第90話 露店再開と客達

 サヴォイアへ通うこと五日目。

 ハジムラドはまだ戻ってこない。

 やはりメナスの見立ては正しかったようだ。

 傭兵斡旋所の職員から聞いた話では、やはりタミル山脈周辺の状況は相当悪いらしい。

 モンスターの駆除もあまりうまくいっていないようだ。

 次回のことも考え、拠点を築くまでは、限界まで粘るつもりらしい。

 とはいえ、そろそろ傭兵部隊の士気も限界らしく、遠からずサヴォイアへ戻ってくることになるというのが大方の予想だ。


 一方露店の方は、全くもって順調だ。

 メラニーに言われた通り大幅な値上げをしたが、驚いたことにほとんど反発も無かった。

 俺は少し難しく考えすぎていたのかもしれない。

 サヴォイアの市場では、日によって値段が変わるなんてことは、珍しくもないらしい。

 ただ、オスカー親方だけは少し寂しそうにしていた。


「あ~あ! 一日二杯飲めればいいのになぁ……俺の稼ぎじゃなぁ……」

「まあ、いろいろと新商品も考えているから、楽しみにしておいてくれよ。それよりその荷物……」

「ああ、頼まれていた箱とカップアンドソーサーだ。とっくに出来ていたけどな!」

「申し訳ない。そういえば支払いはどうなっていたんだっけ……?」

「箱の分は事前に貰っていたし、カップアンドソーサーの分はマリーが支払っていったぞ。あっ、クロ! 俺のは濃いめで頼む!」

「ぎゃ~う、ぐぎゃうぎゃう!」


 今まさにコーヒーの準備へ取り掛かろうとしているクロへ、オスカーが声をかける。

 クロも慣れたもので、ちゃんと分かっているからと、手で追い払うようなしぐさをする。

 それにしても、マリーは王都へ出かける前に、先に支払いを済ませておいてくれたんだな。

 領主への対応などもそうだったが、思った以上にいろいろと気を回してくれていて、彼女には頭が上がらないな……。


「そうか、マリーが……、忘れないように返さないとだめだな」

「あと一番出来がいいのを一個だけ持ってった」

「そういえばそんな約束もしていたような気もするな」


 

 ちなみにオスカーは、露店を再開してから毎日欠かさずコーヒー一杯で結構な時間居座り、客や俺達と無駄話をしていく。

 まぁ別にこちらとしては満席でもない限り、一向に構わないのだが、こいつ金が無いと言いつつ、自分の商売は大丈夫なのだろうか……。

 だが実は、居座る客はオスカーだけではない。

 それどころか、今回用意した十席ほどのうち半数以上は、同じように長時間占拠していく客によって占められているのだ。

 ただこの連中、迷惑かと言えば意外とそうでもなく、通りかかった知り合いを呼びこんでくれたり、何故かクロの手伝いをしたりもする。

 もちろんそうして居座っている連中は、前から店に来ていた連中が多いのだが、やはり全体的に金と時間に余裕のある年配の客が多い気はする。

 実際、明らかに金に余裕が無さそうなのはオスカーくらいで、他の面子はそれなりの装いをしており、物腰もどことなく余裕を感じるのだ。

 その中でも一番長い時間居座るのが生地屋の爺さんで、実はトマス経由でエリザベスの生地の作成をお願いしている店のオーナーでもある。

 トマスが口を割らないので、自らトマスの店に張り付いて、俺とのかかわりと掴んだらしい。

 すぐさま俺達の情報を集め、その日のうちに露店へ乗り込んできて、猛烈な質問攻めをはじめたのだ。

 はじめはなんとかはぐらかしていたのだが、だんだんとそれも面倒くさくなってきたので、キダナケモの毛ということを伝えると、それで満足したのか、おとなしくコーヒーを飲んで帰っていった。

 これでもう、このうるさい爺さんと会うことも二度と無いだろうと思っていたのだが、何故かそれ以降も、毎日店へと通うようになったのだ。

 本人曰く、シロやギゼラ、クロを眺めながらコーヒーを飲んでいると、商売のアイデアを思いつくらしい。

 かなり疑わしい理由だが、来るたびに彼女達へ大量の端切れを持ってきてくれるので、地味に助かっていたりする。

 クロが小躍りして喜ぶ様子に目を細める姿は、孫を可愛がるおじいさんのようだが、ギゼラの胸元を見る目つきは若干怪しい。


「おいスケベ爺! 俺の作ったこの椅子にクッションつけてくれよ!」

「うるさいぞオスカー! そんなもんもうとっくに手配しとるわ!」


 その他にも、ある程度金と時間に余裕のありそうな面々が、コーヒー片手に意外と楽しそうに話に加わっては適当に帰っていく。

 この四日の間、そんな様子も新しい日常の風景として、少しづつ馴染んできている気がする。

 

 

 ただ――、いま目の前をウロウロしている女は、どうもこれまでの客とは少し毛色が違うようだ。

 ひと目で高級だとわかる紺色のローブを羽織った女性が、先ほどから露店の周りをいったりきたりしつつ、遠巻きにこちらを伺っているのだ。

 本人はあれで隠れているつもりなのだろうが、フードを目深く被り、妙な動きをしているので、かなり目立っている。

 その不審な女性から少し離れて、背後から様子を見守っている傭兵達は間違いなく彼女の護衛だろう。

 しばらくそうやって、店の周りを落ち着きなくうろついていた女性だが、意を決したように両手をギュッと握りしめ、一直線にこちらへ向かってくる。


「――――あ、あの!」

「ぎゃうぐぎゃう!」

「なっ、えっ? ぎゃう?」


 だが、勢い込んで話しかけたは良いものの、クロの思いがけない返答に、完全に混乱してしまったようだ。

 相手はどう見てもそれなりの身分であることは間違いなさそうなので、最近やっと話せるようになってきた敬語を使うか迷ったが、あえていつも通りの言葉使いで対応することにする。


「はじめてのお客さんだよね。この露店ではコーヒーという香りと苦みを楽しむ飲み物と、チョコレートというお菓子を併せて販売しているんだ」

「そ、そうなのですね。あ、あの……、ええと……」

「席の代金も込みだから少し高いけど、なかなか美味しいから、よければ一度試してみて」

「そ、それじゃ……、おひとついただけますか?」

「はい、お買い上げありがとう! そっちの席で待っていてもらえる? あと、こいつの名前はクロ。俺の大切な相棒で、一応小鬼」

「ぐぎゃ~う!」

「は、はい! ……え? 小鬼? えぇ……ぐぎゃ……?」


 無事注文出来て、少しほっとした様子を見せていたが、クロを横目で見ながら何度も首を傾げつつ、席の方へと歩いていく。

 青いローブから覗く黄金色の髪や、サヴォイアでは珍しい白い肌に、つい視線が吸い寄せられてしまう。


「ボナス。見すぎだよ」

「護衛の人が心配そうだね~」


 さっきまでメラニーとアクセサリーの相談をしていたシロとギゼラが、いつの間にか俺の背後に立っていた。


「ギゼラ、あの人だれか知っているの?」

「ううん、知らない~。けど、あの感じは一般人では無さそうだよね」

「たしかになぁ…………まぁ今のところ特に害もなさそうだし、あまり詮索はしないでおくよ。ああ~、クロ。それは俺が持って行くよ」

「ぐぎゃーぅ?」

「これ、さっきの女の人の分だよね。親方の分は頼むよ」


 クロと二人で客席へとカップを運んでいく。

 オスカーはいつもの調子で自分が作った椅子やテーブル、コーヒーセットを図々しく自慢している。

 先程の女性客は、少し面食らっていたようだが、意外と普通に会話をしているようだ。

 少し様子を見ていた周りの常連客達も、さりげなく会話へと混ざっていく。



 

「ぎゃーう!」

「はい、おまたせ~。これがコーヒーだよ。もし苦いのが苦手であれば、ヤギのミルクをいれるけど、どうかな?」

「あっ、えーっと……特に苦手というわけでは無いのですが……ちょ、ちょっと怖いので入れてもらえますか?」

「もちろん! 今日のヤギ乳は特別おいしいはずだから、むしろ入れることをお勧めするよ」

「あっ! それたまに出る、あのやたらうまいヤギ乳か! 俺のにも少し入れてくれ!」

「あ~はいはい」

「まぁ! 素敵な香りだわ……」


 その女性は、上品な手つきでソーサーごとカップを持ち上げると、小さく声をあげ、静かにカップへと口をつけた。

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