第146話 商人
見たことのない女性だ。
メナスより少し若い……俺と同じくらいだろうか。
それほど特徴的な容姿をしているわけでは無いが、黒髪に黒い瞳をしている。
顔立ちはこのあたりの人間特有のものだが、この組み合わせは珍しい。
やはり懐かしさを覚えるな。
「……この飲み物とお菓子は、何でしょうか?」
「あ、ああ……、飲み物はコーヒー、お菓子はチョコレートだよ」
「……コーヒー、チョコレート。そうですか」
表情は薄いが目は良く動く。
露店のしつらえや道具、俺やクロ、シロの、服装や立ち振る舞い、客席など、黒い瞳がせわしなく追いかけていく。
だが田舎から出てきて物珍し気に見ているという雰囲気ではまったく無い。
服装は地味だが、かなり良い生地を使っており、卒なく洗練された印象だ。
なにか……値踏みされているような居心地の悪さを感じる。
今は、俺がコーヒーを淹れているところを身じろぎもせず見ている。
「……この、チョコレートというものは、とても美味しいですね。これも……コーヒーですか、癖になる味です。何より香りが素晴らしい」
「あ、ああ……ありがとう。気に入ってもらえてうれしいよ」
女性の前に皿を置くとすぐにチョコレートを一欠けら口に入れ、またすぐにコーヒーを一口。
せっかちな質なのだろうか。
比較的食い物に無頓着なアジールでさえ、もう少し味わっている気がする。
ただ、味や香りの分析は意外にしっかりしているようだ。
「……とても甘い。このチョコレートは……舌が痺れるほどに甘いですね?」
「そうだね。なかなか希少な材料で作られているんだ」
「希少な……それは――」
「一応企業秘密ということで。ただ地獄の鍋で採集しているから、その……集めるのが難しいんだよね」
「……そうですか」
女性は薄く湯気を上げるコーヒーを見つめながら、何か考えているようだ。
カップを持つ両手が子供のように小さいな。
「……ですが、これほどのものであれば――、もっと手広く……あるいは、もっといい価格で商い出来るのではありませんか?」
「うん、まぁ……そうかもしれないね。ただ、そうはいっても、それもそう簡単なことでは無いだろ? 特に長く商売を続けようと思うと、いろいろ難しいんじゃないかな」
「私であれば――、そのお手伝いができるかもしれません。ほんの少し……ちょっとした仕組みを取り入れることで、限られた資源であっても――圧倒的に効率よく活用できるものです。今よりずっと簡単に、そして大きな収益を上げることが可能でしょう」
一体どういう仕組みで……と思わず聞きたくなるような喋り口だな。
だが、これ以上彼女に喋らせるべきでは無いな。
彼女の言葉に説得力があればあるほど、お互いに引っ込みがつきにくくなる。
そもそも、そんなことは俺だって十分わかっていることだ。
「いやぁ……ありがたいんだが、それはいいや。実際このチョコレートもコーヒーも、例え効率化したところで、それほど沢山手に入れるのは難しいんだ。何よりこれ以上の商いは俺の手に余る。あなたは……商人、だよね?」
「……ええ、その端くれのようなものです。しかし……素晴らしい商売の種を見つけたかと思ったのですが……、それならば仕方ありませんね。とても……残念ですが、今はこのコーヒーとチョコレートを一人の客として、ただ楽しむことにいたします」
「いやいや、うちの商品を気に入ってもらえるのは嬉しいよ、ありがとう」
「ちなみに、ボナス商会というのは……あなたが?」
「……ああ、俺がボナスだ。よろしく」
この女性は逐一俺の表情を確認しながら、言葉を選んでいるようだ。
何だか誘導されているような気がしてくるな。
少し気を付けた方が良いのかもしれない。
見たことのない商人……しかも俺の名前を知っていた。
つい最近気を付けるように言われたばかりだ。
隣町から来た連中の可能性が高い。
そもそも「もっと効率の良いやり方があります、私達にそのお手伝いをさせてください」なんて囁いてくる連中にろくな奴はいない。
その風貌と相まってむしろ懐かしく感じてしまうほどだが……油断ならないな。
そう気を引き締めなおしたところで、黒髪の女性がいつの間にか目の前から消えていることに気が付く。
テーブル席にも姿が無い。
ただ、目の前に空のカップアンドソーサーがあるだけだ。
「なんだか不気味だな……。名前くらい聞いとけばよかった」
「ボナス」
「おっ、なんだアジールか、昨日ぶりじゃないか。髪が……頭にトサカできてるぞ?」
「頭いてぇわ……コーヒー淹れてくれ。それと、さっきの女、カミラだ」
「え?」
真昼間に幽霊にでもあったような気持ちで立ちすくんでいると、寝癖を付けたアジールに声を掛けられた。
どうやら女性とのやり取りを、どこからか見ていたらしい。
しかし……そうか、あれがシュトルム商会のカミラか……。
散々メナスに脅されていたので、もっと派手な奴なのかと思っていた。
この国有数の豪商が、まさかたった一人で街をうろついているとは……普通思わないだろう。
それともどこかに護衛を潜ませていたのだろうか。
「俺の対応は……なんかまずいとこあったかな?」
「いや、正しかったんじゃないか? ただ……、あの女の提案を断ったのも事実だ」
「えぇ……、そんなこと言われてもなぁ。仕方なくないか?」
「カミラの提案を断った奴はろくなことにならないと聞くが……まぁ隣町の話だし、お前にはクロや鬼達もいる。実力のある連中ほどこの露店に手は出せないと思うが……一応は気を付けておけよ」
「そんな強引なことをするような雰囲気には見えなかったがなぁ……まぁ、気を付けておいて困ることはないか。むしろ俺達よりも仕立屋の娘やメラニー、客たちが心配だ。やっぱり一度ハジムラドに傭兵の相談したほうがいいか……」
「ハジムラドと言えば、金預かってきたぞ」
「うん? 金って……ああ、ヴァインツ村の追加報酬だっけ?」
「たぶんそれだな。額面を確認してくれ。えーっと、ほら、こっちが明細だ。確認したことろを見届けるところまでが俺の任されたおつかいなんだ。あ、先にコーヒーよろしく」
「はいはい――」
急いでコーヒーを淹れ、露店をクロとシロに任せる。
なんとなく人前で金を数えるのもはばかれる気がしたので、露店裏の壁際へ二人で行き、そこでこそこそと硬貨を数える。
意外に量が多い。
アジールはその横でしゃがみこみ、コーヒーをすすりながらシロの尻を眺めている。
こいつ……おつかいはどうしたんだ。
「ただいま」
「ボナス、あんた……こんな壁際でニヤニヤしながら金勘定してると、変な噂になるよ?」
急にできた人影を見上げると、ザムザとミルが大量の荷物を抱えて立っていた。
ザムザは当然だが、ミルも相当な量の荷物を軽々と抱えている。
「あれ? 二人とも早かったなぁ。もうデートは良いのか?」
「なっ! デ、デート……か、買うもの決まってりゃこんなもんなんだよ!」
「せっかくなんだから二人で昼飯でも行ってくれば良かったのに」
「後でギゼラの家の台所を借りることにした。外で食うよりもミルと一緒に作った方がずっとうまい。ボナス達の分も何か食べやすいものを作って持ってくるぞ」
「そ、そういうことだよ!」
「おまえら仲いいなぁ……。来年には子供でも抱いてそうな雰囲気じゃないか?」
「あ、あたしのことはいいんだよ! アジール、あんたこそ壁のシミみたいになって、何してんのさ?」
「シミ……おつかいだ。ヴァインツ村の件の報酬受け渡しだよ」
「ああ……追加報酬ね」
「ミル、まだ昼までには時間がある。露店を手伝おう。クロが頭にまでカップを乗せだした……ぴんくと小鳥が困っている」
「ああ……相変わらず器用だねぇ……」
ザムザ達が露店を手伝ってくれるようだ。
たしかに客が増えるにつれて、クロの動きがどんどんアクロバティックになっていっている。
忙しいというより、あれは楽しんでいるな……無駄にジャンプしている。
客たちの拍手喝采を受け得意げだ。
「なんであんだけ動いてコーヒーこぼさないんだろうな……」
「クロだからだろ。うん? ……ああ、酔ったのね」
アジールがクロの様子に呆れたようにため息をつく。
と同時に、ぐったりした様子のぴんくがポケットに戻ってきた。
クロの動きについて行けず、乗り物酔いしたようだ。
ぴんくは酒を飲んでも酔わないが、振動には弱いんだよなぁ。
もう吐いてくれるなよ。
「あれ……なんか明細より硬貨が多いな」
「えぇ……嘘だろ? 数え間違いじゃないのか?」
「硬貨数枚ならわかるが、全体で1割くらい多いぞ? さすがにハジムラドのほうで何か勘違いしてんじゃないのか?」
「うわぁ……めんどくせぇ……」
「――う~ん、やっぱり数えなおしても多いなぁ。残念、お前のおつかいもやり直しだな」
「うぇ……まぁ、いいさ。どうせ今日は予定もない」
「ああ……そうだ、俺もついて行くよ。ちょうど傭兵についてハジムラドに相談したかったし、今斡旋所にいるんだろ? ちょうどザムザとミルもいるし、今なら抜けても問題ないだろ」
「やれやれ……それじゃ、行くか……」
――――――――――――――
あとがき。
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『迷子の悪魔と森の悪霊~いかさまテイマーと北の森の狩り暮らし~』
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