第60話 反町の攻勢(その2)
反町が姿を消して、凛太郎は漸く肺の奥に息を吸いこむことができるようになった。
凛太郎自身は今のやり取りには全く参加していないのだが、殴り合いの喧嘩を目の前で見たような緊張感に、ひどく疲れを覚えた。
胸がドキドキしていて、また熱を出しそうな予感さえある。
そして、嵐は過ぎ去ったと思ったのだが、そうではなかった。
「飛島先輩!」
「ん?」
「どうして、部長としてビシッと言ってくださらないんですか。あんな、久美ちゃん狙いが見え見えの浮ついた考えの奴、入ってきても邪魔なだけですよ」
「まあ、……ね。でも、俺もたろちゃんもそもそもは将棋に思い入れなんかなくて、他に入れそうなものがなかったから消去法的に選んだわけでさ。そういう点では、動機は違えど反町を非難することはできないって言うか……」
「いやいや、あいつは駄目ですって。先輩方とは違いますもん。絶対に将棋部にとって害ですよ」
「それが、そうとも言えないんだわ」
恭介は申し訳なさそうに首筋を掻いた。「そもそもうちの部活って人数足りてないじゃん。この学校で部活として認められるには、本来は部員が最低でも五人いるわけよ。学校から部費と部室を使わせてもらうために五人。これ、実は前から教頭に言われててさ。一年間通じて五人超えられないと、さすがに来年度は俺もかばいきれんぞって。今、反町が入れば、永田さんにも頼み込んで。そうしたら五人になる。そういう意味では反町は喉から手が出るほど欲しいんだ」
恭介から思わぬ反抗にあい、歩美は標的を変えたようだ。
振り向きざまに「奥川先輩」と呼ばれて、凛太郎は縮み上がる。
「な、何でしょう?」
「奥川先輩はいいんですか?このままあいつが入部してきて、この部屋で久美ちゃんにちょっかい掛けるのを黙って見てられるんですか?私、奥川先輩なら許せても、あいつが久美ちゃんと付き合うなんて絶対に許せませんよ」
「は、はい?何で僕?」
「何でって……」
歩美は言いにくそうに下唇を噛んだ。「奥川先輩、久美ちゃんのこと、好きなんでしょ?」
久美ちゃんのこと、好き。
それが自分に向けられた言葉であると理解するのに時間がかかった。
そして、理解した瞬間、凛太郎は心臓が痛みを伴って急激に縮むのを感じた。
首から上がガスコンロに火が点くようにボッと熱くなる。
頭から湯気が出そうだ。
いつの間にか、自分が永田さんのことを好きだという図式が歩美の頭の中に出来上がっていることに凛太郎は戸惑いしかない。
そんなこと口にした覚えはない。
自分でも永田さんへの気持ちがどういう類のものなのか分からないのに。
どういうこと?と恭介を見ると、恭介は得心顔で腕を組んでうんうん頷いている。
こいつ、何か妙なことを言ったな。
「ご、誤解だよ、それは」
「もう分かってるんですって。私、馬鹿じゃないんで、見てれば分かりますから。って言うか、奥川先輩、分かりやすすぎですよ。久美ちゃんのこと、ずっと目で追ってるじゃないですか。ねぇ、飛島先輩」
「うん。そうだね」
駄目だ。
この二人、完全にグルだ。
ここはしっかり否定しておかないと、既成事実にされてしまう。
嗚呼。
頭がくらくらする。
「そ、そんなことないって」
「じゃあ、久美ちゃんのこと嫌いですか?」
「そんな。嫌いじゃないよ」
「じゃあ、どちらかと言えば好きですよね?」
「どちらかと言えばね」
「ほらぁ。好きじゃないですか」
何だ、その子どもじみた論法は。
「それ言い出したら、遠藤さんのことも好きだよ」
反論するために反射的に口にした言葉を自分の耳で聞いて、凛太郎は今、とんでもないことを言ってしまった気がして慌てて口を強く閉じる。
「な、な、何ですか、急に」
歩美が急にうろたえる。
「おっと、たろちゃん。爆弾発言」
「いや。そういうことじゃなくて」
「と、とにかく、私はあいつを認めませんからね。今日は失礼します」
歩美は少し赤い顔でバタバタと帰り支度をして、「それじゃ、さよなら」と一目散にドアに向かった。
ドアに肩がぶつかってガシャンと激しい音が鳴るが、歩美は何事もなかったように、そのまま走り去って行った。
「罪な男だね」
心がざわざわしているのに、恭介が意地悪な感じで「ククク」と笑うから、凛太郎はつい大きな声を出してしまう。
「そういう言い方やめてよねっ!」
「ご、ごめん」
しばらく部室に居心地の悪い空気がはびこった。
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