第73話 お友達からお願いします

「奥川君。おはよう」


 背後から声を掛けられて、凛太郎はビクッと振り返った。


「え?あっ!」


 そこには永田さんが立っていた。


 永田さんが登校してきたら、昨日の数々の無礼を謝罪しようと、永田さんの席を凝視してコチコチに緊張して待っていたのだが、まさか死角から現れて、しかも向こうから声を掛けられるとは思いもよらなかった。


「元気?体調、大丈夫?」

「あっ。えっと、はい。大丈夫です」

「そう。良かった」


 永田さんはそれだけ言うと、ススッと自分の席の方に行ってしまった。


 追いかけて謝罪を、と思ったが、すぐに永田さんの周りに他の生徒が集まってきてしまって、とても近寄れない。

 永田さんはみんなのアイドルなのだ。


「大丈夫だって」


 また耳元で話しかけられて、ビクッとする。


 そこにいたのは恭介だった。


「な、何?」


 恭介は凛太郎に向かって、ついて来いという感じでクイクイと指を動かす。


 教室の後ろの隅にまで連れていかれ、小声で話しかけられる。


「昨日のこと、謝ろうとしてたんでしょ?でも、それはもう永田さんも、分かってくれてるって」


 何でお前に永田さんの気持ちが分かるんだ、と言いたかったが、昨日は恭介にも散々迷惑をかけているので、強くは言えない。


「でも、しっかり謝らないと」

「昨日、永田さんに訊かれたんだ」


 また、恭介はささやくような声で凛太郎の心臓がギュウッと痛むようなことを言いだす。


「……何を?」

「奥川君は、童貞なのかなって」

「?」


 驚きで声が出ない。

 体も動かない。

 羞恥で全身が熱くなる。

 永田さんが、その口で「童貞」とのたまったのだろうか。


「冗談だよ。そんな直接的には言ってない」


 恭介はバシバシと凛太郎の肩を叩いて笑った。


「何だ。滅茶苦茶びっくりしたよ」


 凛太郎は噴き出た額の汗を拭う。


「いや。ただ、奥川君は女子と付き合ったことがないのかなっていうのは訊かれた。これ、マジで」

「嘘?」


 どうしてそんなことを訊くのか。


「たろちゃんが永田さんに対してあまりに緊張感が強いからじゃない?」

「それは、……そうだね」


 否定しようがない。


「あるはずないじゃんって答えておいたよ」

「うん」


 何だか言い方がムカつくけれど、事実だから仕方ない。


「だったら慣れてもらうには、挨拶から始めようかなってさ」

「誰が挨拶するの?」

「誰がって、そりゃ永田さんでしょ。だから、さっき声掛けられたんだと思うよ。お友達からお願いしますってことじゃないの?あんた幸せもんだよ。これから毎日、永田さんから挨拶してもらえるよ」

「嘘だぁ」


 それは嬉しさよりも、恥かしさと緊張の度合いが強い。


「まあ、それを気にして夜も寝られないってことにならないようにね。俺も永田さんにさっき挨拶してもらったし。何てったって、俺たちと永田さんは同じ部活だからさ」

「そうだけど……」


 凛太郎は翌朝のことを考えてしまって、一日中授業に集中できなかった。

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