第56話 こんにゃく ~恭介の家にて

「あれ?」


 キッチンで永田さんがおろおろして、キョロキョロと何かを探している。


「どうしたの?久美ちゃん」

「ないの。こんにゃくがない!」

「こんにゃく?」

「買ったのよ。たくさん買ったの。私、おでんの中で一番こんにゃくが好きなんだから」


 永田さんの顔つきが今まで見たことのない険しさだ。


「確かに買ってたね。こんなに買うのかって思ったもん。どの袋に入ってたかな」


 歩美は小首をかしげてこちらを見た。「先輩方、スーパーに忘れてきてないですよね?」


 疑いをかけられたようだ。

 それは心外。

 そう思った凛太郎の隣で、恭介ががばっと立ち上がった。

 少し青ざめて玄関に走っていく。


「まさか」


 恭介がこんにゃくの入った袋をスーパーに置き忘れてきたのだろうか。

 それで永田さんの機嫌が悪くなったらどうしよう。


「あった、あった」


 恭介は白いスーパーの袋を一つ手にして、照れ笑いを浮かべながらリビングに戻ってきた。「下駄箱の上に置いて、忘れてた」


 リビングの空気が緩んで、みんなの表情に笑みが戻る。


 良かった。

 永田さんもいつもの朗らかな笑顔だ。

 アイドルが不機嫌なところは見たくない。


「たろちゃんって、こんにゃく使ったことある?」


 台所班に袋を渡し、戻ってきた恭介が小声で話しかけてくる。


「使う?食べるじゃなくて?」

「使うんだよ。ほら、こんにゃくってぷにぷにしてて柔らかいじゃん」

「それで?」

「だから、女性のあれに見立てて、四丸に使うんだよ」

「マジ?」


 思わず大きな声を出してしまい、恭介が焦った顔でシーっと唇の前で人差し指を立てる。


 そっとキッチンに目を向けると、女子二人は何やら楽しそうに談笑している。


「嘘じゃないって。本当にそういう使い方があるんだよ」


 恭介はタブレットを操作し、「ほらね」と凛太郎に画面を示す。

 そこには「こんにゃく オナニー」の検索結果が表示され、いくつものサイトが羅列されている。


「よくそんなこと思いつくわ」

「まさに先人の知恵だよね」

「そんな、格好いいものかな……」

「これまで多くの日本人が試行錯誤を繰り返したんだと思うよ。特に俺たちみたいな童貞で悶々としてるエロガキとか、何年も女体から遠ざかっている甲斐性なしのおじさんとかがさ。リアルでは無理だけど、少しでもリアルに近い感触を味わいたいっていう欲望。誰かに迷惑をかける類のものじゃないからね。健気な男の戦いだよ、これは。決して笑っちゃいけない」


 恭介は何故か遠い視線をキッチンに向けながら、格好良いはずのないこんにゃくオナニーの話を格好つけて語った。


 凛太郎も恭介を真似て永田さんと歩美がいるあたりをぼんやりと眺める。


 すぐそばに女子がいるところで四丸について語り合う。

 それはひどく緊張感があって、官能的で扇情的だった。


「リアルに近いの?」

「少し温めて人肌にするといいんだって。ローション垂らすと、さらに気持ちいいらしい。ローションがなければ、溶かしたバターでも代用可能」

「詳しいね。もしかして、やってみた?」

「まあ、何て言うか……」

「やってみたんだね」


 こういうところで意外な行動力を発揮する恭介に凛太郎は吹き出しそうになるのを懸命に堪える。


「ネットで調べてさ、こんにゃくとバターを買ったことは認めるよ。そして誰もいない台所でこんにゃくを洗って、茹でて……。知ってる?こんにゃくって生臭いんだ。あのにおいを嗅いだ時にまず萎える。だけど、せっかく買ってきたんだからって思って、放り出したくなる気持ちを堪えて、俺はこんにゃくを茹でたさ。で、少し冷まして、人肌になるまで待った。俺のアレを差し込む口を作るために包丁で切れ目を入れたりもした。全部ネットに書かれてあった手順を忠実に実行したんだよ。ところがさ、その時に、包丁で指を切っちゃったんだよね。なんか、その時、すごく、すっごく、空しくなって……やめた」

「やめたんかい」


 凛太郎は我慢しきれず笑ってしまい、手で口を押さえた。


「想像してごらん。こんにゃくに入れた切れ目に自分のものを挿入して、自分でこんにゃくを動かして、それでいっちゃうわけ。空しくない?」

「僕が想像するに、仕込みのどこかの段階で空しくなって、たいていの人はやめてると思うな。終わった後にこんにゃくとバターまみれになったアレを洗うことも考えると、かなり空しい気がする」

「だよね。でも、ここで挫折するような奴に神様は三丸の機会は与えてくれないんだよ、きっと」


 がっくり肩を落とす恭介の肩を「それは考えすぎ」と凛太郎は笑って叩く。


「何、何?いつも静かな二人が、すごく盛り上がってない?」


 永田さんが湯気の立つ鍋の前から天使の笑顔で興味深そうにこちらを見ている。

 その幻想的な姿に一気に心が浄化される。

 僕たちは何をつまらないことを語り合っていたのだろう。

 ダメじゃないか、天使が降臨しているこんな貴重な時間に無駄話に興じていては。


「いえ……」

「何でもないよ」


 それから凛太郎と恭介は憑き物が落ちたように真面目におでんを作るにあたって必要な経費を算出した。

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