第28話 混浴のちアイドル登場(その2)

「ふーん、じゃないんです。何とかして答えを見つけて鬼頭五冠のサイン入り色紙をゲットするんです」


 正答をメールで送ると表紙を飾る棋士のサイン入り色紙が抽選でもらえることになっている。


「遠藤さんって鬼頭さんが好きなの?」


 恭介が少しにやけ顔で訊ねる。

 恭介はきっとKTのくだりを思い出している。


「そうですよ。鬼頭五冠がまだ一冠の時からのファンです」


「それって、ついこないだじゃない?」


「違いますよ。確かに鬼頭五冠は二年前にタイトルを取られてからは破竹の勢いで一気に五冠ですけど、実は十年前にも一度タイトルホルダーになってるんです。でも、初めての防衛戦でストレートで負けて、それからずっとスランプで」


「ってことは十年来のファンってこと?」


「そうなりますね」


「どこが良いのさ、このおじさんの。もう四十歳でしょ?」


 恭介の言葉に歩美が少しムッとする。


「良いところをあげたらキリがないですよ。……でも、強いて一つあげるとしたら、ぼさぼさの髪ですかね」


「ぼさぼさの髪?」


「外見なんか気にしないってところがグッとくるって言うか、潔いって言うか。鬼頭五冠は将棋のことしか考えてないんですよ。だから時々寝ぐせなんかつけてても、気にせず対局してるんです。そこがかわいいんですよ」


 そうかなぁ、と恭介がまた歩美を挑発するようなことを言う。


「少なくともこの人、将棋のことばかりってことはないみたいだよ」


「どういうことですか?」


 聞き捨てならない、という感じで歩美がギロッと恭介を睨む。


「だって、ここに書いてあるもん。娘とのお風呂の時間が何よりの楽しみですってさ。いつまで一緒に入ってくれるか心配なんだって。ロ、ロリコンかもよ」


「どうして娘とお風呂に入るのがロリコンなんですか?子煩悩ないいパパじゃないですか」


「だって、娘ってもう十歳らしいよ。十歳って、だって、そんな、えぇ?あれじゃない?いいかなぁ。ねぇ、たろちゃん」


 ダメだ。

 将棋盤に全然集中できない。


「話しかけないでよ。あと少しで解けそうな気がしてるのに」


「十歳だっていいじゃないですか。私なんか今、十五歳ですよ」


「「え?」」


 恭介と凛太郎の驚きの声が完全にシンクロした。


 凛太郎の頭からは薄ら見えていた正答の尻尾がどこか遠くへ飛び去って行った。


「え?え?遠藤さんって……」


 恭介はそこで口をパクパクさせた。


 そこから先を言葉にできないのが、女子に対する免疫のない生涯童貞かもしれない症候群の恭介の奥ゆかしさであり、臆病さでもある。

 凛太郎も同類なのだが。


「私、今でもたまにお父さんとお風呂入りますよ」


 歩美は恭介と凛太郎の想像を先回りして、ズバッと核心をさらけ出す。


 いけませんか?と正面から問われると、二人は首を横に振るしかない。


 その時、ドアがノックされた。顧問の教頭先生だろうか。


「はーい」


 歩美が元気よく返事をする。


「失礼しまーす」


 入ってきた人を見て凛太郎は目を疑った。

 我らのアイドル永田さん、ご本人登場だった。

 長い黒髪。

 透き通るような白い肌。

 つるりと滑らかな頬。

 零れ落ちそうなほど大きい瞳。

 そして、揺れる巨乳。

 まさにアイドル。


「あー、久美ちゃん」


 歩美が嬉しそうな声を上げ、両手を伸ばして永田さんのもとへ駆け寄る。


 永田さんが両手を広げ、歩美は永田さんの胸に顔を埋めるように抱きついた。


「歩美。本当に将棋部に入ったんだね」


「うん」

 歩美は頬を永田さんの柔らかそうな胸に擦り付ける。「久しぶりだな。久美ちゃんのおっぱい。気持ちいいわぁ」


 久美ちゃんのおっぱい!


 凛太郎は反射的に姿勢を戻し、将棋盤に目を落とした。

 向いの恭介も同じ行動をとっている。

 こういう破壊力の高い性的発言を不意に投下されると、童貞は石になったようにできるだけ姿勢を低くし、小さくなって、爆風をやり過ごすしかない。


「歩美!恥ずかしいこと言わないで!」


「だって、本当のことだもん」


 すりすり、と歩美は永田さんの胸の感触を確かめるような擬音を発する。


「だから、やめなさいって言ってるでしょ。歩美。こらぁ」


 押しに弱いのか、永田さんが困惑の声を出す。

 きっとチラッとこちらを見たに違いない。


 凛太郎は石ころになったようにピクリとも動かず、その背中で永田さんにメッセージを送っているつもりだった。

 大丈夫。

 我々は何も見ていませんし、聞いていません。

 聞こえませんよ、石ですから。


「ちょっと待ってて。帰る準備してくる」


 歩美は『将棋の道』の詰め将棋の問題をスマホで撮影し、「お待たせ」と永田さんを促して部室を出て行った。


 凛太郎も恭介もしばらく動けなかった。

 まだ顔を上げる勇気が出てこない。


「こんなタイミングで何なんだけどさ」

 恭介が手を伸ばしておずおずとタブレットをリュックサックから取り出す。「また、仕入れたもんだから」


「あ、ありがとう」


 凛太郎は顔を伏せたまま横目で確認してタブレットを受け取る。


「じゃあ、俺も帰るわ。戸締りお願い」


 恭介が心ここにあらずという感じの呆けた顔で立ち上がった。


「お、おう。今日は早いね」


「さっきの情景が目に焼き付いているうちに早く家で一人になりたいから」


 先ほどの永田さんと歩美のやり取りは、今から恭介の四丸のおかずになるらしい。

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