第134話 さおりちゃん

「思ったより元気そうで良かったよ」


 久しぶりに見る恭介は顔色が良かった。

 げっそりしているかと思ったが、逆にまた少しぽっちゃりした感じがある。

 入院生活であまり動かないからだろうか。


「元気、元気。発作が起きなきゃ、元気なんだよ」

「発作が起きるから、問題なんでしょ」

「いや、まあ、そんなことよりさ、もうすぐ時間なんだ」


 恭介は都合が悪くなると、すぐに話題を転換する。


「何の時間?」


 その時、ドアが開く音がした。


 恭介は手元のVRゴーグルを素早くベッド脇のリュックサックに放り込んだ。


 室内に入ってきたのは……スーツ姿の恭介の父親だった。


「何だ、父さんかよ」

「何だって、何だ。凛太郎君だったっけ?こんにちは」

「こんにちは。あの、僕、すぐに帰りますので」

「いやぁ。凛太郎君なら大丈夫だよ。永田さんだったら、可愛すぎて、ちょっと心臓に悪いかもしれないけどな」

「余計ないこと言わなくていいよ。大体、仕事はどうしたの?」

「息子が心臓病で苦しんでるのに、仕事なんかしてられるかよ」


 恭介の父親は真顔でそう言ったが、ドアがノックされる音がして、あっけなく表情が崩れた。


「恭ちゃん、入るよー。あら、お父さん」


 若い、華やかな声が聞こえてきた。


「さおりちゃん。いらっしゃい」


 恭介の父親が鼻の下を伸ばす。


「いらっしゃいましたぁ。恭ちゃんはっと……。あら、お友達?」


 姿を見せたのは看護師だった。

 恭介の好きそうな、スタイルが良くて少し派手な感じのギャルっぽい女性。

 ナース服の胸元の開き具合、スカートの短さにどうしても目が行ってしまう。


「俺の親友の奥川凛太郎君」

「ど、どうも……」


 恭介に紹介されて、まごつきながらも、お辞儀する。


「こんにちは。いつまでも恭ちゃんと仲良くね。はい、恭ちゃん。検温して」


 恭介は「はーい」と小学生のような従順さで体温計を受け取る。

 そして、少しニヤッとした顔を凛太郎に向けながら体温計を脇に挟む。


「はい。じゃあ、こっちの腕、貸してね」

「はーい」


 恭介は看護師さおりちゃんの言うなりに腕を出す。

 さおりちゃんは恭介の血圧を測り出した。


「二人は何?彼女とかいるの?」


 さおりちゃんは口角を上げて恭介と凛太郎を交互に見る。


 凛太郎は恥ずかしくて俯いてしまう。


「そんなこと訊かれたら、体温上がっちゃいますよ」

「あ。そうか、そうか。ごめん、ごめん」


 軽い調子のさおりちゃんは「血圧はオッケー」と血圧計を外し、恭介から体温計を受け取る。「体温もオッケーだね」


「彼は今、学年で一番可愛い子と付き合うか付き合わないかっていうドキドキな感じを楽しんでるんですよ」


 恭介は突然、さおりちゃんに意味の分からない告げ口をする。


「ちょ、ちょっと、何言ってんだよ」

「うわぁ、それ、一番楽しい時じゃん。いいなぁ」

「いや。別に、そんなんじゃないですって」

「またまた、照れちゃって」


 さおりちゃんは「この、この」という感じで肘をクイクイと動かす。


「さおりちゃん、俺、待ってるんだけど」


 いつの間にか、上着を脱いで丸椅子に座っていた恭介の父親が右腕をベッドの上に置いて血圧測定を催促する。


「お父さん。一階のロビーに血圧計ありますよ」

「あ。さおりちゃん、そんな冷たいこと言うの?」

「冗談ですよ。じゃ、失礼しまーす」


 いつもこういうやり取りをしているのだろう。

 さおりちゃんは流れ作業的に滞りなく恭介の父親の血圧を測る。


「上が140ですね。やっぱり少し高いかな」

「さおりちゃんと喋って緊張してるからだな」

「じゃあ、後でロビーの自動のやつでも測ってみてくださいよ。そっちでも高かったら、少し生活習慣の改善が必要ってことです」

「分かった。そうする」

「はい。じゃ、失礼しまーす。恭ちゃん、またね」


 男三人はポーッとした感じで、さおりちゃんのスタイルの良いバックショットを眺めながら見送った。


「いいでしょ。あの可愛いさおりちゃんをたろちゃんに見てほしかったんだよね」

「わざわざそんなことで?」

「そんなこと、じゃないよ。さおりちゃんのおかげでこの退屈な入院生活を何とか過ごせるんだから」

「って言うか、何?凛太郎君はもしかして永田さんといい感じなわけ?」


 恭介の父親は上着を羽織りながら凛太郎を見つめる。

 その視線にどこか険しさが宿っている感じがある。


「それは恭介君の妄想です」

「そうかなぁ。俺にはもうあと少しのところに来てるように見えるんだけど」

「どこがだよ。今年に入って、ほとんど喋ってないよ」

「まあ、いい。あんな可愛い子と付き合ったら、幾ら若くても大変だぞ。付き合うなら、そこら辺の覚悟をしっかりとな」


 恭介の父親はそれだけ言い残して、「仕事があるから」と去って行った。


「恭介君のお父さんってさ。……さっきの看護師さんに血圧を測ってもらうためだけに、仕事の途中に来たの?」

「実の子として、恥ずかしいわ」


 恭介はぐったりとベッドに横になった。「たろちゃん」


「ん?」

「十日後に決まったよ」

「何が?」

「手術」

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