第93話 大会当日の朝(その1)

 大会の会場である市民体育館のロビーで部長の恭介と一緒に受付を済ませる。

 高校名を告げ、メンバー表を提出して、人数分の進行表を受け取ったら終わり。

 初めての大会参加で受付の勝手が分からず、恭介と二人で緊張していたが、あまりにも簡単に滞りなく終わって拍子抜けした。

 しかし、まだ事務局しか入れない会場の中が入口からちらっと見えて、整然と並べられた長机や、いくつもの将棋盤と駒の箱を見ると再び緊張感が高まってくる。


 陣取っていた駐車場の片隅に戻ると、歩美が「どうでした?受付できました?」と駆け寄ってきた。


「ああ。びっくりするほど、すんなり」


 恭介が受け取った進行表を全員に配る。


「よっしゃ。いよいよだな。どれどれ。初戦の相手は……」


 いつも通り高いテンションの反町が進行表を指でなぞる。「あった、我らが修明高校は……。山田高校が相手だって。余裕じゃん」


「え?勝てそう?」


 歩美が顔をほころばせる。


「ああ。全然大したことない。春は俺のハットトリックで楽勝だった」

「それ、サッカーの話じゃん」


 歩美はキッと睨みつけて、拳で反町の腕を小突く。


「サッカーも将棋も同じだって。弱いところは何やっても弱いもんだ」

「私、春の大会の準決勝で山田高校に負けたんだけど」


 少しムスッとした顔の永田さんも可愛い。


「あー、例外もあるのかぁ」


 乾いた笑い声を響かせる反町に向かって、「いい加減な奴」と歩美が横目で睨む。


 凛太郎はずっと気になっていることがあった。

 周りに聞かれたくないから、こそっと恭介に問いかける。


「山田高校って、女子いるのかな?」

「何、たろちゃん。ここへ来て、ナンパでもするつもり?」

「しっ!恭介君、声が大きい」


 しかし、時すでに遅し、だった。

 反町に向けられていた歩美の白い目が一瞬にして凛太郎に注がれる。


「奥川先輩。何ですか?一体、何しに来たんですか?」

「いや。違うって。僕はただ……」


 凛太郎は歩美に向かって首をブンブン横に振る。


「ただ?」

「ただ……、女子と対戦したくないなって思っただけだよ。大会に出るってだけで、緊張するのに、女子が相手だと余計にあがっちゃうから、何とか男子と対戦したいと思って」

「おー。そういうことなら、俺が女子と対戦してやるよ。俺、サッカーの試合でも緊張なんかしたことないし」

「いや。実は……」


 恭介が反町の顔をチラチラ見ながら、おずおずと切り出す。「反町君に出場してもらうかどうかは、まだ迷ってるんだ」


「おいおい。何だよ、部長。今さら俺を使わないって、そんな選択肢あるか?」

「えっと。みんなに確認しておきたいことがあるんだけど、今日の大会の目標はどこに定めるべきだと思う?」

「そりゃ、優勝だろ」


 反町は、当たり前だろ、という感じだ。


「大きく出過ぎ」


 歩美がビシッとたしなめる。「優勝は無理ですけど、一回戦は突破したいです」


 うんうん、と頷いてから、恭介は永田さんに「どう?」と訊ねた。


「私は、参加して雰囲気を味わうだけでも大きな意味があると思うな。だから、勝ち負けは次回からでもいいと思う」

「たろちゃんは?」

「僕は……もちろん勝ちたいけど、それ以上に自分の力がどれぐらい通用するかを確認したい気持ちが強いかな。だからこそ、女子と対戦して頭がのぼせて、気づいたら負けてるっていうのは絶対に避けたい」


 なるほど、と恭介は腕を組んだ。

 そして、部長らしい威厳に満ちた感じで力強く口を開いた。


「俺は最初、永田さんと同じ気持ちだった。でも、ここに来たら、惨めな負け方はしたくないって気持ちが強くなってきたんだ。部長として、みんなに惨めな思いはさせたくない。だったらここに集まった六人の全力を結集してベストの布陣を組みたい」

「六人?俺たち、将棋部は五人だろ」


 驚いた顔の反町の後ろで、もっと驚いた顔をしているのはひかるだった。


「え?もしかして、私、数に入ってます?」

「もちろん。メンバー表に檜山さんの名前も書いて出したから」

「困ります、困ります。私、そんなつもりで来たんじゃないですから」


 ひかるは焦った様子で胸の前で何度も手を横に振る。


「だけど、檜山さんは正直言って俺より実力が上かもしれない。出さないのはもったいないんだ」

「そんな。だったら、私、帰ります。私、反町先輩の応援に来たのに、私のせいで反町先輩が出られないなんて、悲し過ぎます」


 ひかるの表情が一気に曇る。

 今にも泣きだしそうになる。


「あ、ごめん。いや、それならそれで……」


 恭介が慌てて弁解するが、ひかるは目にじわっと涙を浮かばせ、それを隠すようにサッと背を向ける。


「あー。恭介先輩、泣かせたー」

「おい、部長。うちの可愛いマネージャー泣かすなんて、どういうことだ」

「ごめん。本当にごめん。えー、困った。歩美、どうしたらいい?」


 おろおろとする恭介からは部長としての威厳はあっという間に消えている。


「知りませんよ。とにかく、許してもらえるまで謝ってください」

「しかし、檜山も泣くほどのことじゃないだろ」


 反町が少しうんざりした声を出す。


「追い打ち掛けるようなこと言うな!」


 泣いているひかるを中心に恭介、反町、歩美がわちゃわちゃやっていてカオスだ。


 永田さんが凛太郎の方を見て「困ったもんね」という感じの肩をすくめる。


 凛太郎は「本当に」という思いを込めて、頷いた。


「凛太郎さん」

「?」


 不意に女子に名前を呼ばれ、ビクッと全身を震わせて、ゆっくり振り返る。

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