第109話 おでんと肉まん

「すっごいマンションだったね」


 真ん中を歩く歩美が興奮冷めやらぬ感じで左隣の永田さんを見る。


 凛太郎、永田さん、歩美は恭介の新居を見学した帰りだ。


「うん。キッチン広かったなぁ。あれならコンビニにある大きなおでん鍋だって置けるね」

「久美ちゃんはそういう観点なんだ」

「あ。あそこのコンビニでおでん買わない?」


 永田さんは五十メートルほど先に見えているコンビニの看板を指差した。


「買わないよ。さっき、恭介先輩の家でご飯いっぱい食べたじゃん」

「そうだけど……」


 永田さんは少しすねた感じで口をとがらせ、すぐさまパッと華やいだ笑顔を歩美越しに凛太郎に向ける。「奥川君はどう?」


「どう……って?」

「おでんよ、おでん。あそこのコンビニで買って食べない?あそこ、イートインあるし」

「僕は……」


 無理をすれば食べられないことはない。

 おでんを食べる時間の分だけさらに永田さんと長く一緒にいられると思うと、正直嬉しい。

 だけど、歩美が一緒に行ってくれなければ、永田さんと二人きりになってしまう。

 いきなりそれはかなり緊張する。「歩美ちゃんが行くなら」


「だから、私は買わないって言ってるじゃないですか」


 人の話を聞いているのかという顔で歩美は凛太郎を見上げる。


「いや。買わなくてもさ。一緒に座ってることはできるじゃん」

「久美ちゃんが美味しそうにおでんを食べてるのを、指くわえて見てろってことですか?」

「別に、指くわえなくても……。だったら永田さんと一緒におでんを食べればいいんじゃないかな」


 歩美は凛太郎の方を見て、久美ちゃんと一緒にいたいだけじゃないですか、と声を出さずに口だけを動かした。


 凛太郎は反射的に「ん?」と分かっていないふりをした。

 そんなにズバッと指摘されると、対処のしようがない。


「じゃあ、奥川先輩、おでん、おごってくれますか?」

「うん。一つならいいよ」


 おでんで歩美を買収した凛太郎は晴れて永田さんとの時間を十分ほど勝ち取った。


 永田さんがホクホク顔でコンビニの中へ入って行く。

 続いて歩美。

 少し遅れて凛太郎が入ろうとして、店から出てくる女性客とぶつかりそうになり、その人と見つめ合った。


「凛太郎さん!」

「あ。辛島さん」


 花蓮はササッと何かを背中に隠した。

 どこか、ばつの悪そうな感じで頬を朱に染めて凛太郎を見る。


 凛太郎はそのことには触れず、一歩下がり、花蓮に道を譲る。


「また、今度お邪魔してもよろしいですか?」

「あ、うん」

「ありがとうございます。では、私はこれで」


 花蓮は軽くお辞儀をして、小走りに去って行った。

 手に白い包みを持って。


 店内に入るとレジのそばで永田さんと歩美が腕組みをしてこちらを見ていた。

 何となく近づきがたい雰囲気が二人から漂っている。


「奥川先輩」

「はい。何でしょうか?」


 凛太郎は思わずへこへこと歩美に敬語を遣ってしまう。


 歩美は肉まんが並んだケースを指差した。


「おでんはやめて、こっちでもいいですか?」

「僕はどっちでもいいけど」


 歩美の隣に永田さんが並ぶ。


「私もこっちにしようかな」

「え?おでんは?」

「急に肉まんが食べたい気分になっちゃったの」


 どことなく永田さんが怒っているように見えるのは気のせいだろうか。


 結果、三人はイートインで並んで肉まんを食べた。

 店員から肉まんを受け取ったときに、理解した。

 辛島さんが持っていた白い包みは肉まんだったのだ。


「奥川先輩。さっきの人、誰ですか?」


 歩美が肉まんを頬張りながら凛太郎を見ずに訊ねてくる。


「あれ?歩美ちゃん、こないだの大会で会ったでしょ。星城高校の将棋部の人だよ」

「ふーん」


 同じような会話を大会の日にしたはずだ。

 歩美は分かっていて訊いている。


「奥川君」


 今度は永田さんが歩美と同じように正面のガラス壁に顔を向けたまま凛太郎を呼んだ。「いつから歩美のこと『遠藤さん』から『歩美ちゃん』に変えたの?」


「あー。それは、ちょっと前に歩美ちゃんに半ば強制的に変えさせられたって言うか……」

「ふーん。だったら、私も『永田さん』から、『久美』とか『久美ちゃん』に変えてって言ったら、変えてくれるの?」

「ええー?」


 声が裏返る。

 何だ、この質問。

 どう返事したら良いのか分からない。

 永田さんを下の名前で呼び捨てに?

 ちゃんづけに?

 あわわわわ。


「先輩?奥川先輩!」


 歩美に肩を揺すられて、ハッと我に返る。

 今、一瞬世界が真っ白になっていた。「奥川先輩。今、白目になってましたよ。意識、失ってませんでした?」


「駄目ね。こりゃ、まだしばらく『永田さん』のままかぁ」


 永田さんがつまらなさそうにぼやくのを、凛太郎ははるか遠くに聞いていた。

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