第87話 対外試合
凛太郎は内心、気が気ではなかった。
永田さんや歩美も口に出しては何も言わないが、気になっているのは間違いない。
そして恭介の顔は湯気が出そうなぐらいに赤い。
対する反町はずっと小刻みに、まるで音楽のリズムにノッているように、頭を上下に揺すっている。
それが彼なりの集中のありようなのだろう。
恭介と反町の対局。
序盤は安定した指し回しで恭介がかなり優位に進めていた。
一枚ずつ反町の駒を奪い、その度に「うわっ」とか、「やべっ」とか反町が声を上げるのを周囲の三人も苦笑して見ていた。
しかし、アクシデントが起きた。恭介が凡ミスで飛車を取られたのだ。
「これ、取れるんじゃね?」と反町が角を斜めに走らせて、恭介の表情から見る見る余裕が消えていった。
それから、形勢は一気に混沌とした。
反町は手にした飛車を恭介の陣中に打ち込み、そこを突破口にして、どんどん駒を成りこませる。
恭介は敵陣深くに攻め込んだ駒を放置して、王将の退避に入った。
つい先ほどまでは、反町の玉がいつ詰むのか、が焦点だったのだが、今は反町の攻めを恭介が交わし切れるかどうかが問題になっている。
もし、これで反町が恭介の王将を捕まえてしまったら、これは本当に事件だ。
反町はついこないだまで将棋の駒の動かし方すら知らなかった。
そんな初心者に負けたとあっては、将棋部部長の恭介の立つ瀬がない。
しかし、反町の攻勢はなかなかのものだった。
歩を成らせて金を作り、恭介の駒を取っては、恭介の王将めがけて打ち込む。
その単純だが、効率の良い攻めが恭介を苦しませている。
明らかな劣勢から逆転した反町は一転して物静かになった。
無言で大きく目を見開いて、小刻みに頭を振る。
そして、慣れた手つきで持ち駒を放つ。
その姿はとても初心者には見えない。
恭介の負けもあり得る。
それは凛太郎が見たい景色ではない。
しかし、勝負には番狂わせというものはある。
そして、二人の戦いを誰も邪魔はできない。
凛太郎は固唾をのんで推移を見守った。
永田さんと歩美の対局はリズムが悪い。
二人とも隣の盤の行方が気になって自分の将棋に集中していない。
結果、勝負に勝ったのは恭介だった。
「くっそぉ」と膝を殴りつけて悔しがった反町に、恭介が「こうされれば負けてた」と反町の勝ち筋を示すと、反町は何故か嬉しそうに「なるほど。そうかぁ」と言って笑ったのが爽やかだった。
凛太郎は二人のやり取りを見て、将棋はスポーツではないけれど、美しいスポーツマンシップだと思った。
そして、反町の吸収力のすごさにも驚いていた。
彼が真剣に将棋に打ち込めば、すごい才能を見せるかもしれない。
「なあ、部長。将棋部って、大会ってないの?」
「ないことはないけど……」
「あるなら俺も出してくれよ。やっぱ対外試合すると自分のレベルが分かって実力も伸びるし、チームの団結力も向上するじゃん」
「それは……」
それは分かっている。
だけど、俺たちはそういうことを目的に部活をやっているわけじゃない。
そう言いたい恭介の心の裡が凛太郎には明瞭に分かった。
しかし、今、反町が言ったことも正論だと思った。
切磋琢磨して技量を磨き、その過程でチームワークを育む。
それこそ高校の部活動のあるべき姿ではないか。
「いいかもね。対外試合」
永田さんまで乗り気になるから、「よーし。いっちょ、やってやるかぁ」と案の定、歩美もそちら側に行ってしまう。
「恭介先輩。どうすれば、対外試合できますか?」
最近歩美は「飛島先輩」から「恭介先輩」に呼び方を変えた。
そちらの方が呼びやすいのだそうだ。
「凛太郎先輩」だと長いので、凛太郎は「奥川先輩」のままだ。
「さあ。顧問の教頭にお願いしたら、組んでくれるかもだけど」
恭介が助けを求めるように凛太郎を見る。
「先輩方」
歩美が少し不貞腐れた顔を見せる。「何か乗り気じゃなさそうですね」
恭介だけを悪者にはできない。
凛太郎が恭介をかばうように口を開く。
「そうは言っても、反町君とか永田さんとか、本家の方の部活があるでしょ?」
その時ドアが開いた。
「失礼しまーす」
入ってきたのは見たことのない女子生徒だった。
長めの髪がツヤツヤで、吊り気味の少し挑戦的な瞳がキリッとしていて印象的な美人さんだ。「あー。やっぱり、いたー」
彼女は物怖じせずに反町を指差して仁王立ちした。
「あ。ひかるじゃん。どうしたの?」
歩美が知り合いのようで、親しげに声をかける。
「おぅ、歩美ぃ。うちのエースを返してもらうよ」
「何だよ、
「何、言ってるんですか、先輩。今日は今後の編成についてミーティングするって先生が言ってたじゃないですか」
「あっ。やべっ」
反町は慌てて立ち上がった。「悪い。俺はこれで」
部室から出て行く反町の背中にひかるが「先輩。将棋部はほどほどにしておいてくださいよ」と釘を刺す。
その発言は反町に対してだけではないように思えた。
「ひかるの奴め……」
歩美が舌打ちをする。
「あれは俺たちにも言いたかったんだろうな」
開いたままのドアを見つめて、恭介がボソッと言った。
「そうはさせませんよ」
歩美がギラギラと目を光らせる。
「歩美。あの子、知ってるの?」
「クラスメイトです。サッカー部のマネージャーなんですよ」
「歩美ちゃん。反町君が将棋部に入るの、抵抗してなかった?」
凛太郎の指摘に、歩美は厳しい目で「むむ」と言った。
「部室での活動は認めてませんが、対外試合には必要なメンバーってことですよ」
「それはちょっと無理があるんじゃない?」
永田さんが苦笑を浮かべて言ったので、歩美はさらに苦しそうに「むむぅ」と唸った。
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