第133話 VR

「おう。たろちゃん」


 恭介からの電話に凛太郎は椅子からひっくり返りそうになった。


「恭介君!いいの?電話なんかして」


 十日前に見舞いに行って以来、恭介と話すのは初めてだ。


「うん、いいよ。大分元気になったからさ」

「そっか、良かった。心配したよ」

「ごめん、ごめん。今日、お医者さんに診てもらって、少人数で少しの時間なら大丈夫ってオッケーもらった。少人数で少しって、どんだけ曖昧なんだよって思うけど」

「そっかぁ。まあ、あまり無理はできないってことだね」

「無理しなきゃいいんだよ。だからさ、……今から遊びに来てよ」

「え?今から?」

「そう。今から。もう、ここは毎日が退屈過ぎるんだ。退屈過ぎて、心臓が止まりそうだよ」

「いいのかなぁ」

「いいの、いいの。頼むよ、たろちゃん。たろちゃんとなら喋ってると心が落ち着くし、回復が早いと思うんだよ」


 これって友達冥利に尽きる。

 こんな風に言われたら、思わず顔がにやけてしまう。

 少し恥ずかしいけれど。


「万能薬みたいに言うけど、何の根拠があるんだか。でも、いいよ。じゃあ、三十分ぐらい、待ってて」

「三十分を超えたら、一分につき、一回、言うこと聞いてもらうからね」

「何でそんな……」


 電話は一方的に切られていた。

 慌てて、着替えて家を出る。


 病室にたどり着いたのは、電話を切ってから二十八分後だった。

 自転車をずっと立ち漕ぎで、何とか間に合った。

 さすがはサディスティックな恭介だ。

 きっと、ネットの地図で凛太郎の家から病院までの距離を測り、ぎりぎりの時間を設定したのだろう。


 来るのを頼んだ方が時間を設定するなんておかしいと言わなくちゃと思いながら、真冬なのに額に汗を浮かばせて病室に入ると、ベッドに腰かけた恭介がこちらに向けた顔に違和感があった。

 目の周りに何か白い器具を装着している。

 器具の形としてはキャンプで使う飯ごうのようなものだ。

 その器具に覆われて恭介の目は全く見えない。


「たろちゃん。来たね」

「恭介君。何、それ?脳波でも測ってるの?」

「うっひょー!」

「どうしたの?」


 凛太郎は声を上げる恭介のもとに心配で駆け寄った。

 が、見えている恭介の口がだらしなく笑っていて、小首を傾げた。


 恭介は「よっこいしょ」と頭から器具をすっぽり取り外し、眼鏡を掛けていない細い目で笑って見せた。


「たろちゃんも、着けてみる?びっくりするよ」


 眼鏡を掛けた恭介に手渡された器具の内側は目に接する部分にガラスのレンズのようなものが付いていた。

 ベルトが頭のラインに沿うような丸い形になっている。


「これ、何?」

「知らない?ⅤRゴーグルだよ」

「え?これが?」


 聞いたことはあったが、見たことはなかった。

 もちろん手にしたことは初めてだ。


「それを頭から被っちゃってよ」

「いや、それは……」

「どうしたの?」

「ちょっと、何だか、怖いって言うか。得体が知れないって言うか」

「騙されたと思ってやってごらんよ。俺が経験したものは、たろちゃんにも経験してほしいんだ」


 そう言われると、やってみないわけにはいかない。

 凛太郎は恐る恐る、VRゴーグルを被ってみた。と、眼前にいきなり裸の女性が現れた。

 手で触れられそうなぐらいの距離に美女がいる。

 大きなおっぱいが丸見えで、ゆさゆさ揺れている。


「うわっ!」

「すごいでしょ?」


 確かにすごい。

 肌の滑らかさや、その奥の青い血管まで感じられる。

 声も耳元で話しかけられたような感じで聞こえてくる。


「ええー!」


 慌てて、強引に凛太郎はVRゴーグルを取り外した。「すげぇ……」


「でしょー。これ、マジでヤバいよね。触れないのが不思議なぐらいのリアルさだよね」


 凛太郎は声も出せずに、うん、うんと頷いて恭介にゴーグルを返した。


「た、た、倒れそう」


 凛太郎は這うようにして、ベッド際の丸椅子に腰かける。


「ちょっと、たろちゃんには刺激が強すぎたかぁ」


 恭介は枕元のペットボトルのお茶を凛太郎に手渡した。


 凛太郎は震える手でキャップを捻り、呷るように喉に送り込んだ。


「これが、VR……」

「時代はここまで来たんだね」


 恭介は笑って、ゴーグルをもう一度装着する。「この質感。この鮮明さ」


「そんなの見て興奮したら、心臓に良くないんじゃ……」

「大丈夫、大丈夫。リハビリってやつだよ」

「リハビリは手術が終わってからするんじゃないの?」

「んー。ああ、そうだ」


 恭介は返す言葉が見つからないと、話題を強引に変える。「昔、たろちゃんが言ってたでしょ?」


「何を?」

「ネットで童貞捨てられるかもって」

「あー。確かにそんなこと言った気もする」

「俺、これを見て、たろちゃんがそう言ったの、思い出したんだ」


 恭介はVRゴーグルを外して、ニッと笑った。「あの時は何言ってんだかって笑ったけど、これを着けてみて、マジでそんな日も来るんじゃないかって思ったわ。実際、VRの映像に対応して機械が動くような仕組みもできてるんだよ」


「技術の進歩、恐るべし」

「ほんと、長生きするもんだよね」


 病人の恭介の言葉には妙に説得力があった。

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