第132話 遠くの恭介
「そうですか。分かりました。失礼します」
電話を切ると、歩美と永田さんが長机の向こうからグッと顔を近づけてくる。
「恭介先輩、どうでした?」
「飛島君、元気そう?」
「恭介君のお父さんいわく……」
凛太郎は思わず部室の窓を見た。
外は雪だ。
ふわふわとした雪の柔らかさは心を癒してくれる。
だけど、今から伝えなくてはいけないことは目の前の二人の気持ちを逆撫でてしまうだろう。「しばらく、……見舞いには来ないでくれって」
「はぁ?何で?」
歩美が「何でですか!」とバンバン長机を叩く。
恭介の電話からの着信だった。
だけど、電話の相手は恭介の父親だった。
それで、話の内容が良いことではないということは察した。
「昨日、みんなでお見舞いに行った後、恭介君、ちょっと調子が悪くなっちゃったんだって。だから、申し訳ないけど、って」
「私たちのせい、……ってこと?」
永田さんは頭に両手を載せて、やってしまった、という不安そうな顔をしている。
永田さんに、そんな表情はさせたくなかった。
「それは分からないみたいだけど、感情が揺れ動くようなことは、どうしても心臓に負担がかかることがあるから避けた方がいいって、お医者さんが言ってるみたい」
休日に凛太郎と歩美と永田さんで初めてお見舞いに行くと、恭介はすごく嬉しそうにドアまで小走りで迎えに来た。
浴室やトイレ、クローゼット、テレビ、ソファなど、庶民の概念を覆す広く贅沢な病室の設備を一つずつ嬉しそうに紹介した。
ベッドで横になっていることを想像していた凛太郎たちは、恭介の元気そうな様子に安心して、大きなソファで小一時間ぐらいトランプをして遊んだ。
もちろんハワイ土産のおっぱい丸出し写真がついているやつではなく、歩美が持ってきた普通のトランプだ。
そう言えば、あのおっぱいトランプはどこで買ったのか。
ハワイ旅行が未遂に終わったのだから、ハワイの露店で買ったというのは嘘だということになる。
そういう疑問を歩美が恭介にぶつけ、「おっぱいトランプ?」と永田さんが食いついた。
「たろちゃんには絶対にあのトランプをお土産で買おうと思ってたから、ネットで探しまくって手に入れたんだ」
そこまでしなくても、とみんな笑った。
楽しかったあの程度のやり取りが、今の恭介の体にはこたえるのかもしれない。
「そんなの退屈じゃないですか。私たちが顔を見せたときの恭介先輩の嬉しそうな顔見たとき、ああ、入院生活ってすごく退屈なんだろうなって思いましたもん。たまには私たちがお見舞いに行ってあげないと、それこそ退屈で恭介先輩、死んじゃいますよ」
「歩美。飛島君のこと考えたら、私たちも我慢しないと」
永田さんが歩美の背中に手を添える。
「だけど、久美ちゃん。だけどさ……」
「奥川君も駄目なの?奥川君が一人で行くなら、飛島君にそんなに負担にならないんじゃないかな」
「いや。それも駄目だって。何が負担になるか分からないからって」
「そう……。大丈夫?」
「え?誰が?」
「奥川君よ。ここのところ元気ないから。やっぱり、親友が入院したら、気持ちが塞ぐでしょ?」
元気がなかったのは永田さんの方だ。
突然涙を流して部室から飛び出して行ったのは、つい最近のことだ。
あの時、歩美だけが追いかけて行って、結局戻って来ず、そして涙の理由は歩美の口からも語られず、何だか触れてはいけない話題となって、そして、今回の恭介の入院でバタバタして、うやむやのままになった。
あれは何だったのか。
未だに何となく永田さんのよそよそしい感じは続いているわけで。
訊きたい気持ちが喉まで募ったが、そこから先に出すことは凛太郎にはやっぱりできなかった。
「僕は大丈夫」
「電話はいいんですよね?」
歩美が、駄目だなんて言わないですよね、という顔で訊ねてくる。
「それも、あまりいい感じじゃなかった。駄目とは言われてないけど」
「えー。じゃあ、LINEは?」
「それも……」
「そんなぁ。病院って陸の孤島なんですか?」
「そういうことじゃなくって。やっぱ、僕たち、女子から電話だったりLINEだったりもらうと、すごくドキドキしちゃうから。そういうことかなって」
「私の電話でドキドキします?」
するわけないじゃん、って顔で歩美は言うが、恭介はきっとドキドキするだろう。
「ああ見えて、飛島君も繊細だから」
永田さんが上手にフォローしてくれる。「だけど、いつまで駄目なの?」
「良くなったら、また連絡するって」
「えー」
歩美は机に置いた両腕に顔を伏せて「恭介先輩が遠くに行っちゃったぁ」と嘆いた。
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