第84話 朝、起きること

「最近、鼻血で目を覚ますんだよね」


 今週は月曜から三日連続で凛太郎の目覚めは鼻血と共にあった。

 先週も二回。


 寝ている間だから自覚はないが、口元を拭ったのだろう。

 手の甲に血がべったりとついていて、鏡で顔を見ると鼻から耳や首筋にかけて血が伸びている。

 自分の顔ではあるが、ホラー映画のようで怖い。

 枕はもちろんパジャマや布団、シーツなどが赤く汚れてしまうときがあって、朝からうんざりだ。

 最近敏感になってきて、夜中に意識の向こうで何となく鉄っぽいにおいがしたり、手にぬるっとした感覚があったりすると、ハッと目を覚ますことがある。

 実際に鼻血が出ていることもあるけれど、気のせいのことの方が多い。

 鼻血に過敏症だ。


「俺もそうだよ。今朝も鼻血で起きた」

「恭介君も?」

「そうそう。寝てるんだけど、頬を伝って、ゆっくり何かが落ちていくような感触にハッとしてさ。やべっと思って起きたら、案の定」


 朝から嫌になるよ、と恭介が口をへの字に歪める。


「分かるわー、その感覚」


 凛太郎はどこか救われたような感じで恭介に激しく同意した。

 こうもしょっちゅう鼻血が出ると、体のどこかがおかしいんじゃないかと思っていたが、自分だけではないのだと安心する。


「朝鼻血もそうだけど、たろちゃんは朝立ちの方はどう?」


 急に話題が下ネタの方に行って、困惑する。

 そうか。今日は水曜日だった。


「どうって、言われても……」

「今日、あった?」


 快便だったか、みたいな健康状態をチェックするようなノリ。

 朝立ちにせよ便通にせよ、どちらも答える義理はないのだが。


「そんなに楽しそうに訊ねる内容じゃない」

「俺は下ネタを話題にしてるんじゃないの。朝立ちは健康な男性の体に起きる現象。そんなようなことが何かに書いてあったよ。つまり、俺はたろちゃんの健康状態が気になるわけ」

「どうせネットの記事でしょ」

「どうせって何だ」


 恭介は拳を握って凛太郎の前に突き出した。「自慢じゃないけど、俺はあったよ。強烈なのが」


 その拳と言葉の力強さが少しひ弱な感じの恭介とアンマッチで思わず笑ってしまう。


「健康で何よりですわ」

「健康って言うか、若いねって言われたよ」


 言われた?


「誰に?」

「分かんない。三十前後の大人の女性に」


 話が急にもやもやし出した。

 凛太郎は目を凝らして恭介の顔を見る。


「どこで?」

「家でだよ。たろちゃんは朝立ちしたまま外に出る?」

「そりゃ、出られないけどさ。家に三十前後の見知らぬ女性がいたの?」

「そういうこと。親父が連れ込んだんだよ」

「あー」


 漸く理解ができた。

 恭介の父親は独身に戻りたての、金持ち、女好きだ。「でも、朝起きたら、家に知らない人がいるってびっくりするね」


「ほんと、びっくりだよ。鼻血で目が覚めて、焦って洗面所に行ったら見たことない女性が化粧していて、それで、その人がゆっくり俺の顔と股間を見て、にっこり一言『若いね』って」

「すごい経験だね」

「思わず『すいません』って謝って、トイレに直行だよ。用を足しながら、何で俺が謝らなきゃいけないんだって腹が立ってきて、洗面所に戻ったら、その人、もういなかったわ」

「僕なら失神してるな」

「夢かと思ったよ。だけど、鏡で顔を見たら、鼻血だらけで、やっぱり現実だった」

「きっと血の気が多いってことだね」

「献血でも行ってこようかな。十六歳からできるんだよね」


 高校に入学すると毎年学校から献血のチラシが配られるようになった。


「そうみたいだけど、注射は嫌だな」


 わざわざ会場にまで行って、血を抜くために注射針を体に刺すというのはなかなかできることではない。


「そうだね。男は注射をされるんじゃなくて、する方だもんね」

「僕はそういうこと言ってるんじゃないんだけど」

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