第131話 ひれ伏す麻実
「ハワイなんて行ってなかったんですね」
鼻をグズグズさせながら、「馬鹿だなぁ」と歩美が言う。
「恭介君なりの気遣いなんだと思うよ」
「手術になるなら、病気のことは、どうせそのうち分かっちゃうじゃないですか」
「まあ、そうなんだけど」
「同じ『手術する』にしても、旅行に行く直前に発作が起きて、旅行をキャンセルして入院した病院で手術しないといけないって診断された、なんて……。そんなこと言ったら、みんな心配するもんね。やっぱり切り出しにくかったんじゃないかな」
永田さんは優しく歩美の背中を撫でる。「みんなでお見舞いに行こうよ。歩美が行ったら、飛島君、元気出ると思う」
「ちょっと待ってね」
凛太郎は小声で二人に断って、足音を忍ばせてドアに向かった。
一気に開くと、ビクッと肩を震わせた麻実を見つける。
「ちょ、ちょっと、急に開けたら危ないでしょ」
「何か用?」
凛太郎は思い切り突き放すように言った。コソコソと盗み聞きするなんて。
「用って……。ほら、これ。みんなの分、ホットココア作ってきたから。こういう時、女子には甘いものが必要なのよ」
そう言って、お盆に三つのマグカップを載せた麻実は盗み見るように凛太郎の部屋の中に視線を飛ばした。
「初めまして。永田久美と言います。お邪魔しています」
永田さんが立ち上がって、麻実に向かって深々と頭を下げた。
「うっ」
麻実はどこか撃たれたかのように呻いて、床に膝をついた。
危うく、お盆の上のマグカップからココアがこぼれそうになる。
「え?どうした?」
「あの子、……何?可愛すぎる。私のスカウターの可愛さ数値が……振り切れた。こんなこと初めて。何?後光が見える……。眩しい。私に匹敵する可愛さ。無条件にひれ伏したくなる」
「はぁ?」
麻実は膝をついた状態で、そのままズリズリと部屋の中に入って行く。
「これ、飲んでくだせぇ。きっと心が落ち着きますだぁ」
麻実は何故か時代劇の田舎の百姓のような言い回しで、お盆を永田さんの足元に差し出した。
「あ、えっと。ありがとうございます」
困惑しかない感じで永田さんが床に座り、助け舟を求めるように凛太郎を見る。
「今日はいつもの女王様キャラじゃないの?」
呆れ気味に凛太郎はベッドに座った。
「あまりにめんこいもんで、おら、おったまげただ」
「どこの誰なんだよ」
凛太郎が自然に突っ込みを入れられるぐらいに、麻実の様子がおかしい。
「で?どうして泣いてるんだい、歩美君」
「歩美ちゃんには、やっぱり女王様なんだな」
歩美は赤く腫れぼったい目で麻実を見た。
「恭介先輩が、私の前で苦しそうに倒れたんです。私、何もできませんでした。先輩が倒れてくのを、何が起きてるのか理解できなくて、呆然としてしまって。救急車を呼ぶのが遅かったら、恭介先輩、今頃どうなってたか」
歩美はティッシュボックスからティッシュを数枚抜き取り、ズズーっと鼻をかむ。
「それはショックだったね。でも、歩美君の前で倒れたから、救急車の手配ができたんだよ。家で一人の時に倒れてたら、もっと危なかったかもよ」
麻実の言葉に凛太郎と永田さんが同調して頷く。
「恭介先輩、心臓の手術をするんです。このまま入院で、しばらくしたら精密検査をして、それから手術……」
「大丈夫だよ。心臓外科の名医が担当してくれるって飛島君のお父さん、言ってたじゃん」
永田さんが歩美の頭を優しく撫でる。
「恭介先輩のお父さん。自分の子どもが倒れたのに……久美ちゃんのこと、めっちゃ可愛いって言ってた」
確かに言っていた。
「それは、……事実だから仕方ない」
何故か麻実が申し訳なさそうに頭を下げる。
「お父さんがそれだけ余裕があるってことは、恭介君の手術はそんなに心配することはないってことじゃないかな」
「お。きっとそうだ」
麻実が「さすが、凛ちゃん。いいこと言うー」とかなり強めに、凛太郎の太ももをパシンと叩く。
「凛ちゃんって、何だか可愛いですね」
永田さんに可愛いって言われると、どういう顔をしたら良いのか分からなくなる。
「良かったら、使ってくだせぇ。凛ちゃんも喜びますだぁ」
「だから、それ、誰なんだよ」
「何だぁ?おめぇも、凛ちゃんって呼んでもらえたら、嬉しいっぺ?そうだろ?」
「別に、そんなこと……」
ない、とは言えない。
ここで頬が赤らんでしまう自分が凛太郎は嫌だった。
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