第74話 協力プレイ

「何?」

「いえ、何でもないです。続けてください」

「続けてって言われても……」

「私のことを気にしちゃダメですよ。私なんかで心を乱していたら、将棋は強くなれませんよ」

「そんなの関係あるかな」


 ここは部室。

 凛太郎は恭介と将棋を指していた。

 そこへ、歩美がやってきて、二人の差し手を見守る。

 それはいつもの部活の風景だったが、一点違うことがある。

 それは歩美の座り位置だ。

 普段なら向かい合う二人の間、つまり盤の横に椅子を持ってきて座る。

 しかし、今、歩美はわざわざ凛太郎の真横、すぐ左隣に椅子を持ってきて座っているのだ。

 そして、凛太郎を上目遣いで見つめる。

 どうした、と訊ねるのが普通だろう。


「たろちゃん。集中、集中」

「そうですよ。集中しないと負けちゃいますよ」

「分かったよ」


 凛太郎は何となく盤上に集中できないまま次の手を指した。

 それに対して、恭介が指す。


 おっと、これは意外な手だ。

 これはどう受ければ良いのかな。

 ん?


「え?何?」


 凛太郎は虫を追い払うように慌てて立ち上がった。


「どうしたの?たろちゃん」

「そうですよ。どうしたんですか?急に」

「いや、だって、遠藤さんが急に僕の太ももに手を置くから」

「急に、じゃなかったらいいですか?」

「いや、そういう問題じゃなくて」


 何を言っているのか。

 一体どうしたのだろう。

 今日の歩美はどこかおかしい。

 太ももの上に手を置いたのは、うっかりではなく、わざとのようだ。

 これまで歩美がこんな距離感で接してきたことはなかった。


「たろちゃん。将棋に集中してくれよ」

「僕だって、そうしたいんだけどさ。遠藤さんが変なんだよ」


 歩美は凛太郎に向かって「もう、太ももの上に手は置きませんから」と頭を何度も下げて謝るので、凛太郎は渋々座り直して、将棋に戻った。


 歩美は椅子の位置を変えることはしなかったが、凛太郎の隣で大人しく戦況を見守るようになった。


 腕が触れ合うような位置に歩美がいることは多少気になるが、凛太郎は次第に将棋に集中していった。


 その集中度合いを見計らっていたように歩美が再び動き出した。


 凛太郎が気付いた時には、凛太郎の左肩に頭をもたれさせ、腕を絡めている。


「ちょ、ちょっとぉ」


 凛太郎はうんざりした声で立ち上がって腕を振り払う。「どうしたの?遠藤さん、今日、変だよ」


「全ては奥川先輩のためです」

「何が?」

「協力したいと思って」


 歩美は妙に力のこもった視線を凛太郎にぶつけてくる。


「何?何?何の協力?」

「たろちゃん。歩美はたろちゃんのためを思って、やってるんだよ」


 恭介のため息まじりの説明に、歩美は深く頷いて凛太郎を見上げる。


「え?何?どういうこと?」


 頭が混乱する。

 色々なことが分からないが、何よりも恭介が歩美のことを本人を前にして「歩美」と呼んでいることに、鳥肌が立っている。「何で呼び捨て?」


「いいじゃないですか、呼び捨て。私、先輩っていう存在に呼び捨てしてもらうことに憧れてたんですよ。何だか、可愛がられてる感じがするじゃないですか。だから、飛島先輩に無理言って、お願いしたんです。そうだ。奥川先輩も私のこと、今日から『歩美』って呼んじゃってください」


 歩美は「『あゆ』でもいいですよ。可愛いんで。最悪、『歩美ちゃん』でも許します」とウキウキした感じで言ってくる。


「無理、無理、無理、無理」


 凛太郎はプルプルと首を振った。


「私を呼び捨てにできないと、久美ちゃんを久美とかくーちゃんって呼べないですよ」

「はぁ?そんなのもっと無理だって」

「あいつは久美ちゃんって馴れ馴れしく呼んでますよ。奥川先輩だってそれぐらいやれますって。ってか、やらないと」

「だから、僕は反町君と張り合ってないんだって」

「ダメですよ。そんなんじゃ、チャンスを逃しちゃいますよ。奥川先輩は超鈍感だから気づいてないかもですけど、奥川先輩の目の前には大きなチャンスが転がってるんです。こんなビッグチャンス、人生でもう二度と巡り合わないかもしれませんよ。失神してる場合じゃないですって。私で女子に慣れて、久美ちゃんとラブラブ学園生活を楽しんでくださいよ」

「な、何でそうなる……」


 凛太郎は恭介を睨んだ。

 こいつが歩美に何か吹き込んだことは間違いない。


「きっと夢、破れたであろう私が協力プレイするって言ってるんです。異性にしっかり向き合ってください!」


 歩美は絶対に逃がさないっていう悲壮感溢れた顔で凛太郎の腕をガシッと掴んだ。


「夢破れたって……」

「前にも言ったでしょ。奥川先輩は許せても、あいつは嫌なんです。奥川先輩には頑張ってもらわないと」


 そう言って、歩美はその後もベタベタとくっつかれ、それを辞めてもらうために、凛太郎は「歩美ちゃん」と呼ぶことを渋々受け入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る