第58話 お持ち帰り

 誰もが同じリアクションだった。


 うわっ。

 何だよ。

 こいつらから買うのかよ。


 そう顔に書いてある。

 凛太郎は「感じ悪っ」と腹を立てるどころか、「そりゃそうだよな」と同情してしまう。

 だって、自分だったらやっぱりそうなるだろうから。


 部室の前で永田さんの可愛い声が響く。


「おでんです。おいしいですよ。良かったら、寄って行ってくださいね」


 そりゃ、あんな可愛い子に笑顔で勧められたら、ふらっと入っちゃうよね。

 で、入ったら……。


「へぇ。おでんなんて学校で作れるんだ。珍しい」

「俺、腹減ってるから、ちょうどいいな」


 また、野郎が二人、罠にかかったようだ。

 永田さんが「じゃあ、ぜひぜひ」とちょこちょこ歩きをしながらクイクイと小さく手招きをして、男を部室の中に誘う。


「はい、どうぞ。こちらです」


 花の蜜に誘われる蜂のように、永田さんの誘導に抗うことなく入り込んだ男子生徒は売り子の三人を見て表情を凍らせる。


「いらっしゃいませー」


 一応歩美が少しだけ愛想を見せるが、永田さんからの落差を埋めるには焼け石に水だ。


「何があるの?」


 渋々という感じを隠そうともしない問いかけ。


「大根とこんにゃくです」

「それだけ?卵は?」

「売り切れちゃいました」

「マジかよ。俺、卵が一番好きなのに」


 一番人気は卵ということは分かっていた。

 しかし、こんにゃく大好き永田さんのゴリ押しで、鍋の半分をこんにゃくが占めたことにより、必然的に卵が少なくなった。

 結果、大根とこんにゃくしかないという、売り子だけでなく具材の面でも魅力のない出店にあっという間に成り下がっている。


 今回の客も「卵がないなら要らない」と手ぶらで部屋を出て行ってしまった。


 同じ展開をもう何度となく繰り返している。


 元々は凛太郎と恭介の二人で客引きをやっていた。

 しかし、一人も客を部室まで足を踏み入れさせることができず、「二人とも覇気がない。暗すぎる」と永田さんが交代してくれた。

 その後は見違えるほど盛況になったが、卵がなくなると売れ行きは一気に悪くなった。


 客と入れ替わりに、永田さんが「また冷やかしだったの?」と少し不貞腐れた顔で戻ってくる。


「あんなに媚打ったのにぃ」

「仕方ないよ。卵がないからね」


 永田さん以上に不貞腐れているのは、具材決めで「こんにゃくと卵の比率がおかしいって」と最後まで永田さんに食い下がった恭介だ。

 凛太郎と歩美は永田さんの言葉に逆らうことは一切ない。


「三人の表情が暗いからじゃないの?」


 永田さんが痛いところを突く。


「私はそれなりに頑張ってるもん。先輩二人がお地蔵さんなのよ」


 久美ちゃんから何とか言って、と歩美が拗ねる。


 歩美の指摘も正しい。

 それは分かっている。

 しかし、だったらこちらも言わせてほしい。


「俺たちに愛想を求めても無理だって、最初に言ったじゃん。それでも良いって言うから……」


 恭介が代表して抗弁してくれるのを、凛太郎は隣で黙って何度も頷くという最大限のフォローで応援する。


「良いこと思いついた」


 永田さんが目をまん丸にして掌に拳を叩きつける。

 天使が良いことを思いついたのだから、百パーセント成功するはずだ。


「何?」


 三人は期待に胸を膨らませる。


「歩美が猫耳のカチューシャ付けて、メイドっぽく売り子をやってみたら?お帰りなさいませ、ご主人様。おいしくなーれ、おいしくなーれ。萌え萌えビーム、みたいな」


 永田さんがするメイドカフェの店員のような仕草が鼻血もので、凛太郎は腰が砕けそうになるのを、自分で脇腹の肉をつねって懸命に堪えた。

 隣の恭介を見ると、赤らんだ顔で下唇を噛み、にやつきを押し殺そうとしている、ができていない。


「絶対に無理」


 歩美が今日一番の不機嫌さで断固拒否する。


「取り付く島もないわね」

「無理なものは無理。そんな恥かしいことするぐらいなら、死んだ方がましよ」

「そんな大げさな」


 永田さんと歩美の押し問答を見ながら、こうなったら早めに店をたたんで、みんなで愚痴を言いながら、残ったものを食べるのも楽しいんじゃないかと凛太郎は思っていた。

 まずは恭介を懐柔しようと思ったところに、部室の中にふらっと男子生徒が入ってきた。


「おっ、久美ちゃん、こんなところで何やってんの?」

「あ、反町君。丁度いいところに来たわ。おでん買って」

「おでん?いいね。ちょうど腹減ってたんだ」


 どれどれ、と反町と呼ばれた男子生徒は鍋の中を覗き込んだ。「卵ないの?」


「売り切れちゃったのよ。でも、こんにゃくはどう?私、おでんの中でこんにゃくが一番好きなんだ」

「あ、俺も。こんにゃく最高だよね」


 反町は調子の良いことを言い、歩美に向かって注文をする。「こんにゃく、全部」


「全部?」


 歩美が訝しむ。

 それもそのはず。

 こんにゃくはまだ十枚ぐらい残っている。


「そう。全部。俺、無類のこんにゃく好きだから」


 反町は親指を立てて、ウインクをする。


 何、こいつ。


 歩美がそう言ったように聞こえた気がしたのは、空耳か。


 恭介がロボットのように無言でこんにゃく十枚を三枚の皿に分けて載せる。

 食えるものなら食ってみろということだろう。


「ほんとに全部食べるの?私、持つよ」

「じゃあさ、校庭で一緒に食べようよ。そっちの皿のやつ久美ちゃんにあげるから」

「え?いいの?」

「いいよ、いいよ。十枚はさすがにきついから」


 反町は代金を机に置いて、代わりに大量のこんにゃくと永田さんをお持ち帰りしてしまった。


 最悪の展開だ。

 これは荒れるぞ、と凛太郎は覚悟した。


「何なんですか、あいつ!」


 案の定、歩美が怒りで両手を机に叩きつける。

 さらにエプロンをむしり取るように外し、滅茶苦茶に丸めて、凛太郎に投げつけてきた。


「反町だよ。サッカー部のお調子者で、女子のご機嫌取りが上手なんだ」


 中学の時、同じクラスだったんだよな、と恭介が反町のことを憎々し気に語る。


「いけ好かない奴ですね。久美ちゃんが持っていかれちゃいましたよ。どうするんですか?」

「どうするって、どうしようもないよね」


 凛太郎は恭介に同意を求めた。


「どうしようもない。永田さんがいなかったら、客は来ないし。さっさと閉店だ」


 そこで三人は部室の前の看板を取り払い、ドアを閉めて、腹いせに残った大根をムシャムシャ食べつくした。

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