第38話 恭介の来訪 ~奥川家にて

「おかえり、凛ちゃん」


 玄関に出てきた麻実がリビングを振り返る。


「おっす」


 リビングから顔を出したのは学校を休んだ恭介だった。

 彼からは別段体調の悪さはうかがえないが、何となくどんよりとした雰囲気があって、またもや嫌な予感がする。


 麻実が「飛島君。なんか変よ」と耳打ちしてきて、嫌な予感が予感では終わらないことが確定した。

 昨日初めて喋ったばかりの麻実に言われてしまうのだから、相当変なのだろう。


 歩美と言い、恭介と言い、いったいみんなどうしたんだ。

 凛太郎は恭介を自室に招きながら、天を仰いだ。


 凛太郎はベッドに座り、恭介は勉強机の椅子に腰かけた。

 既視感のある構図だ。

 しかし、昨日とはこの部屋の空気が違う。

 重量感があるのか、酸素濃度が薄いのか。

 どうにも息苦しい。


 またデジャブのように突然ドアが開き、「ジュース持ってきたよ!」と麻実が元気に入ってきたが、場違いなテンションだと瞬時に気付いたようで、やばい、という表情で口を強く閉じる。


「だから、ノックしてって言ってるだろ」


「いやぁ、めんご、めんご」


 明らかに確信犯の麻実は頭を掻きながら床にお盆を置いて、逃げるように出て行った。


 麻実の登場で瞬間的に騒がしくなったが、退場で途端に静寂が戻り、登場する前よりも空気が重くなった。

 凛太郎は喘ぐように、口を開いた。


「体調、悪いの?」


「……そうでもない」


 恭介は首を横に振る。そしてすぐに俯いてしまう。

 確かに、熱があるとか、顔色が悪いというわけではない。

 しかし、こんなに無口なのは明らかにおかしい。

 クラスの中では寡黙だが、凛太郎と二人の時の恭介は常に喋っていると言っても過言ではないのに。


「あ、そう……」


 こんな時の対処法を凛太郎は知らなかった。

 元々、凛太郎はコミュニケーション能力に乏しい。

 自分から話しかけることはまずなく、誰かから話しかけられても、腰が引けた状態であいまいな返事をするのが関の山。

 それが、似た者同士の恭介となら、何とか間を置かず受け答えができるようになってきたというのが現状で、凛太郎には沈黙を帯びる人間から言葉を引き出すテクニックなど一つもないのだ。


 凛太郎はベッドに寝転んだ。

 さじを投げたのだ。

 自分もまだ本調子ではない。

 その上、歩美とのやり取りで疲労困憊だ。

 横になって目を閉じれば、恭介が部屋にいても眠りの引力に逆らえない感じがある。

 あー、やばい。

 このままだと、本当に寝てしまいそうだ。

 体のどこかのスイッチをバチンバチンと二つぐらい誰かに押してもらわないと、起き上がることもできそうにない。


「たろちゃん、これ」


「ん?」


 顔だけを動かして見ると、恭介は例のタブレットを凛太郎に向けて差し出していた。


「また新しいの仕入れといたから、観てみて」


「あ、うん」


 凛太郎はベッドから手を伸ばして受け取った。

 エロ動画を借りる凛太郎のはにかむ様子をニタニタと嬉しそうに見つめるのがいつもの恭介なのだが、今日はこちらを見ようともしない。

 強張った表情で渡されると、こちらもそれを見て楽しもうという気になれない。

 そんなにやばい動画なのかよ。

 重い空気を壊したくて、そう茶化してみたい衝動に駆られたが、置き去りにされて凍死しそうなのでやめた。


「じゃあ、俺、帰るわ」


「え?もう?」


「うん」


 恭介は立ち上がり、凛太郎を一瞥いちべつもせず、ドアを開けて出て行った。


 慌てて追いかけると、恭介は玄関で靴に足を突っ込み、かかとを踏みつけたまま玄関ドアを開いた。


「恭介君?僕に何か……」


「じゃ。ばいばい」


 恭介は外に出た後、申し訳程度にチラッと凛太郎を見て、スッとドアを閉めてしまった。


 恭介は終始変だった。

 学校を休んだのは体調不良が原因ではなさそうだし。

 わざわざ凛太郎の家まで来たのは、それ相応の理由があったのだろう。

 その理由とは何か。


 深夜になり、家族の物音が消えてからしっかり五分待って、凛太郎はタブレットの電源を入れ、イヤホンを耳に差した。

 ここに恭介の突然の学校欠席と奥川家来訪の理由が隠されているはずだ。

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