第54話 ダンサー(その2)
「あの建物は元々弓道場だったんだよ。今は弓道部がなくなったから、たまに先生が一部の生徒を誘って畳の部屋で茶道とか生け花とかやってる」
凛太郎も歩美に対してなら、これぐらいの説明はおどおどせずに口にすることができるようなった。
「へぇ。そうなんですか。あ、確かにあの人、お花を抱えてますね」
新聞紙にくるんだ大きな花束を両手で抱える女子生徒が一人校舎から現れ、林に向かって歩いていく。
首を傾げ、肩に耳を引っ付けているのはスマホで誰かと喋っているようだ。
花を潰さないように気を付けているのだろう。
彼女はその窮屈そうな体勢のまま石階段を上がっていく。
「遠藤さんはお茶とかお花とかは興味あるの?」
「お茶は少し興味ありますね。お菓子がおいしそうじゃないですか。甘い和菓子と渋いお茶はベストミックスですよね」
歩美は屈託なく笑った。「お二人はどうですか?」
「僕は全然。恭介君は?」
「俺も右に同じ。食わず嫌いかもしれないけどね」
その時、校舎から男子生徒が現れて、花を抱えて歩く女子生徒の後を追うように階段に素早く近づいた。
「男子もいるんですね。生け花男子」
生け花男子は階段の手前できょろきょろとあたりを見回した。
そして勢い良くサッと腰を屈める。
「え?」
凛太郎は思わず声を出していた。
歩美と恭介も同じだった。
生け花男子は姿勢を低くした状態で階段の上の女子生徒を見上げたのだ。
つまり、スカートの中を覗き込んだ。
凛太郎は無言で恭介を見た。恭介も凛太郎を見ていた。
互いの目が「今の見た?」「見た、見た」と語り合っている。
しかし、本来なら声に出して盛り上がるところだが、女子の歩美がいる今はどうしたら良いか分からない。
花を抱えた女子生徒は何も気づいていない様子で、電話をしながら、そのまま林の中に消えて行った。
一方、生け花男子ではなく覗き男子と判明した彼は平然とした顔で踵を返して校舎に戻って行った。
彼はスカートの中を覗くために花を抱えた女子の背後を狙っていたのだろう。
「やりましたねぇ」
歩美が腕を組んで感心したように言った。「こう言ったら何ですけど、無駄のない見事な手際でしたね」
「あれ、常習犯っぽくない?あの段差を遣って、何度もやってる感じがする」
恭介が覗き男子を批判する。
しかし、その声にはどことなく覗き男子に対する羨ましさ、嫉妬心の響きが感じられる。
「段差遣いの達人ですね」
「段差遣い。彼をダンサーと命名しよう」
「ダンサー。それ面白い」
歩美と恭介が二人でふざけて盛り上がる。
凛太郎も隣で聞いていて、堪えきれずに笑ってしまう。
いつも冷静な凛太郎が吹き出して笑っているのが珍しかったのか、二人が凛太郎を見てさらに笑う。
凛太郎は、何かいいな、と思った。
この将棋部の地味な三人で、こんなにくだらないことで、こんなにも楽しい。
歩美が入部してきたときは、困惑しかなかったけれど、こんな風にサバサバと楽しく笑い合えるのは歩美がいるからこそだと思う。
高校入学時に漠然と思い描いていた理想の部活の風景はこんな感じだったのかもしれない。
大人になっても今この瞬間は高校生活の思い出として一番に頭に浮かぶような気がする。
「ああいうダンサーを、遠藤さんは怒らないの?」
恭介の質問に歩美は「うーん」と唸った。
「確かにあの行為は許されるべきではないですよね。だけど、男子の見たい気持ちも分からないではないって言うか」
さすが、両刀使いの歩美だ。
「でも、遠藤さん自身が見られるのは嫌でしょ?」
「嫌です。気持ち悪いし、恥かしいです。だけど……」
歩美は顎に手を当てて思案の表情になる。「完全にマイナスの感情しかないかって言うと、そうでもないのかも。相手にもよるのかもしれませんけど、心のどこかで、見られることに嬉しさもあるのかなぁ」
歩美の返答は男子二人に驚きを与えた。
「嬉しいの?」
「だって、見たいから見るんでしょ?わざわざリスクを冒してまでして。誰かに見つかったら、それこそ警察に突き出されるかもしれないじゃないですか。学校中に噂が広まるだろうし。そうなったら高校生生活どころか、下手すると人生がパアですよ。そこまでして見たいって思われるのはちょっと嬉しいのかも」
歩美が真面目に語るから、凛太郎と恭介も「ふんふん」と神妙に頷いてしまう。「にしても、見事でしたね、あのダンサー。すごい勇気ですよ。あれだけ思い切って覗くっていうのは、もう清々しさすら感じましたね」
「ちょっと、真似はできないけどね」
誰かに見つかったらと考えただけで凛太郎はゾッとする。
あのダンサーも気づいていないだけで、凛太郎たちに見つかっているわけだし。
「今度、あの技で久美ちゃんの見てみよっかな」
良いこと思いついたって感じで歩美が言うので、凛太郎と恭介は思いとどまるよう全力で説得した。
見つかったら、きっと、胸を揉んだ時よりも怒られるよ。
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