第86話 じれったい
「久美ちゃん。元気が戻りましたよね」
「へぇ。そうなんだ」
恭介は座っている四本足の椅子を傾けて後ろの二本の足だけでバランスを取りながら、気のない返事をする。
「何ですか、その無関心な感じは」
「だって、元々の元気のなさにも気づいてなかったからさ。元気が戻ったのも、同様に気づけてないわけで」
凛太郎は飛車先の歩を上げて、両手を後頭部の後ろで組む。
「僕も、同じだなぁ」
「まあ、いいですけど」
歩美は迷いのない手つきで角交換をする。「私、久美ちゃんに訊いてみたんです。元気なかったみたいだけど、何かあった?って」
「ほうほう。それで?」
恭介は興味を持ったのか、前かがみになって机に頬杖を突いた。
「久美ちゃん、何て言ったと思います?」
「さあ」
「奥川先輩は?」
どこかねっとりとした、試すような目で歩美が見てくるからドキドキする。
「僕も全然分かんない」
「久美ちゃん、言ってましたよ。奥川君に話聞いてもらったらスッキリしたって」
「え?」
まさか、何でそんなことを。
「何だよ、たろちゃん。どういうことだよ」
「どんなこと喋ったんですか?」
二人の興味津々に輝く目に責められて凛太郎は腰が引ける。
「な、何のことだろ?」
「とぼけるなよ!」
「そうですよ。覚えてないはずがないでしょ」
「いや……。その……」
二人に問い詰められ、逃げ場は完全にない。
もう、正直に言うしかない。「こないだ、たまたま帰り道の公園で会ったんだよ。それで少しだけ……」
「少しだけ、何?」
何故か分からないが、恭介が怒っている。
多分、内心はからかっているのだろうが。
「神様のことを少し話したんだ」
「神様?」
恭介の目から怒りが消えない。「神様が何なの?」
「だから、神様を信じるかどうかってこと。永田家は、特にお母さんが敬虔なクリスチャンなのかな。敬虔だからこそ、僕たちみたいな信仰心のない、なんちゃって仏教徒には分からない苦しみもあるみたいだよ。だけど、僕には何も言えなかった。僕なんかが簡単に立ち入っちゃいけない領域なんだ」
一息に語った凛太郎は酸欠で後頭部から意識が遠ざかりそうな感覚に襲われたが、グッと両の拳を強く握って懸命に意識を保った。
「ふーん」
凛太郎の迫力に気圧されたのか、内容に興味を失ったのか、恭介は退屈そうに「将棋の道」をペラペラめくる。「ゴッドブレスユー」
「何ですか、それ。これで終わりにしていいんですか?」
歩美が恭介を巻き込んで食い下がろうとする。
「いいんだよ。俺はたろちゃんが永田さんと二人きりで会話をしたって聞けただけで十分。順調。順調」
「そうですかぁ。私はこれが久美ちゃんのハートをガッと、グッと掴むチャンスだったと思うんですけどね」
あー、じれったい、と歩美は首筋をかきむしった。
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