第141話 人生初
「コンコン。入りますよー」
ドアのところから歩美の活発な声が聞こえてきた。
恭介は「どうぞー」と答えながら、破った包装紙ごと強引にふんどしを布団の下に潜らせる。
「おっ。恭介先輩、久しぶりっす。元気そうで良かった」
「おう。俺は手術で完全体になったからな」
「明日、退院ですか?」
歩美がベッドのそばにやってきて、交代するように凛太郎は場所を譲った。
「やっと退院だよ。早く外の空気が吸いたいわ」
「外は寒いですよー。こんな暖かいところでぬくぬくと入院生活を送ってたら、退院した途端に風邪ひきますね」
「そうか。下界は不便だな」
二人はいつも通りにテンポ良く言葉を交わしているが、恭介の視線は歩美が持つ小さい紙袋から離れない。
「気になります?」
「もしかして、これって……」
「手術、頑張りましたね。お約束の品です」
歩美が紙袋を恭介に手渡す。「ハッピーバレンタイン!」
「やった。やったよ、俺!」
恭介は天に感謝するように、紙袋を高々と掲げた。「女子から初めてバレンタインにチョコもらった!」
「もしかして、人生初なんですか?」
「そうだよ。ああ、そうだよ。だけど、俺はこれでこちら側の人間になったのさ。悪いね、たろちゃん。一足お先に」
「そういう、つまらない自慢はやめましょう」
歩美は胸の前で人差し指を立てて恭介をたしなめた。「奥川先輩は学校ですでに久美ちゃんからチョコもらってますよ」
「え?そうなの?」
「あ。うん」
見舞いに行く凛太郎と歩美を見送りに来た久美から確かにもらった。「チョコボールね」
「チョコボールなの?」
恭介が驚いた顔で歩美を見る。
歩美が渋い顔で頷く。
「奥川先輩、がっかりしないでくださいね。きっと来年は手作りか高級なやつがもらえますよ」
「うん。がっかりなんかしてないよ」
本当にがっかりはしていない。
森永製菓には申し訳ないが、チョコボールは歩美に対するダミーでしかないのだ。きっとこの後、二人で会ったときに、もっといいやつがもらえるはず。「これ、恭介君の分」
凛太郎は久美から預かっていたチョコボールを恭介に渡した。
「え?マジで?やった。俺、一気に二人目のチョコもゲットしたぞ!」
「ちょ、ちょっと、恭介君、声が大きいよ」
「そうですよ。何だか私のチョコよりリアクションが大きくないですか?」
歩美が口を尖らせる。
「いや、だって、歩美は約束してくれてたからさぁ。永田さんは予想外だったから」
「もう。そんなこと言うなら、とっておきはあげません」
歩美はプイっと恭介から顔をそむけた。
「え?何だよ、とっておきって」
「教えません」
「ちょっと、歩美。何だよ。気になるじゃん」
袖にすがりつく恭介を「触らないでください」と、歩美がまさに袖にする。
「歩美ぃ、許してくれよぉ」
「もう、仕方ないですね。当分、私を神とあがめるのならあげましょう」
「あがめる、あがめる。歩美は俺の女神さまだよ」
「よろしい。じゃあ、はい、これ」
歩美は背負っていたリュックから色紙を取り出した。「何か分かります?」
受け取った恭介は眉根をひそめる。
「ん?サイン?誰の?」
「これ、二人分のサインなんですよ」
「確かに、二つ書いてある。恭介さんへって書いてあるから、俺に充てて書いてくれてるんだよな」
「そうですよ。こっちのは……私です」
「歩美のサイン?ああ。確かに、ひらがなであゆみって読めるな。って、何だよ、それ。自分のサインを色紙に書くかぁ?」
恭介は思わずといった感じで笑う。「で?こっちは?」
「見たことあるはずですよ。恭介先輩ならすぐ分かると思ったんですけどね」
「あっ!もしかして」
「そうです。エロ初段のですよ」
「マジで?これどうしたの?」
「会いに行ってきたんですよ。先週、将棋イベントがあって、そこで出待ちしたんです。それで、手術を受けた先輩を励ましたいからって言って書いてもらったんです」
「歩美ぃ」
恭介はベッドの上からバクッと歩美の腰に抱きついた。
「キャッ」
「歩美ぃ。ありがと」
「ちょっと、恭介先輩。ちょっとぉ。奥川先輩も困ってますよ」
「駄目だ。感動が凄すぎて、しばらく歩美に抱きついてたい」
「でもぉ……」
凛太郎はここだと思った。
「ごめん。ちょっと、お邪魔だから、俺、先、帰るね」
凛太郎はそれだけを言い残して、逃げるように病室から駆け出た。
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長らくご愛読いただきまして、ありがとうございます。
大変寂しくはありますが、「童貞ミーティング!」は次話で完結となります。
最後まで凛太郎たちの物語を見届けていただけると嬉しいです(*'ω'*)
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