第18話 3P(その4)
「あ!こんにちは」
入ってきたのは当の歩美だった。
「良かった。いらっしゃって」と言いながらリュックを背から降ろし、恭介と凛太郎が向かい合っている将棋盤の横に椅子を持ってきて座る。
彼女は心の垣根の低い性格のようで、むさくるしい男二人で作り上げる空間に躊躇なく飛び込んでくる。
しかし、いくらボーイッシュな外見でも、女子は女子だ。
こんなにあっさりと距離を詰められることに慣れていない恭介と凛太郎はどう振舞って良いか分からなくなる。
「水曜は……バイトじゃなかったっけ?」
小さな声で、歩美の顔を見ずにではあるが、自分から問いかけた恭介を凛太郎はすごいと思った。
当然訊きたいことではあるし、他の人なら何の躊躇いもなく訊ねるだろう。
けれど、凛太郎には手が震えるほど勇気がいることなのだ。
歩美は毎週水曜日と土曜日はそろばん塾で小学生相手にそろばんを教えるアルバイトをしている。
だからこそ、この四月から水曜日だけがミーティングの日になったのだ。
そろばん塾のスケジュールが変わったのなら、二人の秘密の活動もそれに合わせて曜日をずらさないといけない。
「あ、今日はないんです。先週の日曜日に試験会場まで引率したので、今日はお休みいただきました。だから、私も混ぜてください」
彼女は机の上に腕を置き、頬杖をついて盤を覗き込む。
その腕を置いた場所で一瞬前まで赤裸々に3Pが繰り広げられていたことを彼女は知らない。「お。面白そうなところじゃないですか」
凛太郎は恭介を見た。
恭介もこちらを見ていた。
女子が言う、私も混ぜてください、って何かいやらしい。
お互い同じことを考えたはずだ。
局面は駒と駒が激しくぶつかり合う中盤。
戦況は不明。
強固な守備の恭介の穴熊に対して凛太郎の捨て身の端攻めが間に合うか。
黙り込んだ恭介が真面目な顔で持ち駒に手を伸ばした。
角を打ち込んで凛太郎の飛車ににらみを利かせる。
「あっ」
恭介が不意に声を出した。みるみる恭介の顔が赤らんでいく。
「ん?どうかしました?飛島先輩」
歩美に訊ねられて、恭介は「あ、いや、何でも」とうろたえている。
角って女っぽくない?飛車はオスだよな。
きっと恭介はかつて自分で発したこの言葉を思い出したのだ。
凛太郎は胸がドキドキして生唾を飲み込んだ。
狭い部屋の中に男二人と、女一人。
3P。
いきなり幕を下ろした今日のミーティングの余韻に突き動かされたような感じで、凛太郎は手持ちの香車を角に向けて打ち込んだ。
香車は恭介が「俺のはこんなものかな」と自分の性器に例えた駒だ。
飛車と角行と香車。
盤上でも3Pが完成している。
恭介が固まった。
よく見ると少し肩が震えている。
と思った瞬間、がばっと立ち上がり、「ちょ、ちょっとトイレ」と宣言して、走って部屋から出て行った。
いきなりのことに呆気にとられたように恭介の背中を見送った歩美の、飛島先輩って何か変じゃなかったですか、という視線が凛太郎を捉える。
「あ……」
急に女子と二人きりになってしまった。
そう考えただけで凛太郎の頭は一瞬にして逆上せてしまう。
頭の後ろがフワッとして卒倒してしまいそうになった凛太郎は「ちょ、ちょっとごめんなさい」と蚊の鳴くような声を残して、恭介を追って部室を飛び出した。
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