 さて、明日はハジムラドと会えるだろうか。

 そういやクロとシロの日常着も一着くらいなら出来ているかもしれない。

 なかなか楽しみだ。

 トマス達親子があまり無理していなければいいのだが……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る