第93話 パンとうなぎ
食事場へ戻るとザムザとミルは二人並んで幸せそうに腰掛けて談笑していた。
窯からはゆっくりと煙が立ちのぼっている。
「微笑ましいような物足りないような……ただいま」
「うん? どうかしたか? おかえり。魚は釣れたか?」
「ああ、クロとシロが結構釣ってたよ……なんかいい匂いだな」
「ああ、実はパンを焼いてみたのさ」
「おお! それは楽しみだな!」
「ぎゃうぎゃう!」
「いいにおいだね」
「ミルちゃんよかったねぇ~」
「ああ……」
ミルは感慨深そうだ。
そういえばこいつパン屋だったな。
黒狼と戦っていた時は、こいつの焼くパンってどんな味なんだろうと思っていたが、ついにそれが味わえるわけだ。
あの時一緒に戦ったマリーやアジール、後ケインと一緒に食いたかったな。
「そろそろ頃合いだね! ザムザ、取り出すのを手伝ってくれるかい?」
「ああ、任せてくれ」
皆特に何か言うでもなく、一様に窯からパンを取り出す様子をうかがっている。
すでに周囲には出来立てのパンの香りが漂っている。
「うん…………、見た目は悪くないね。サヴォイアで手にはいった麦やパン種以外にアジトで採れたものも使ったから……味はどうかな」
ミルはまだ湯気をたてるパンを口へ放り込むと、味を確認するように咀嚼している。
幸せそうに目を細めているが、少し涙を浮かべている。
俺ではうかがい知れない、いろいろな感慨もあるのだろう。
「結構いろいろと作ったんだな」
「ああ、実験を兼ねてね。ボナスの露店の新商品も考えないとだめだしね」
「それはありがたい」
「とりあえず取り分けていくよ!」
そう言うとミルは一番大きいパンをナイフで大胆に切り分けていく。
切り口から薄っすらと白い蒸気がひろがる。
そうしてミルが切り終えるや否や、皆いっせいに手を伸ばす。
複数の雑穀が練り込まれた、やや硬めのパンだ。
麦の香りが素晴らしい。
焼きたてというのもあるだろうが、薪窯で焼いているのもこの芳ばしさに寄与しているのかもしれない。
触れるとまだ熱いくらいだが、一口大にちぎって口へ放り込む。
皮はパリッとしているが、中はもっちりしており、ほのかに甘みを感じる。
砂糖も少し含まれているのかもしれない。
「久しぶりにまともなパンを食べたのもあるが、それを差し引いても……文句なしにうまいな」
「ああ……もう無くなっちゃった……」
「ぎゃぅ……」
「まだまだいろんな種類あるから!」
皆で品評会でもしながら、ゆっくりと食べるつもりでいたが、まったくもってそんな状況にはならなかった。
あまりにもパンがうますぎた。
ミルも窯の使い方にはずいぶん慣れていたし、アジトの砂糖やカカオ、チョコレートにシナモン、一部の穀物や芋、果物、エリザベスの乳との相性も素晴らしかった。
さらに焼きたてを食べられるという好条件が重なりすぎた結果、気の利いた感想を述べる余裕もなく……ただひたすらにパンをむさぼることとなった。
「あぁ、食いすぎたな……んでも、うまかった~」
「ぎゃ~う~」
「ミル、とってもおいしかったよ」
「ミルちゃん……最高だったよ!」
「アジトで採れたものとの相性も最高だったね。まだあるから晩御飯に取っておくよ」
食後、コハクと遊ぶミルを見ていると、どことなくすっきりとした顔をしていた。
彼女の中で何か一区切りついたのかもしれない。
「ミル、夕食も一緒に作りたい。パン作りは面白かった」
「夜はシチューで食いたいような気もするけど……ああ魚を揚げて挟んで食べようかな」
「ぎゃうぐぎゃーぅー!」
「たのしみ」
「あははっ。あたしも楽しみだよ! ザムザまたお願いね。ぴんくはもうパンの中に潜り込もうとするんじゃないよ」
やや長めの昼食後、俺はクロに魚の捌き方を教える。
ちなみに以前湖で釣った魚も恐々と食べてみたが、特に腹を壊すこともなく、それほど泥臭くもなかった。
「今回は結構な種類釣れたみたいだけど……まぁ揚げれば食えるか」
「ぎゃ~ぅ~!」
「じゃあクロ、まずはナイフをこんな感じで――――」
とりあえず小さめの魚は開いて、大きめの物は三枚におろす。
どれも見たことのない魚だが、特に体の構造に違いは無い。
作業に集中していると、いつのまにかクロの肩からヒヨドリに似た鳥が降りてきて、クロと一緒に作業を覗き込んでいる。
もともと大してうまくない上に、久しぶりの作業だったので、なかなか疲れる。
「ぐぎゃうぎゃう!」
「うん? ああ、クロもやってみるか?」
少し休憩しつつ、クロの手際をヒヨドリと観察する。
相変わらず刃物の扱いが異様にうまい。
「はっや~……。やっぱクロは器用だなぁ」
「ぎゃう~!」
既に俺よりうまいし早い。
一匹を除き、あっという間にすべての魚を捌き終えてしまった。
だが最後に残った魚を前に、クロの手が止まる。
「こいつなぁ~。正直やり方あんまり覚えてないんだが……どうにかして食ってやりたい……」
「ぎゃ~ぅ?」
クロがどうするのか尋ねるように俺を見る。
目の前にいるこのうなぎを俺は捌けるのだろうか――――。
「よし! 全然上手くいかんかった!」
「ぎゃ、ぎゃ~ぅ~……」
「大変だった……が、まぁ一応食えるだろう。試しに焼いてみるか~」
クロと二人、ヌルヌル動くウナギに四苦八苦しながらも、何とか骨とひれを取り除き、開き終えた。
もう汗だくだ。
クロも珍しく疲れている。
多分俺の手つきがあまりにもおぼつかなく、怪我をしないか相当不安にさせてしまったせいだと思う。
俺が手を滑らせるたびにぎゃぁぎゃぁ叫び声をあげていた。
「ごめんよクロ……でも俺……どうしてもウナギ食いたかったんだ……」
「ぎゃう~……ぐぎゃうぎゃうぐぎゃうぎゃぎゃぎゃうぎゃうぎゃうー!」
「わかったわかった! もう今度からクロに全部お願いするから! ごめんって! ところで……竹櫛の代わりになるようなものは……クロ、木を削って細い棒を作れる?」
やれやれと言った表情のクロにお願いすると、あっというまに串らしきものを作ってくれた。
なんとかその串を打ち、やっとのことでそれらしい形になる。
「とりあえず……焼くか」
「ぐぎゃーう!」
さっき腹がはち切れそうなほど昼食を食べたばかりだが、どうにも我慢できない。
タレが無いのは残念だが、早く食べてみたい。
「あちっ! んぬぁあ~! ってやっぱり熱い熱い!」
「ぎゃう~! ぐぎゃうぎゃう~!」
クロと一緒に火をおこし、慎重にウナギを炙るが、薪の火ではどうにもうまく炙れない。
火傷しそうだ。
クロもその様子に慌てふためく。
こんなことなら蒸した方がよかったかもしれない……。
「ボナスかしてみて」
「あっ、ギゼラ……みんなも、いつのまに……」
いつの間にか、全員集まっていたようだ。
ぴんくまでいる。
「ギゼラありがとう。おねがい」
「は~い」
「おぉ……さすが鍛冶師……」
ギゼラは俺と違い、まったく熱がることも無く、火の様子をうかがいつつ、器用に満遍なく焼いていく。
しばらくするとジュージューと油が滴る音とともに、芳ばしい香りがあたりに広がる。
「これはうまそうだな……」
「何の魚だろうね?」
「わたしが釣った細長いやつかな?」
たしかに脂がのっていて、程よく肉厚で……あぁ……これでタレと米があればなぁ。
唾液がとまらない。
「もう火は通ったかな~?」
「ありがとう、ギゼラ! いい感じ! 最高! やったなクロ~!」
「ぎゃ~う~!」
何となくクロとハイタッチをかわし、お互いの健闘を称えあう。
「あっ! ぴんく!」
「だめだよ~」
「塩でいいよね」
そんなことをしている間にぴんくがつまみ食いして、怒られている。
ミルが塩と皿を持ってきて、取り分けてくれる。
みんなで分けると、ほんと一切分になってしまう。
「うわ~おいしいね~」
「こんな魚は食べたことないねぇ。ああ……でもこれは間違いなくうまいね」
「前に村で食べた魚はちょっと苦手だったけど、これはおいしい~」
「これは…………凄いな」
食ったら俺の知らない味だったらどうしようかとも思ったが、これは間違いなくうなぎだった。
まさかこの世界でうなぎを食べられるとは思っていなかった。
我ながら酷い捌き方で、身もところどころ崩れてしまっているが、素晴らしくうまい。
「あぁ……おいしい……。クロ、がんばった甲斐があっただろ?」
「きゃう~!」
クロは両手をブンブン振り回して喜んでいる。
食べ物でこれほど喜んでいるのは珍しい。
「あっ、コハク!」
「おっ、お前大丈夫か?」
「んなぅ~」
コハクがザムザの半分食べかけのうなぎに噛り付いたかとおもうと、そのまま口をむにゃむにゃ動かし飲み込んでしまった。
ザムザは口を開けたまま固まっている。
いつも通り俺達の周りをウロウロと、誰彼構わずじゃれつきながら歩き回ってたので、大して気にしていなかったのだが……。
「うまかったから、大切に食べていたのに……」
「コハクも柔らかい物なら食べられるようになってきたのかな? 大丈夫か?」
「んな~ぅ!」
まぁ体はそれなりに大きいし、エリザベスも特に何か言ってこないところを見ると問題ないのだろう。
生まれて間もないコハクだが、既に歩き方もしっかりしてきた気がする。
これなら近々街へ連れていっても大丈夫そうだな。
明日試しに連れて行ってみるか……。
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