第125話 お土産

 静かな正月を迎えた。

 戸外は車の通りも少なく、子どもの遊ぶ声も聞こえてこない。

 母は寝正月。

 姉は元日から毎日元気にアルバイト。

 従って、凛太郎の部屋は陸の孤島かと思うぐらいに誰にも邪魔されない。

 部活もない中で、凛太郎は当初の予定通り勉強三昧の時間を過ごしていた。


 久しぶりに携帯電話が振動する。

 見てみると、恭介からのLINEだった。

 明日の部活は学校ではなく、恭介の家でやりたいということだった。

 寒いから、あまり外には出たくないとのこと。将棋盤と駒さえあれば、将棋部の活動はどこでもできる。

 学校は暖房があまりきいていないので、暖かい恭介の家の方が過ごしやすいのは間違いない。


 一週間ぶりの恭介とのやり取りは懐かしさがあった。

 一度も日本の外に出たことのない凛太郎としては恭介が無事に海外から帰ってきたことに少し心を撫で下ろす気持ちもあった。

 明日からまた恭介と馬鹿な話ができることを楽しみに、今日の勉強をしっかりやろうという意気込みも湧いてくるのだった。


 翌日、恭介の家に向かうと、マンション前の道路で歩美と会った。

 和やかに新年の挨拶を交わし、二人で部屋に向かうと、現れた恭介の顔は病人のそれだった。


「ちょっと、顔色悪くない?」


 明けましておめでとう、の前に思わずそう言っていた。

 それぐらい、恭介の顔色は悪かった。

 そして、痩せたようにも見える。


「恭介先輩。大丈夫ですか?」


 二人で上げた心配の声に恭介は何も言わず、照れ笑いだけを浮かべて、リビングに戻って行った。


 恭介を追ってリビングに入ると自然とクリスマスパーチーのことが思い出される。

 あの時はみんな笑顔で、恭介もテンション高く楽しそうだったが、今の恭介は体が重そうで、笑顔も力がないように見える。


 恭介はふかふかのソファにズシッと座り込んだ。


「ちょっと、向こうで体調崩しちゃってさ」

「やっぱり」


 凛太郎と歩美も神妙な顔つきで恭介の向い側にある大きなソファにちょこんと腰かけた。


「まあ、大したことはないんだよ。ハワイがどうにも暑くってさ。この時季としては記録的な暑さだったんだって。それにやられたってだけ。こっちはこの寒さでしょ。気温差がすごくて。向こうの空港出てしばらくしたら、くらくらっとしちゃってさ。熱中症なのかな。それで、病院で点滴打ってもらって、旅行の間、ずっとホテルの部屋でじっとしてたんだよ。食欲もなくて、ちょっとスリムになっちゃったかな」


 鼻から息を漏らして笑った恭介の目には生気がない。


 旅行中に外に出られなかったとは、何と悲しいことか。


「それは残念だし、もったいなかったですね」

「本当に。全部台無し。もう、しばらく旅行はいいわ」

「って言うか、今年は受験生になるじゃないですか。旅行なんて行ってる場合じゃないですよ。大人しく勉強してください」

「受験生……」


 凛太郎と恭介は暗い顔つきで互いを見た。


「あれ?急にどよーんとしちゃって。私、何か余計なこと言ったかな」


 歩美の「ハハハ」と笑う声が空しく響く。


「本当だ。たろちゃん。俺たち、受験生になるんだな。海外旅行どころじゃないわ」

「そうだよ。年末年始の外出は初詣に行って合格祈願するのが関の山」

「あ、いいですね。来年は元旦に将棋部で初詣に行きましょうよ。私も皆さんの試験の合格を神様にお祈りしますよ」


 妙な間ができた。

 歩美がこういう提案をすると、いつもなら恭介が真っ先に乗っかるのだが、今日の恭介はどんよりとした眼差しで床を見つめるだけだ。

 何かおかしい。

 雰囲気を壊さないように凛太郎が慌てて恭介の役割を担う。


「じゃあ、そうしようよ。僕は部活を引退しても、それを楽しみにして、毎日過ごすよ」

「え?引退?」


 歩美が小首を傾げる。


「そうだよ。悲しいことに、俺とたろちゃんが将棋部に在籍するのも今年の夏まで」


 一年もないんだな。

 恭介がそう呟くと、急に寂しさが凛太郎の胸に募った。


「えぇー!」


 歩美はムンクの「叫び」のように自分の顔を両手で挟んで絶叫した。「先輩方、部活に来なくなっちゃうんですか?」


「受験生だからね。永田さんだって、反町だってテニス部もサッカー部も引退するよ」

「あぁ」


 歩美はグタッとソファに背中を沈めた。「終わった。もう、終わりだ」


「いや。まだ半年以上あるよ」

「そうだぞ、歩美。新入部員集めれば将棋部は存続するし」

「そういうことじゃないんですよ」


 歩美は親の仇を見るような険しい顔つきで天井を睨む。「私、恭介先輩と奥川先輩がいる将棋部がいいんです。そこに久美ちゃんがいて、まぁ、あいつもいて、それでひかるもちょこちょこやってきて。そういうわちゃわちゃとした、何て言うか……、自由だけど、みんなで肩を組んでるような空気感が修明高校将棋部なんです。それが楽しいんです。高校にこんなに楽しいことがあるなんて、私、いまだに信じられなくて……。私が将棋部に入ってまだ一年も経ってないじゃないですか。ひかるが来たのなんて、まだ数か月前で。それなのに、あれがもうなくなっちゃうなんて、私……」


 歩美は声を震わせた。


 凛太郎と恭介はまた顔を見合わせた。

 そして、じっと動かない歩美に視線を向けた。


 歩美が泣いている。

 頬を雫が伝っていく。


 こういう時にどうしたら良いか。

 何と言葉をかけたら良いか全く分からない。

 二人はおろおろするだけ。

 ここのところ充実した時間を過ごしている実感があったが、二人とも何も成長していないことを痛感した。


 歩美はとうとう両手で顔を隠すように覆った。


「あ、そうだ。忘れてた」


 恭介が明るい声を出す。


「どうしたの?」

「これこれ。ハワイ土産だよ」


 恭介はソファの後ろから二つの袋を取り出して、凛太郎と歩美の前に差し出した。


「ありがとう。僕、海外旅行のお土産もらうのって初めてだ」


 凛太郎も恭介のテンションに合わせて、大げさに喜んで見せた。


 が、歩美は少し鼻をすすっただけで、顔に手を当てた仕草を変えない。


「たろちゃん。中、見てみてよ」

「おー。マカダミアナッツ!」


 ハワイに行ったことのない凛太郎でもハワイ土産の定番と知っているものだ。

 チラッと見ると、目を潤ませ、鼻が微かに赤い歩美が眼鏡を掛け直し、土産の袋に手を伸ばす。


 それを見て、凛太郎は恭介と無言で微笑み合った。

 歩美は甘いものに目がない。


 歩美はよどみのない動きで袋からマカダミアナッツの平べったい箱を取り出し、包みを破って、箱を開き、躊躇なく一つ口に放り込んだ。


「え?ここで、いきなり食べちゃうの?」


 もらったその場で食べるとは、凛太郎には思いもよらなかった。


「だって。美味しそうなんで」


 もぐもぐ口を動かしながら、手の甲でゴシゴシと涙を拭う歩美。

 泣いていても笑っていても、甘いものに即座に反応する歩美は、凛太郎にとって本当に可愛い後輩だ。


「お菓子を食べてる歩美を見てると、何だか幸せになれるよ」


 恭介も歩美を慈しむような目で見ている。


「この青いのは?」


 凛太郎は袋の中から青い服を取り出した。


「I LOVE HAWAII Tシャツ」


 そう言って、恭介は嬉しそうに自分の着ている服の裾をめくって見せた。

 土産と同じTシャツを着ているのだ。


「あ。いいですね。お揃いだぁ」


 歩美も袋の中からTシャツを取り出して、胸の前で合わせる。

 まだ目元は赤いが、声には明るさが戻った。「これ、将棋部のユニフォームにしましょうよ!」


「これ?これ着て試合に出るの?」


 そんな高校、どこにもないだろう。

 凛太郎としては想像しただけで恥ずかしい。


「いいじゃないですか。目立ちますよ」

「服で目立つ必要はないと思うんだけど。それに、三人だけ揃ってても……」

「あるよ」

「え?」

「俺の部屋に、あと三枚ある。永田さんと反町とひかるちゃんの分」

「じゃあ、ばっちりじゃないですか」


 決定、とパチパチ手を叩く歩美の目の涙が渇いたのを見ると、凛太郎は苦笑するしかない。


「あれ?まだ何か入ってる」


 袋の中に手を突っ込むと、小さくて硬いものに触れた。

 取り出すと、それはキーホルダーのようだった。

 PRADAと書いてある。


「プ、ラ、ダ?プラダ!」


 驚いて、恭介を凝視する。「あのプラダ?」


「え?プラダのキーホルダーですか?」


 歩美も目をまん丸に見開く。「もらっていいんですか?本物?」


「本物のわけないじゃん」


 恭介が、してやったりという感じでニタニタと笑う。「露店で買ったんだよ。一個千円ぐらいかな」


「えー。千円でも十分に高いですよ。私、大事に使います」


 歩美は頬ずりしそうな勢いでキーホルダーを大事そうに顔の近くで見つめた。


「僕も使うよ。本物だったら、逆にもったいなくて使えなかったな」

「あ。マジで?笑いを取るために買ったんだけど、使ってくれるなら嬉しいわ」


 歩美はさらにもう一つ、マカダミアナッツを頬張りながら喋る。


「何か、すいません。こんなにいただいちゃって。このチョコ、めっちゃ美味しいし」

「歩美。このTシャツで試合に出るの、永田さんと反町とひかるちゃんを説得してくれよ。それ、想像したら、何か楽しくなって元気が出てきた」

「任せてください。私が嫌とは言わせません。ね、奥川先輩」


 凛太郎は「んー」と渋ったが、強引な歩美に勝てるわけがなかった。


「たろちゃんには、これもお土産」


 恭介がテーブルの上に小さな箱を置く。


「トランプ?」

「開けてみて」


 恭介に言われるままに開けてみると、トランプの中央に裸の女性の写真が印刷してあった。


「うわっ」

「あー。何ですか、これ。面白そう」


 歩美は凛太郎の手からトランプを奪い取り、一枚一枚楽しそうにめくっていく。「早速これでババ抜きしましょうよ」


「嫌だよ。って言うか、僕、さすがにこれ、いらないよ」


 ここでも、凛太郎の反対は二人に押し切られ、ババ抜きをすることになった。

 一枚取るたびに小麦色の肌のおっぱい丸見えの女性が出てきて、一々驚いてしまう凛太郎の顔を見て、恭介と歩美が爆笑するという構図が何回も繰り返された。

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