第124話 永田さんをどう思っているか

「ところでさ」


 詰将棋を解き、キャラメルマキアートを飲み終え、そろそろ帰ろうかな、というところで恭介が新たな話題を振ってくる。「実際のところ、どうなの?」


「何が?」


 凛太郎は恭介が何を訊いているのか、さっぱり分からない。


「たろちゃんと俺との間に隠し事ってないよね?」

「……ない、と思うけど」


 改めて訊かれると、何だか不安になってくる。

 恭介に何か伝えなければいけないことがあっただろうか。


「じゃあ訊くけど、たろちゃん、永田さんと、どうなの?」

「どうって?」

「付き合ってるの?」

「へ?」


 凛太郎は驚きの声と呼吸がおかしな風に混じってしまい、激しく咳き込んだ。

 息ができなくて、呼吸困難に陥る。


 見かねた恭介がバシバシと背中を叩いてくれて、凛太郎は漸く気管のつまりが取れて、酸素を肺に取り込むことができるようになる。


「付き合ってないの?」

「ないよ。ない、ない。付き合ってたら、今日なんか二人の前で平然としてられないよ」

「そっかぁ。まあ、たろちゃんならそうだよなぁ」

「どうしたの?」

「いや。歩美とも喋ってたんだけど、たろちゃんと永田さんの雰囲気がすごくいいんだよね。何だか、二人の間に誰も入れないって言うか、二人の世界が出来上がってるって言うか」

「どこがよ。そんなこと思ったことないよ」

「またまたぁ。あれで何も思わなかったら、鈍感を通り越して、変態だよ。世の中のために、逮捕された方がいいわ」

「あれって?」

「まずさ、こないだ雨の中、たろちゃん、傘もささずに登校してきて、教室でずぶ濡れになってたことあったじゃん。あの時、永田さんがハンカチでたろちゃんの制服拭こうとしてたでしょ。もう、あんなの見てられないよ。他の男子の殺人鬼のような目、見た?俺が割り込んでタオル貸さなかったら、たろちゃん、あの日、闇討ちにあってたよ」

「あれかぁ……」


 確かにあの一件に関しては恭介の言うことを否定できない。

 自分でも身の危険を感じた記憶がある。


「あれかぁ、じゃねぇよ。他にも、最初はクリスマスパーチーに参加しないはずの永田さんが、結局は参加したしさ」

「それは、永田さんの決めたことであって、僕には何とも言いようがないよ」

「そうかなぁ。永田さんが来ることが決まって、嬉しかったんでしょ?俺と過ごすために来てくれるんだなってうぬぼれたでしょ?」

「なっ。そんなわけないじゃん」


 凛太郎は顔を赤らめて反駁した。「うぬぼれるなんて、ありえないよ」


「じゃあ、クリスマスパーチーのときに紅茶を二人で買いに行ったのは?楽しかったわけでしょ?帰ってきたときの、隠しきれない満ち足りた感情が緩み切った顔に現れてたよ」

「あ、あれは、その……。永田さんと二人で買い物するなんて、初めてのことだったから、緊張して、その……無事に帰って来れてホッとしたって言うか……」


 あの買い物は思い出すだけで体が熱くなる。

 顔がにやけてしまうのを堪えるのに苦労する。

 あの時の永田さんの可愛さと言ったら、ない。

 自分にだけ向けられた笑顔を全身に浴びて、恍惚とした記憶は二、三日で色あせるものではない。


「歩美も言ってたけどさ、永田さんのこと、たろちゃんはどう思ってるの?」


 恭介は挑戦的な眼差しで凛太郎を問い詰める。はっきりとした答えを訊くまでは許さないとその目が言っている。


 でも、どう思っているか、と正面から訊かれても、心に浮き上がってくる言葉を凛太郎はなかなか口に出すことはできない。

 そんな恥ずかしくて、大それたことは、いくら親友の恭介であっても、聞かせることはできない。


「どうって……。どうもこうもないよ。別に」

「最近永田さんとのやり取りが楽しいんじゃない?」

「それは……」

「それは?」

「すごくドキドキする……」


 凛太郎は自然と左胸に両手を当てていた。


「おお。いいねぇ」

「いや。良いことばかりじゃないよ。紅茶を買いに行った時も、ドキドキしっぱなしで。何だろう。すっごく心が浮き立つんだけど、心臓が痛いって言うか、体が付いてこないって言うか……。帰ってから、すごく疲れちゃって」


 凛太郎はぐったりと脱力して、頬をテーブルの上に載せた。ひんやりとして気持ちが良い。


「それってさ……」


 恭介は凛太郎の話を聞いて自分のことのように嬉しそうに表情を崩す。


「何?」

「永田さんのこと、好きってことじゃん」


 恭介の剛速球が凛太郎の左胸をえぐる。


 凛太郎は咄嗟に起こした顔をブルブルと振った。


「いや、いや、いや、いや……」

「何回否定すんの」

「だってさ……」

「じゃあさ、永田さんは、たろちゃんの恋愛対象としてのゲージとしてはどれぐらいなの?」


 恋愛対象としてのゲージ。

 それは恭介の歩美に対する気持ちを分析するために凛太郎が使った言葉だ。

 凛太郎が持ち出した言葉だからこそ、逃げ道はない。


「えーっとぉ……。うーんと……」

「低いの?恋愛感情はないってこと?」

「今日の恭介君は厳しいなぁ」


 苦笑いを浮かべる凛太郎を恭介は「ごまかさない」と一喝する。


「俺の歩美に対する気持ちは伝えたでしょ。今度はたろちゃんの気持ちを教えてよ」


 何だか友情を人質に取るような言い方だ。

 だけど、恭介との友情を失うことは、今は何よりも悲しい。


「……しまう」

「ん?何?」

「だから。最近……しまう」

「はぁ?何をしまうって?」


 恭介は凛太郎に向かって耳を向け、そこに手を添える。


「最近、意識……して、しまう」

「永田さんを?恋愛対象として?」


 そう訊ねられ、凛太郎は頷いた表紙に顔からボッと火を噴くような熱さで意識が遠くなりそうになる。


「恥ずかしぃ」


 実際、一瞬気を失っていたのかもしれない。

 顔に冷たいグラスを押し付けられて、ハッと現世に帰ってくる。


「よく言ってくれた。このジュース、おごっちゃう」


 恭介は小さな氷がたくさん入ったアイスティーのグラスを凛太郎の前に置いた。「最近っていつからなの?」


「今、思い返すと、将棋大会、なのかな」

「あー。あの時の永田さん、無双だったもんな。私に任せろ、みたいな感じが、凛として確かに美しかったわ」

「いや、そうじゃなくて……」


 凛太郎は決勝トーナメントで負けた後のことを振り返った。


 あの時、会場を後にしたメンバーに凛太郎は声を掛けた。

 しかし、そんな慣れないことをしても声が小さくて誰も振り向いてくれなかったのだが、永田さんだけが気付いて、「どうしたの?」と訊ねてくれた。

 永田さんが振り返ってくれたときに、この人はいい人だと凛太郎は確信したのだ。


「ふーん。そういうことね」


 恭介がうんうんと納得してくれる。


 凛太郎はオアシスで喉の渇きを潤すように冷たいアイスティーを飲み、ボソッと呟いた。


「永田さんって……僕のことどう思ってるんだろ」

「俺の意見、正直に言っていい?」

「うわ、怖いな。……でも。うん。言って」

「ゲージがマックスなんじゃないかな」

「マジか……」


 凛太郎はグラスをあおるようにしてアイスティーを氷ごと口に注ぎ込んだ。

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