第127話 永田さんの涙
登校してきた恭介の顔色はやっぱり冴えなかった。
冬休みに会った時ほどではないが、動きも重そうだ。
熱中症は死に至ることもある大変な症状だ。
恭介はもともと心臓が弱い。
点滴だけで済んで、大事に至らなかったのはラッキーだったのかもしれない。
そう思うと、凛太郎はゾッとする。
恭介にもしものことがあったら、今頃凛太郎は寝込んでしまっていただろう。
恭介との出会いは運命的だと自分でも思う。
放課後に恭介とこの部室でDTⅯをやり始めて、生活が急に色づき始めた。
それまでの窮屈で鬱屈した人生も、笑い話にできて悪い経験ではなかったと思えるほどに、前向きにとらえられるようになっていた。
毎日、学校に来るのが楽しみになった。
そんな人生が自分に訪れるなんて、中学生のころまでは思いもよらなかった。
恭介がいなくなったら、世界は一変するだろう。
全ては色を失い、何も感じられず、息をすることも億劫になるのではないか。
願わくば、恭介には体を大切にしてもらいたい。
本来の調子に戻るのは少し時間がかかるのかもしれないが、そんなことは全然構わない。
とにかく、自分の体調のことだけを考えて無理をしないでほしい。
「やっと生で歩美を見れた」
部室のドアを開いて、恭介はホッとしたように笑った。
「写真と実物と、どっちがいいですか?」
机に頬杖をついて、歩美は眼鏡がないことを強調するようにパチパチと瞬きを繰り返す。
「そりゃ、写真かな」
「何でですかぁ」
途端に歩美がブーたれる。
「あれ、めっちゃ写りが良くなかったか?」
「ま、まぁ、よく撮れたのを選びましたけど……」
「それに、写真は喋らないしな」
「ひっどーい。奥川先輩、聞きました?この人、今、私のこと、お喋りくそ野郎って言いましたよ」
「そこまでは言ってないと思うけど」
凛太郎は苦笑いで口元を掻く。
「ほらな。あの写真の人は、お喋りくそ野郎、とか言いそうになかったぞ」
痛いところを突かれてグッと押し黙った歩美は背後の窓を見た。
外は雨が降っている。
「あー。久美ちゃん来ないかなぁ」
そこへガラガラとドアを開けて入ってきたのは反町だった。
「やあやあ、みなさん。明けましておめでとう」
「何だぁ、あんたか」
「正月早々、何だとは何だよ」
「てっきり久美ちゃんかと思って期待したの」
「久美ちゃんなら、さっきテニス部の部室の方に行ったの、見かけたぞ。部活がないことを確認しに行ったんじゃないかな」
「じゃあ、もうすぐ来るね」
久しぶりに会える、と歩美は嬉しそうだ。
「これ。お土産」
恭介がリュックの中から青いTシャツを取り出して、一枚を反町に渡す。
「お?サンキュー。どこか行ったの?」
反町はTシャツを広げて自分の胸に合わせた。「I LOVE HAWAII?ハワイかよ!」
「まあね。こっちは檜山さんの分。渡しといて」
「了解。檜山とお揃いなんだな」
「部員、みんなお揃いなんだよ。たろちゃんと歩美にも渡してあるんだ。これは永田さんの分」
「へぇ。いいね。じゃあ、これ着て大会に出ようぜ」
反町が歩美と同じことを提案する。
この二人、いがみ合っているが、考えていることはよく似ている気がする。
「ちょっと、場違いじゃないかなぁ」
凛太郎が恐る恐る抵抗してみる。
先日は歩美が泣いていたから、仕方ないという雰囲気だったが、改めて見てみると、やっぱり日本の伝統的な文化とも言える将棋大会に「I LOVE HAWAII」はそぐわない気がする。
「いや。菊香高校も揃いのTシャツだったじゃん。俺、あれが目に焼き付いてるんだよな。全体的に威圧されてるって言うかさ、団結力を見せつけられてるって言うか。せっかくみんなの分があるんなら、これでいこうぜ」
「でも、I LOVE HAWAIIって、ちょっと……。もっと将棋に関係のある図柄ならいいんだけど」
「珍しく、たろちゃんが食い下がるね」
恭介が冷やかすように、間に入ってきたとき、そろそろっとドアが開いて現れたのは、みんなのお待ちかねの永田さんだった。
「久美ちゃん、明けましておめでとう!」
歩美が一番槍は譲らないという感じで勢い良く永田さんに突進する。
「あ。うん。おめでとう」
ここでも永田さんは覇気のない感じで、歩美の挨拶を受け流した。
「久美ちゃん?」
どうしたのだろう。
やっぱり永田さんの様子がおかしい。
「久美ちゃん。このTシャツ、どう思う。部長がお土産で買ってきてくれてさ。それで、今度の大会にみんなでこれを着て出ようって言ってたんだけど」
反町は異変を感じ取っていないのだろうか。
いつも通りの高いテンションでTシャツを広げて永田さんに見せる。
「大会に?」
永田さんが、チラッと反町が手にしているTシャツを見た。
「はい、はーい。私、調べてきたよ」
歩美が元気よく手を挙げて発表する。「近いのだと二月にこの地域の個人戦の大会がある。その次は来年度になっちゃう」
「二月かぁ、微妙だな」
恭介のこの微妙な呟きは全員から無視された。
何故なら、急に永田さんの目から涙が溢れ出たから。
「ごめん。私……」
永田さんは嗚咽を堪えるように両手を口に当てて、部室から走り出て行った。
「久美ちゃん?」
「永田さん!」
反町と凛太郎が永田さんの背中に声を投げる。
「男子は、来るなっ!」
歩美は自分のリュックと永田さんの分のTシャツを鷲掴みすると、反町と凛太郎を制するようにドアの前に立ちはだかり、そしてクルッと振り返って永田さんの後を走って追いかけた。
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