第59話 反町の攻勢(その1)

「やばい、やばいぞ」


 恭介が息を切らせて部室に入ってきた。


「何がやばいんですかぁ?」


 凛太郎と対局していた歩美が、どうせ大した話じゃないだろう、というのんびりした声で訊ねる。


「さっき、反町に、永田さんは将棋部に在籍してるのかって訊かれた」

「何ですって!」


 突然、歩美が立ち上がる。その拍子に将棋盤が大きく揺れて駒が散らばったが、お構いなしだ。「どういうことですかっ!」


「どういうって言われても……」

「先輩は何て答えたんですか?」

「事実を答えたよ。在籍はしてないって。ただ……」

「ただ?」

「将棋が好きで、たまに遊びに来る、と……」

「そんなこと言ったんですか」


 歩美が「余計なことを」の文字を顔に浮かべて、恭介に食って掛かる。


「だって、在籍もしてないのに、おでんを一緒に売るなんておかしいだろ、って言われたからさ」


 そう訊かれたら、恭介の返答になっても仕方ない。


 歩美はくずおれるように椅子に腰を下ろした。


「何で、そんなこと訊くんですかね?」

「分かんないけど……」


 その時、部室のドアが開いた。


「やあ、みなさん、こんにちは」


 入ってきたのは当の反町だ。「こないだのおでん、素晴らしかったよ」


 部屋の三人は誰も返事をしない。


 歩美に至っては、無視を決め込んで盤上の駒を並べ直す。


「ところで、将棋部の部長は誰かな?」

「お、俺だけど?」


 恭介が小さく手を上げる。


「なんだ、飛島君か。なら話が早いや。今日から将棋部に入りたいんだけど、いいよね?」

「何ですって?」


 歩美が目を怒らせて立ち上がる。「駄目よ。お断りします」


「何で君が決めるんだ?」

「何でって、……先輩、駄目ですよね?」

「いや、駄目って言うか……」


 反町と歩美に挟まれて、恭介が助けを求めるように凛太郎を見る。


 しかし、そんな目で見られても凛太郎にできることはない。


「入部に基準って、あるのかい?飛島部長」

「いや。ないけど」


 そもそも部員が少なくて、部活の体をなしていないところを、顧問の教頭の力で何とか存続させてもらっている状態だ。

 入部希望者がいるなら、頭を下げてでも入ってもらうべきだろう。


「だったら、いいじゃないか」

「どうしてこんなつまんない将棋部に、こんな中途半端な時期に入りたいって思うんですか?」


 時期は中途半端だと思うが、自分の部活をつまらないと断言してしまう歩美はどうかと思う。


「そりゃ、……将棋を上手になりたいからだよ」


 反町は凛太郎の目の前にある将棋盤を指差して言う。


「上手になりたい?じゃあ、一回でも将棋を指したことは?」

「いや。ない」

「はぁ?」


 歩美のガラがどんどん悪くなる。「将棋を指したこともない人が、どうして急に将棋を上手になりたいと思うんですか?」


「それが人生の面白いところじゃないか。思っちゃったんだから仕方ないだろ」

「久美ちゃんね」

「久美ちゃん?」


 反町は「久美ちゃんって、どの久美ちゃんかな?」と、聞いている方が悲しくなるほどの見え透いたとぼけ方をする。


「あなたねぇ。文化祭の時に久美ちゃんになれなれしく久美ちゃんって声掛けてたじゃない。それにさっき飛島先輩に久美ちゃんが将棋部に在籍してるか確認したんでしょ」


 反町は一瞬怯んだ顔を見せたが、すぐに開き直ったような半笑いを浮かべた。


「別にいいじゃん。仮に俺が、久美ちゃんがいるから将棋部に入りたいと思ったとしても、何か問題があるわけ?そんなものはきっかけに過ぎないわけだよ」

「とうとう本性を現したわね」


 歩美は一歩も退かない構えだ。「そんな不純な動機で入られるのは困るんです。将棋をやる気がないじゃないですか」


「いや、やる気は満ち溢れてるよ。持て余すぐらいだ」


 反町は盤上の駒に手を伸ばそうとする。


「触らないで!」


 歩美は将棋盤に覆いかぶさって、反町の手から守る。「奥川先輩と対局中なんです」


 確かに対局はしていたけれど、歩美が駒を崩したせいで、滅茶苦茶になってしまったのだが。


「何故かは分からないが、俺はだいぶ嫌われているみたいだな」


 反町は「ハハハ」と高笑いするが、目は全然笑っていない。

 今日のところはひとまず引き上げるよ、と時代劇の悪役のようなセリフを残し、口元を引きつらせて反町は帰って行った。

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