第69話 アスリート
凛太郎が部室に入るなり、中で待っていた恭介は「将棋の道」を開いて見せた。
「たろちゃん。ここ、読んでよ」
恭介が少し怒ったように指差したのは、女性歌手が書いたコラムだった。
彼女は最近テレビや雑誌などによく出ている人気アイドルグループのメンバーの一人で、プロフィールに「将棋好き」と記載していて実際になかなかの腕前だとか。
凛太郎は恭介の向いに座ると、その迫力に気圧される感じで、黙ってコラムに目を通した。
その内容はプロ棋士の能力を賛美するものだった。
類まれな集中力。
いかなる状況に遭遇してもうろたえない精神力。
限られた時間の中で彼我の手を読み切る洞察力。
そういった能力を駆使して将棋界で競い合う彼らはまさにアスリートと呼べる、というようなことが書かれている。
凛太郎は恭介の憤りに直感的に同調できた。
「こういうの最近多いよね」
「ん?どういう意味?」
「アスリートって本来はスポーツ選手に対して使う言葉だったのに、最近は何でもかんでもアスリートって称えようとしてるじゃん。だけど、スポーツ選手じゃない人に無理にアスリートと言わなくても良いんじゃないかなって思うんだ。それぞれふさわしい称え方があるはず」
凛太郎の言葉に恭介は歯切れが悪かった。
「あ、まあ、そういう意見もあるよね。うん。でも、俺は、何て言うか、どっちかと言うと少し広い意味の方で解釈してて、プロ棋士だって、その超人的能力を称えてアスリートと呼んでもいいとは思ってるんだな。うん」
「え。何。恭介君もそっち派なの?」
「うん。まあ、そうかな」
「ならこのコラムに怒るところなんてないじゃん」
凛太郎は拍子抜けした。
恭介は何を力んでいるのだろうか。
「プロ棋士はすごいよ。棋士を養成する奨励会に入ることすら、ほとんどの人が叶わない。しかも、その奨励会を突破してプロ棋士になれるのは年に数人。まさに選ばれし者。自分の能力を研ぎ澄まして超人的な戦いに挑む人をアスリートと呼ぶとすれば、このコラムの言う通り、まさにアスリートだと思うんだ」
「ふむ。それで?」
凛太郎は少し納得がいかないが、話の続きを促した。
「でもさ、このコラムを読んだときに、俺はプロ棋士に勝るとも劣らない能力を秘めた人たちを他に知ってると思ったんだ。プロ棋士をアスリートと称えるのなら、彼らにもアスリートという称号を与えてもいいんじゃないかって、俺は今、声を大にして言いたいし、こういう有名な人に公言してもらいたい」
「誰のこと?」
「そりゃ、もちろんAVの女優、男優のことさ」
「なんか、一気にDMっぽくなったね」
そう言えば、今日は水曜日だ。凛太郎は背筋を伸ばした。「聞かせてもらおうか」
「まず女優さん」
「うむ」
「彼女たちは見せる裸を維持、追究している」
「そうだね」
「きっと日々の生活の中ですごく節制をしてると思うんだ。どうしたら魅力的な体に見えるか、研究も重ねているだろう。エステやジムにも通って体形を維持し、どこかに体をぶつけて痣を作るってことのないように気を遣って行動もしてると思う。撮影に向けて体調を整え、内側から健康的な体を作ることも大事なことだ。そして何より、彼女たちはただ三丸をすればいいというわけじゃなく、何人もの前でカメラに撮られながら男優さんと絡むんだよ。気持ちが乗ってなければ、視聴している側にも伝わってしまうから、そういう意味で精神面での安定やメンタルの強さがなければやっていけないだろう」
「何より、三丸が好きじゃないとね」
恭介は大きく頷き、「だが」と力強く言い放った。
「俺がより光を当ててほしいのは男優さんの方なんだ」
「ほう」
「仮にここに一組の男女がいるとして、三丸に不可欠なものって何?」
「両性の合意?」
凛太郎の発言に恭介はうんざりしたような顔を見せる。
「そりゃ、絶対にあった方がいいよ。だけど、極端なことを言えば強姦であっても三丸は三丸だよ」
「んー。じゃあ、何?一組の男女がいれば、あとは何も要らないんじゃない?」
「一組の男女は言ってみれば三丸の材料でしかないでしょ。分かんないかな。三丸にはオスの勃起力が必要なんだ」
「あー。そっち」
「そっち、じゃないよ。これは見落としがちだけど、非常に大事なことだよ。女性がいくら素っ裸で足を広げて待ってたって、男のアレが勃起しなければ、三丸は成り立たない。逆にアレが強力に勃起していれば、女性がいくら非協力的でも、強引に三丸することはできる」
言われてみれば、その通りだ。
「なるほど。勃起は必須だ」
「でしょ?だけど、たろちゃんは男優さんみたいに勃起することできる?」
「そんなの、その場面になってみないと分かんないよ」
「想像してごらん。見知らぬ撮影場所。何台ものカメラ。監督をはじめとした何人ものスタッフ。そして、見目麗しい女優さん。そんな環境の中で、ちゃんと勃起して、女優さんをリードしながら三丸をするなんて、ものすごいことだよ。しかも、すぐに射精しちゃっては駄目。勃起して、その状態を維持する。そんなこと、俺にはできないよ。ただでさえ、女子との会話には緊張しちゃって、アレが委縮しちゃうのに」
凛太郎は打ちのめされた気持ちになった。
恭介の言うことは一つひとつ凛太郎の心に突き刺さった。
「本当だ。そんなこと僕には絶対に無理だ」
「しかもだよ。男優さんはあんなに激しく腰を使う。時には女優さんを抱きかかえて。すごい体力だよね。一方で、指や舌の動きは非常に精巧。デリケートな女性の体を優しく扱う繊細さも求められる。時に優しく、時に激しく。聞くところによると、男優さんは射精をいくらでも我慢できるし、いざとなればいつでも出せるらしいよ。まさにアスリートじゃない?」
凛太郎は今回は恭介の言うことにもろ手を挙げて賛成だった。
AV男優は真のアスリートだ。
「僕たちがAVを楽しむことができるのは、男優さんの頑張りがあってこそだね。感謝しないと」
「俺はAVを見るときはいつも、男優さんが射精したときに画面に向かって合掌してるよ」
途端に凛太郎は頭の熱が冷めるのを感じた。
「それは嘘だね」
恭介は「分かる?」と言って、凛太郎の肩を叩いて笑った。
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