第123話 こじらせた恭介
冬休みの将棋部の活動は十二月二十七日と一月五日。
それ以外の日はそれぞれの自主的活動に委ねることとする。
そう言えば格好が良いが、要は部長の恭介が年末年始に父親と海外旅行に行くので、部活に来られないだけのことだ。
凛太郎と歩美だけでやっても良いのだが、二人とも恭介が海外で遊んでいるのかと思うと、そういう気にならなかった。
恭介の方も嫉妬とまでは言わないが、凛太郎と歩美が二人きりで部室にこもるのは嬉しくないようで、部活はお休みに、と決めると恭介は満足そうな顔で「俺のせいで、ごめんねぇ」と口先だけで謝った。
そういうことで、この冬休みは勉強三昧というのが凛太郎の予定だった。
そんな十二月二十六日の午後二時。
恭介から「今からスタバに来れない?」とLINEのメッセージが届いた。
スタバかぁ。
凛太郎は思わず一人で呟いた。
気がかりなのは一つだ。
麻実は家にいる。
今日はバイトの日ではないのだろうか。
もしこれからスタバでバイトだとすると、弟が客として居るのは嫌だろうし、凛太郎としても、そんなところで恭介と喋っているのは落ち着かない。
凛太郎は麻実の部屋をノックした。
「何?」
返事があったので、ドアを開き、顔だけ部屋の中に入れる。
麻実はパソコンで絵を描いていた。
「あ、あのさ。その……今日ってバイト?」
「ないよ。クリスマスに働きまくったから今日はお休み」
麻実はクルッと椅子を回転させて、凛太郎と向き合った。「何で?」
「べ、別に。今からちょっと恭介君のところに行ってくるよって言いに来ただけ」
「あ、そう。了解」
麻実はそれだけ言って、またクルッと椅子を直して作業に戻った。
凛太郎は早速家を出て、自転車を飛ばしてスタバに向かった。
「おー。たろちゃん。こっち、こっち」
店に入ると、恭介が手招きする。「待ってたよ、相棒。まあ、座って。これでも飲んで」
恭介は妙ににこやかな表情で、向い側の椅子に凛太郎を促した。
テーブルに載っているホットのキャラメルマキアートを勧めてくる。
「飲んでいいの?」
「どうぞ、どうぞ」
「何かあるね」
「さすがは、たろちゃん。話が早い」
恭介はもったいぶることなく、本題に入った。
恭介が凛太郎に見せたのは「将棋の道」だった。
表紙はあの「可愛すぎる棋士」の坂上女流初段。
「詰め将棋を解けってことだね。それで坂上さんのサインが欲しいと」
「さすがは、たろちゃん。話が早い」
「同じことしか言わないの?」
「いや、他に言う言葉がないんだよ。持つべきものは、以心伝心の将棋が強い親友だ」
「そんなこと言って。明日から海外だから、今日のうちに解いて送っちゃいたいだけじゃないの?」
「さすがは、たろちゃん。話が早い」
恭介は今度はロボットのような喋り方でまた同じことを言った。
二人はそれから額を突き合わせて詰め将棋に取り掛かった。
「あ。先輩」
声のする方を見るとキャップを深々とかぶった少年がいた。
厚手のパーカーの上にMA1を着て、ダメージジーンズという格好。
よく見ると、それは歩美だった。
「あ。歩美ちゃん」
「おう。歩美。今、暇?」
「暇ってわけじゃないですけど、少しぐらいなら時間ありますよ」
そういうわけで、恭介は歩美にもキャラメルマキアートを餌に、詰め将棋に参加させた。
しかし、三人がかりでも「将棋の道」の詰め将棋は手強い。
額を寄せ合い、あーでもない、こーでもないと言い合ったが、なかなか答えにたどり着かない。
その時、凛太郎の首筋に背後から白い腕が巻き付いた。
そして、長い茶色の髪が凛太郎の頬にサラサラっと触れる。
「うわっ!」
パッと見ると、それは麻実だった。「ちょっ、何だよ。離してよ」
「なーに。凛ちゃん、照れなくてもいいのに」
麻実は凛太郎の首から腕をほどいて、カッカと笑う。
「お姉さま。こんにちは」
「おお。歩美君。ごきげんよう。恭介君も」
「あ、どうも」
「今日、バイト休みだって言ってたじゃん」
何のために確認したと思っているのか。
「休みだよ」
麻実は平然と言ってのける。
「そうなの?じゃあ、何でここにいるの?」
「凛ちゃんが、スタバに行くって言うから、てっきり花蓮ちゃんとデートかなと思って、偵察に来たのだよ」
「そんなわけないだろ!」
恭介と歩美の前で花蓮の名前を出すのはやめてほしい。
あらぬ誤解を招く。「スタバに行くなんて言ってないし。デートだと思ったら、なおさら偵察になんて来ないでよ」
「いいじゃない。愛しい弟の鼻の下が伸びてるところを見てみたいと思うのは姉として普通のことでしょ」
「普通じゃないって」
「そんな……。冷たい……」
麻実が泣く真似をする。
「ちょっと、奥川先輩。そんなにきつい言い方したら、お姉さまがかわいそうじゃないですか」
「いいんだ。歩美君。私のことは気にしないでくれたまえ」
そう言い残して、麻実は去って行った。
しかし、すぐに店のバックヤードからけたたましい麻実の笑い声が聞こえてきて、麻実が凛太郎の仕打ちを何とも思っていないことが分かる。
「たろちゃんのお姉さんって、面白い人だよなぁ」
「私、けっこう好きです。お姉さま、サバサバしてるし、美人だし、何か格好いい」
二人は麻実をほめるが、凛太郎は、どっと疲れた。
「で?花蓮ちゃんとデートすることあるの?」
恭介がいやらしい目で見てくる。
「ないよ。ない、ない」
「本当ですか?ちょっと、前から気になってたんですけど、この際だから、はっきりしておいてもらえます?奥川先輩の本命は、久美ちゃんってことでいいんですよね?」
「ちょっと、そんな……」
凛太郎は嫌でも赤らむ顔を俯けて、「将棋の道」だけを見つめた。「さぁ。集中、集中」
「奥川先輩。顔が真っ赤。まあ、それが答えっていうことですね」
「歩美。たろちゃんは俺の親友だぞ。永田さん以外の女になびくような人間じゃない」
凛太郎は二人を無視して詰め将棋に改めて挑みかかった。
二人に何を言われても、無言を貫き通す。
すると、奇跡的にスルスルっとすぐに答えを導き出すことができた。
「さすが、たろちゃん!もう一杯、キャラメルマキアート飲む?」
「いや、いいよ。まだ半分残ってる」
「そう?サインがもらえたら安いもんなんだけど」
「サイン?そう言えば、表紙って……」
歩美が『将棋の道』を裏返し、「ゲッ」と蔑むような視線。「エロ初段だ」
「おい。いかに歩美でも、言葉が過ぎるぞ」
「だって、この人、女流棋士のくせに、将棋の記事よりエロいグラビアの方が多いじゃないですか」
「だとしても、何かこう、他の言い回しがあるだろ」
「恭介先輩。もしかして、エロ初段のサインだから、こんなに必死なんですか?」
「いや。まあ、何だ。彼女は将棋界のアイドルなわけで、そのサインはかなり価値が高いって言うかさ……」
「そんなの当たりませんって」
歩美が頬杖をついて、つまらなさそうに言う。
「歩美ちゃん。鬼頭さんのサインは当たらなかったんだね」
「あれも、まあ、当たるとは思ってなかったですけど」
「俺は当てるよ。全力で当てに行く」
何故か、恭介は自信満々だ。
「どうやって?」
「『将棋の道』を買いまくる。実はね……」
恭介は「ほれ」とリュックの口を広げて中を見せた。
そこには「将棋の道」が何冊も入っている。
懸賞詰め将棋はメールで解答を送って応募するのだが、合わせて購入したときのレシートを写真で撮って、メールに添付する必要がある。
これをもって、一冊購入につき一回の応募が担保されるという仕組みだ。
従って、「将棋の道」を買えば買うほど、当選確率は高くなる。
「高校生らしからぬ財力を見せてくるじゃん」
「庶民の敵ですね」
凛太郎と歩美に非難の目を向けられても、恭介は意に介さない。
「何とでも言ってくれ。どんな非難も甘んじて受け入れよう」
「へぇ。そんなこと言っちゃって……」
歩美は何やらスマホをいじり出した。「じゃあ恭介先輩、この時の嬉しそうな顔はどう言い訳するんですか?」
歩美がテーブルの上に置いたスマホの画面には恭介がひかると一本のポッキーをくわえ合っている画像が映し出されていた。
「あっ!」
恭介は声を上げて、スマホを隠すように覆いかぶさった。
そして、チラッと凛太郎の顔を見上げる。
「見えちゃったけど……」
凛太郎としては苦笑いするしかない。
「こないだ、たろちゃんと永田さんが帰った後に色々とあったんだよ」
恭介は諦めの表情でゆっくりと姿勢を直した。「反町から連絡があってさ。家の場所を教えたら、檜山さんと一緒にやってきて。それで我が家はカオスになったんだ」
「楽しかったじゃないですか、王様ゲーム」
「歩美は平然とポッキーくわえてたなぁ。俺たちの仲間のはずなのに」
恭介はすねたような視線でジトッと歩美を見つめる。
「あの程度のゲームに童貞だとか処女だとかは関係ないんですよ。自分が負けたときに、いかに自分の感情を麻痺させられるかどうかです」
「それって楽しいのか?」
「楽しいですよ。私が王様になったときの、みんなの慌てようと言ったら……」
歩美は悪い顔でニタニタと笑う。
「俺は一度、歩美をパニクらせてみたいよ」
「せいぜい期待してますよ」
捨て台詞のようにそう言い残して、歩美は用事があるということで、そそくさと帰って行った。
「恭介君もポッキーゲームしてるんじゃん」
「結局、総当たりになったんだよ」
「ってことは、歩美ちゃんともしたってこと?」
「まあね」
恭介の顔がいやらしく歪む。「でもさ。俺が歩美とポッキーゲームをしたときより、歩美が反町とするのを見たときの方が興奮したんだよね。妙に」
「何それ。寝取られ的なこと?」
「それもあるのかなぁ。どっちかと言うと、あんなに反町のことを嫌っていた歩美が王様の権力でねじ伏せられて、反町とポッキーゲームをしていることにサディスティックな性癖がくすぐられたって言うか。……俺って変かな」
「なんか、……こじらせてるね」
「やっぱり」
恭介は「たろちゃーん」と凛太郎にすがり付いてきた。
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