第52話 胸の膨らみ その2
「あー。負けた。負けました」
恭介が悔しそうに唇をかむ。「やればいいんでしょ。やれば」
投げやりな口調で、恭介は学生服の下に駒の箱を差し込んだ。
「僕は全く求めてないんだけど」
凛太郎はそう言ってみたが、恭介は何故か満足げに、箱で膨らんだ自分の胸を見下ろしている。
どうせやるなら、負けた方が箱胸作ろうよ。
そう提案したのは恭介だ。
最近は将棋で恭介が凛太郎に勝つことは滅多にないのに。
そして案の定負けて、この恭介の表情。
ただ、箱で胸を膨らませるための大義名分が欲しかっただけ。
そう思わないではいられない。
箱で胸を膨らませることを「箱胸」と略して当たり前の顔で会話に溶け込ませてくるあたりが、その思いを強くさせる。
「触ってみる?」
恭介は嬉しそうに立ち上がって、凛太郎のそばにやってくる。
「いいって。硬いだけだもん」
「そう言わずに。ほれ、ほれ」
恭介が悪魔のようにニタニタ口角を上げて笑いながら、凛太郎の前で胸を左右に振る。
その時、ドアが開いた。
そこにいた歩美の視線が恭介の胸に注がれる。
終わったかもしれない。
凛太郎はサーっと血の気が引くのを感じた。
歩美がバシッとドアを閉めて、部室で二人の先輩がこんなことをして興じていたと拡散したら、校内中から冷たい目で見られることになる。
そんなことになったら永田さんは二度とここに来てくれなくなるだろう。
「先輩にこう言うのは大変失礼ですけど」
意外にも平然と歩美は部室に入ってきた。「男ってつまんないことで楽しそうですよね」
「返す言葉がないよ」
急に憑き物が落ちたようなすっきりした顔で恭介は学生服から将棋の箱を取り出して机の上に置いた。
歩美が近づいてきてその箱を取り上げ、何も言わずおもむろにブレザーの下に差し込んだ。
「久美ちゃんって、これぐらいありますよね」
歩美は十倍ぐらいに膨らんだ自分の胸をしげしげと見つめた。
そして、何故か得意げに胸を張る。「誰かに揉んでもらったら、私の胸も少しは大きくなるのかな」
独り言だろうか。
それにしては声が大きい。
凛太郎は聞こえなかったふりをした。
「い、いや、どうだろ」
訊ねられたと思ったのか、恭介は何とか返事をした。
歩美は近くにいた凛太郎の前で作り物の胸を張った。
「触ってみます?」
「え?」
凛太郎は顔から火が出そうなぐらいに焦った。
そして、気が付いたらバランスを崩していて椅子から床にドテッと落ちて尻もちをついていた。
「ダメだって。そういうの俺たち免疫ないんだから」
助け起こそうと手を伸ばしてくれる恭介も顔が真っ赤だ。
「ごめんなさい。そんなにびっくりすると思わなくって」
歩美が申し訳なさそうに胸から箱を取り出し、恥かしそうに笑った。「でも、これ、やってみると意外に楽しいかも」
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